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不安と戦った3年間【自己肯定のための自己採点】

こんにちは。Chikaです。

イビザに移住してから1年が過ぎ、自分が日本を離れたこと、ここに住んでいることに実感が湧いてくるようになりました。

最近やっとフッと過去を振り返られるようになったので、世界旅行に出てからもずっと不安に思い、そして解放された自分に対する価値観・評価について一度振り返りまとめてみました。

今回は自己肯定のための自己評価も兼ねているので、自分いいところに点数を1点ずつ加点していき、最終的にどれだけいい部分があったのか確認していきます。(前向きなので=自己評価+1)

自信がない

私は23歳で社会人になってから、あれこれいろんなことに挑戦しつつも、3年同じ会社にいたことはなかった。

「飲み会に来ないなら、新しい仕事・責任のあるしごとは振らないぞ。」と上司に脅されたり、具合が悪いと言ったら「熱を測る」と体を触ってきたりするセクハラ課長にに悩まされたり、芸能事務所に入れば、俳優の代わりにお礼状を書かされて毎回表現の仕方で怒られたり・・・。

と、うまく立ち回れる人もいるのでしょうが、私にはできないことが多くありました。

だから転職毎に給与は上がっていましたが、スキル・キャリアが蓄積されていくわけではなく、大体社会ってこんなもん・・・と冷めた目で理解しながら、適当に仕事をしていた。

(友人と飲まずにはやっていられなかった)

と言うのが日本での最初の社会人3年間でした。

そして半年間フリーターをして、そろそろ何かせねば!と一念発起してIT企業に就職。(挑戦したので=自己評価+1)

「仕事する」ことに慣れておらずやり方がわからなかったので、ここでもかなり苦戦していました。

それでも、辞めるわけには行かない・・・と。とにかくへばりついて仕事をしていました。

ここで3年は働いて、仕事の仕方、スキル、キャリア、いろんな意味で成長したい!頑張りたい。

そう思ってなんとか、働き続け

毎日怒られ、叱られ、失敗しながらもなんだかんだも良い上司に巡り会えたり、会社が右肩上がりでITって面白いんだ!と仕事や会社に対しても前向きに見れるようになり出したのも、この時期でした。(努力しているので=自己評価+1)

そんなこんなして、半年を経た頃に夫が自分の会社の経営状態や新たな事業展開がうまく行かない・・・話始めました。

夫が経営から離れる・・・?

それまで彼は10年強、共同経営者と小さな会社を3つほど経営していました。

3社それぞれ全く別の業種。

ある時、税務署に監査に入られ、今までに無いダメージを受けたことが最初の発端だったようです。

ただ、私は彼の会社に監査が入ろうが、仕事がうまく行かなかろうが、状況や心情に寄り添うことはあっても、あまり騒いだりはしていなかったし、そんなに心配もしていなかった。(他力本願じゃない=自己評価+1)

当時私たちは中目黒の低層マンションに住んでいた。

私は一銭も払わず、その分家事を真面目にやっていたわけでもなかった。

夕食だけはきちんと作っていたけれど、それ以外は別に掃除にしろ、洗濯物にしろ彼がやっていても全く気にしなかったし、好き勝手に生活していた。

そんな状態でよく付き合い続けてもらえたものだと今では思う。

とはいえ、それぞれ収入があった私たちは、毎週末、夜のクラブに出入りしたりもしたし、高級なグルメも楽しんでいた。

2人はアートや外遊び・音楽・グルメ・酒が好きで、とにかく好きなものが似ていた。それでよく場所や金額はあまり気にせずに一緒に遊び回っていた。

けれど、仕事をやめるかも・・・無くなるかも・・・と言われたときに

「なんで!?やめちゃダメだよ!もう少し頑張りなよ!」

と言うようなことはおもわなかった。

「そっか〜好きなことをしたらいいんじゃない?

少し休んだらまた仕事したくなるかもしれないし。ちょっと休憩してもいいんじゃない?

私は今自分の仕事に向かって頑張りたい。

だから、私はせっかく就職した会社だし続けるよ。

家は別に小さくなっても構わないし。

2人で生活した方が安いのは変わらないから、場所が変わるだけだよね。

あんまり困るようなら、もらったアクセサリーとか売ってもいいよ!」

と、そんな話をした。( 変化に対応して=自己評価+1)

彼はスッとして、言った。

「俺なんでもするよ。トラックの運転手だってするから。」と。

経営の仕事・新しい事業が頓挫するなら、そこに執着しない気持ちを固めたようだった。

Tokyo

彼が経営を離れることを止めなかった理由

私がその時、今ある贅沢な暮らしが無くなることを想像していたかと言うと、別にそうでもない。

正直言うと、そんなことは想像していない。

そう言うことを想像したり考えられる頭だったら、もしかしたら彼が経営を離れることを止めていたのかもしれない。

でも、もともと私自身、誰かに何かをいわれて、その言葉の通りに物事に取り掛かれる人間でもない。

「AとBを1に入れて、それから2,3を使いながら4へ入れなさい。」

と言うような指示があったとする。

その時私の頭はこう考えてしまう。

「何故、2,3を使わなきゃいけないの?2か3だけじゃダメなの?5は?使っちゃいけないの?試さないと嫌だ」(好奇心が強くて=自己評価+1)

とこう言う好奇心の強さが特徴で、言われたことをそのままできない。

だから、私の目には好きなことを好きなようにやって生きる人はキラキラして見えた。

彼は出会った時からそのようにしていると感じていたし、彼の動き回る姿、勉強し続けている姿勢を見ていれば、経営から離れたからと言って、何もかもうまくいかなくなるようには見えなかった。

だから「やりたいことをやってほしい、私自身もそうしたい。」と思っていた。(やりたいことを諦めない姿勢に=自己評価+1)

彼の仕事が無くなっても、自分のしたいことを選択をして、それから様子をみて、状況をみて、関係を続けられるかは考えればいいや。

と、そんな風に考えていた。

そのため彼との関係が彼の仕事のそれで崩れるようなことはなかった。

そして、まさかその人生の岐路に私も立たされることになる。とまでは考えていなかった。

交際4年目ごろの私たち

選択肢の提示

数週間後、彼は経営から離れることが決まり、その後新しい事業もコロコロと転ぶように頓挫した。

そうして彼は最終的に、無職を迎えた。

41歳だった。

そしてさらに数週間経った頃に相談がある。と言われ話を聞いたところ。

「仕事を辞めたから、できれば海外に行きたい!と言うより、できれば日本を離れたい。」

と言う話を聞かされた。

まさか、そうくるとは思っていなかった。

「俺の昔から夢なんだけどね、世界旅行がしてみたいんだ。世界一周ってやつ。

貯金はあるから、その貯金を使って世界一周に行きたいんだ。できたら2人で行きたいんだ。」

「へ〜世界一周に行きたいなんて初めて聞いたわ。」

と一言。

ただもともと香港と日本の二重生活を送ったり、昔フィリピンにも住んでいたとか、アメリカ留学していた。とか話しは聞いていたから、この人はまたそのうち海外行くんかな〜。

私を置いていくんかな〜、それとも一緒にいくんかな〜。なんて考えたことはあった。

けれど、世界一周はまさかの選択肢だった。

結局彼の選択肢は4つに分かれていた。

  • 海外へいく。(生活する)
  • 世界一周へいく。(旅人になる)
  • 日本のどこかに移住する。(田舎にIターンしてみる)
  • 東京で同じ生活をする。(現状維持)

と。

2週間後に答えを出した。

一番やりたいことをやりましょう

2週間後の居酒屋で今後について話し合った。

私「一番やりたかったのは、世界一周なんだよね?」

彼「うん、若い頃からやりたかった。」

私「じゃあ、それしようよ。私も行きたい。私貯金ないけどいいの?」

彼「うん、お金溜めてあるから、2人分出せるよ。」

私「ヤッターじゃあ世界一周ね!乾杯〜!」

2017年3月、私たちはその年の12月に出発することを決めた。(新たな挑戦の決意に=自己評価+1)

人生は長いようで短い。

いつかしよう。あれやりたい。コレやりたい。お金がない。時間がない。やることが多すぎる。今は忙しい。

そんなことを言っている間に体力がなくなり、気力がなくなる。

やっとの思いで見つけて、絶対3年ここで働いて、経験を糧にできるようになるんだ!と決めたITの会社も1年半で辞めることになる。

でもまあ、それでもいっか。とその時は思った。

仕事のスキルも大事だし、経験もほしかったけれど、この決意をした時に思ったのは

「彼と私人生でこの希望を叶えられる“チャンスが今きた”ならばコレは叶える最高のタイミングだ。」

と言うこと。14歳差ある私たちがこの機会を逃したらおそらく、次はない。

私の両親はそれぞれ若いうちに健康を失っている。だから体も心も健康な時こそ自由に使うべきだしこれほど高い価値の資本は無いと思う。(健康の重要性を知っていることに=自己評価+1)

お金は、夫のお金でそれがありがたいことだと言うことはもちろん理解していたけれど、それで物怖じし遠慮して行かないのはどう考えても勿体ない。(遠慮しせずにチャンスを掴んで=自己評価+1)

一緒に使いたい!と言われてることに甘んじることにした。

葛藤

だからと言って、私はその後も快進撃を続ける在籍中の会社に未練がなかったかといえばそうでも無い。

この会社にいて、自分の経験値上げて、オフィスワーカーやってたら、結構いい感じになれんじゃ無いかな〜私。と思っていた。

自立して自信を持って仕事できるようになれるのにな・・・、それさえできればいいんだけどな〜。辞めていいんかな〜。と。

「コレでいいのかわからない!」と思うことはあった。

それでも予定を変更しなかったのはやはり世界旅行に希望が見えていたからだと思う。

旅を始めてから

旅に出てから、私は自分の無力さに気づいた。

特に英語ができないこととお金おを払っていないと言う点で。

英語について

彼に簡単に訳してもらったり、日本語で後から説明してもらって全てのことを理解していた。

だから、彼が何を話してるのか、どんなことを人に頼んでるのか詳細がわからなかった。

人任せだったし、わからないんだから仕方ない。と思っていた。

もちろんそれまでも英会話の機会はあったから勉強はしていたけれど。

こうして話せない・通じない・理解できないフラストレーションのおかげで英語を勉強することになった。

彼は自分が話した方がスムーズだから勝手に進めるので、私はまず「私行ってくるから!待ってて!」

と切符を買うのも、レストランの席があるか?どんな料理か?ホテルの部屋は空いてるか?いくらか?なんて話も全部基本的に、自分でいくようになった。(挑戦した=自己評価+1)

(いろんな人と話しが出来てるのに自分の評価はずっと低いままだった)

気に入らなかった。私を置いて、自分だけで突き進む彼をそのままにしているのが嫌でしかたなかった。

結果、今は自分の言いたいことは英語で話すし、友達も作っているし、日本語が無い環境もなんとかやっている。(変化に適応している=自己評価+1)

お金の問題

海外に出てみて私の心に引っ掛かったのは、「自分でお金を払わずに世界一周へ出たこと。」だった。

IT企業に入って私がしたかったのは自分のキャリアやスキルをつけて、経済的に自立し、男に頼らない人生を歩みたかったからだ。(自分軸がある=自己評価+1)

だから、一銭もお金を払わない状況、何かあったら彼を頼らなければならない状況は自分の精神にはよくなかった。

人にもいえなかった。

もちろん私が東京で遊びまわっていたのを知っている人たちは私が貯金したわけじゃ無いことくらい知っていただろうけど。(真面目さに自己評価+1)

でもいえなかった。

(ここに来れたのも、この服もチケットも全部彼のお金で買った)

そして、蓄積したかったスキルやキャリアができなかったことに対しても後悔したし、不安になった。

たびたびその不安に襲われて、旅中に泣き出したり、何もできない。。。とベッドから出てこない日があった。

夫「なんで世界一周に出てきて、明日にはここを出るかもしれないのに、ベッドに閉じこもってられるの?もったいないよ・・・・。」

精神的に安定していない私はワーーーーと泣きながら、状況を説明した。

一度では済まずに何度もこの話は繰り返された。

お金が無いなら、あっけらかんとしてられればよかったが、それもできなかった。

その度に夫は私をなだめた。

「この経験は会社に一年いるよりも人生に価値のある経験だし、もしもこの一年が無駄になるのなら、それは自分の時間の使い方、考え方の問題だよ。」

そうか。とその時は納得して、よし!と外に出て周りを見ながら、一つ一つを大切に経験していこうと張り切る。

でもまた不安に苛まれる。

私は不安になりたがる心を持っているようだった。

日本に帰ってからもイビザにきてからもずっとこの不安は私を苦しめた。

自分にはスキルがない。キャリアがない。放り出されたら、何もできないんじゃないか。仕事がないんじゃないか。ずっと不安だった。

(何をしても不安は断ち切れなかった)

イビザ在住1年、今の自己評価

そして、やっと思考が安定した。

1年4ヶ月の旅行で、私は自発的に動くことの大切さを知った。(新しいことを学んだ=自己評価+1)

物事は自分のやりたい方向に転換できる。

気づいていなかったけれど、それまでは物事に対して受け身な自分がいた。

社会人になってすぐ、母親が亡くなったり、父親の脳出血で生活に悩みを抱えたり、周りから受ける影響が大きすぎて、自分で何かを変えられると言う気持ちになれなかったからかもしれない。

投げやりだった。

東京で遊びまわってる間、実は私は記憶なんかいらないと思っていた。どうだってよかった。

でも、世界旅行を経験し、イビザに移住し、様々な変化を経た今、私は自分で今の状況を選択して、ここにいると自信が持てるようになった。(自信を持った=自己評価+1)

実際、日本に帰りたいと思ったことはこの2020年に入ってから数え切れないほどある。

最初の1年間。私はお金を出したわけじゃなかったし、夫も「自分が経営についてしっかりしなければ」と言う動きをしていたこともあって私自身は経営者だと言わなかった。

「夫を手伝っている。」と言い続けていた。(謙虚だった=自己評価+1)

仕事にしろ夫婦関係にしろ何もかもがうまくいかなくて数ヶ月泣きながら過ごしたりもた。

でも飛行機のチケットなんて調べなかった。(逃げ道を探してない=自己評価+1)

「帰りたい!!」と泣くことはあったけど、ネガティブな理由で変えるつもりはサラサラなかった。

どんなに辛くても、ムカついても離婚する予定になっても、私はここに住む!と決めていた。(強い意志に=自己評価+1)

離婚したって、何したって絶対にビザとってやる。と思っていた。

本当に離婚しそうになって、その後が危うくなった時は、現地の友達数人に偽装結婚について依頼したことすらある。(道を切り開こうとする行動力に=自己評価+1)

彼が帰ったって私はイビザに残る!と思っていた。

私は絶対に帰らない。と決めていたから。

だから、1年4ヶ月経った今、私がここにいるのは、私の意志だと言える。

そのおかげか仕事についても今は「私は夫と一緒にラーメン屋を経営しています。」と言えるようになった。(成長したから=自己評価+1)

夫が稼いだお金で夫婦で買ったラーメン屋は自分の店だと思っている。

私が1人でできるわけではないし、今は妊娠中の身で現場の仕事をフルでこなすことは出来ない。

その分、現場の仕事は夫が担ってくれている。(夫の行動のありがたさを理解している=自己評価+1)

それでも彼の体調管理や裏方として、私にも経営者としての責任は勿論あるし、そう言った方が自信になる。(現実を直視している=自己評価+1)

肩書に誇りを持って、それに近くなるように邁進できる。

成功してから、語るのはいくらでもできるし、成り上がった状態で、あれはこうでした〜って話すのは結構楽だし簡単。

別に失敗したっていいと今は思える。(失敗を怖がらない強さ=自己評価+1)

その分動けばいいし、今はレベルは別の話としても英語もスペイン語も勉強してるし、ラーメン屋の立ち上げならできる。レシピも全部ある。(できることが増えている=自己評価+1)

友人たちがいるし、ある時は敵にもなるが、基本的に同志として生き、共に頑張れる夫がいる。

今はコロナでヨーロッパ中の国が混乱に巻き込まれているが、ここで根を張りたい。

お金稼ぎだけじゃなくて、自分や周りのケアもしていきたいな。と今は思う。(本当に大切なものが何かについて考えている=自己評価+1)

自己評価総評

今回は自己肯定感を高めるための自己評価で自分の良いところに1点ずつ加点してみた。

結果は30点。

30個も自分のいいところを見つけることが出来ました。

周りの状況や自分のメンタルでうまく行かないことも多くあるけれど、こんなふうに自分を褒めまくって、前向きにどんどんと前進していければ!と思います。

ちょっと面白かったでしょ?人が馬鹿みたいに自分を高評価していく文章。

気持ち良くなれるので、是非やってみてね!

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