エジプトからエチオピアへ向かう飛行機の中。
私たちは言葉にならない高揚感を感じていた。
やっとイメージしていた、あの、アフリカ。
エチオピアに入国する。どんな波乱が待っているんだろう・・・。
そもそもエチオピアという国以前にアフリカ大陸について私たちが知っている情報って?黒人の国である。とか、貧しい国が多いだとか。
音楽やダンスが得意である、とかその程度だった。
実際にどんな食べ物を食べているか、どんな文化で何を重んじているのか?どんな暮らしをしているのか?は知らない。
だからどんなことが待っているのか、ドキドキした。
アジアで育った忍耐性・英語力・南米で育てた自身の冒険心とコミュニケーション能力。その他様々な旅的なスキルを試される総集編!と言ってもいいのが、ここ、エチオピアじゃないか?と思っていた。
私たちが到着したのはエチオピアの首都。
空港に到着した瞬間初めての景色に胸が高鳴った。
そこには黒人の社会が広がっていた。
アジア人・黄色人種・白人・MIXの世界は見たことがあったけれど、初めての景色に期待と不安が入り乱れた。
空港での入国は問題なく通過。
タクシーで日本人観光客が集まる通りへと向かった。
私たちはさまざまな旅行方法を取り入れたかったので、英語・日本語の両方で調べていた。
エチオピアには英語の情報もほとんどなく、過去に訪れている日本人の情報に頼ることとなった。
地面からは砂埃が舞い、ゴミが道の端に山となっている。
道路の整備とゴミの秩序はある程度のレベルまでは貧しさから豊かさを表していると思う。
ただし、どこの国へ言っても豊かだからと言って、ゴミが道に落ちていないわけではない。
正直言って、豊かだと思っていたヨーロッパの道はどこもそんなに清潔ではなかった。
道すがら、インドのように物乞いをする人がいないのは、貧しいとは聞いていたものの「何かが違う・・・」印象を受けた。
ホテルはランクが上のものから一つ一つ回った。
荷物が多く重いので、私が交渉に周り、夫が荷物番をした。
希望していたホテルが全て満室。
仕方なく噂では最悪のホテルに入る。
部屋は空いていた。
「空いていなきゃよかったのに・・・。」
心の奥底から、そんな声が聞こえた。
それでも他のエリアが危険かどうかとか、どんなホテルがあるか、を調べるにもインターネットがなかったから仕方なかった。我慢した。
ホテルでガイドツアーをしてくれる会社を紹介してもらい、会社にいく。
そこで明日のバスチケットを取ってくれるとのことだった。
行くのは噂に聞いていた
「世界一過酷な!ダナキルツアーだ。」
チケットの手配が済みランチをとる。
その前にいつも通り、この国のsimカードを入手した。
これがなくてはinternetが使えないので。
この日初めてインジェラに挑戦した。
私たちも世界に誇るべき珍食品=納豆を食べているので、基本的に珍食品は歓迎!
日本人旅行者からは酷評の食べ物だけに恐る恐る・・・。だったけれど。
食堂に入り、みんなと同じように小さなプラスチックに座り注文。
「チキン?ビーフ?」
「じゃ、ビーフで。」
「ok!」
数分するとすぐに出てきた。
大きな銀の丸いトレーに乗って。布のような柔らかな生地とカレーのようなスープシチューみたいな見た目のこれがインジェラだ。
インジェラは紀元前100年前から食べられているエチオピアの食品でテフという穀物の粉を水にといて三日間発酵させ、片面だけを焼き上げたものだそうだ。
「ゲロ」と称されるのは、発酵によって発さられた酸のせいだ。
確かに、見た目は柔らかい菓子パンのようなものなのに酸っぱい。
これはなんだか見た目に反した香りで穀物の甘味も感じる。
確かにその表現の仕方もわかるけど、、、
私は「うん!美味しいね。全然いける!」
久「あ、本当だ。聞いてたより全然美味しいじゃん!」
エチオピアの主食が食べれなかったら、これは結構大変だぞ〜と心配していたので、安心した。
チケット・simカード・ランチをすました私たちは、エチオピアといえば!のコーヒーを試しに歩いた。
トモカコーヒーというカフェがとっても有名だそうで。
歩いていく。
道は相変わらず埃っぽかった。
そしてなんか売り歩いている人もいた。
なんだろうな、あれ売れるんだろうか?
みたいなものを売っている。
それに、何人かの集団はこちらを見て嬉々として言ってくるのだ。
「you you you you you!!」
それも指差しつき。
完全からかわれている・・・。
久「you you you you you you!!!」
元気よく同じことをやって返し始めた。
するとエチオピア人、屈託なく笑っている。なんなら、腹を抱え始めた。
さらにまた別の集団がいう。私の大嫌いな言葉を。
「チャイナ!チャイナ!」
イラ・・・・。
別に彼らには悪気がないのかもしれないけど。出身地を聞かれているとは思えない。
とはいえ、彼らはおそらく、、絡みたいだけなのらしい。
久「ケニア?タンザニア?」
「No no!!Ethiopia !!!Ethiopia!」
「Yes! I’m Kenya!」
これまた嬉しそうに答える。
なんか、からかわれていたかと思えばニッコニコで、答えてくるあっけらかんとした不思議な人たちだ。
そして久の返しのうまさには驚いた。
久「ああいうのは相手の思う壺に入らないことだな。」
ほぉ。ツボにハマってしまってたわ・・・。
年の功とはこのことか。自分はまだ子供のように感じられた。
コーヒー店に着くと、早速いい香りがした。
頼んだコーヒーはすぐに出てくる。
店の雰囲気は立ち喫茶。
この国のビジネスマンたちが集まっているようだった。
味は酸味が強いけれど苦味と香りもしっかりしているので、とってもおいしかった。
うん。エチオピアコーヒーって知ってたけどまさか現地で飲めるなんて想像もしてなかったな!
その夜。次の日の早朝のバスに合わせて私たちは早めにベッドに入った。
けれど、その日私は一睡もできなかった。
とにかく、全てが汚かった。
ホコリとカビの匂い。
シャワーも汚くて、浴びることができなかった。
床や壁、天井も汚く、シーツも。汚かった。
こんなところで、眠れない・・・。
夜の間、私は何を考えたのか、こんなところに寝ている自分が悲しくてつらくて、寂しくて。
泣いていた。
朝、辛い思いをしながらツアー会社が手配した男の車でバス停まで走る。
車中でドライバーが言った。
「切符あるか?」
「ないよ。貰ってない。ドライバーに渡すって言ってたよ。」
「え?聞いてないぞ?」
「そんなわけないだろう。」
「いや俺も貰ってない。」
なんと、早朝4時に起きたのにチケットがないことが判明!
「仕方がない。バス停に行って、空きがないか確認しよう。」
バス停は学校の校庭のように広く、たくさんの車と人でごった返していた。
これだけたくさんのバスがあるなら、空席がきっとある・・・はず。
外は寒かったので、温かいコーヒーや甘いお茶を出している出店がいくつもあった。
真っ暗闇の中、たくさんの人が動き回る様子はとても不安にさせられた。
運転手がここで待っていて。と出ていくと、方々にチケットを有無を聞いている姿が見てとれた。
私は一睡も出来なかったのと、カビやほこりで鼻の粘膜をやられ調子が悪くなっていた。
1時間、探し続けてくれたが、結局空席は見つからず、私たちは旅行会社の事務所兼寮のような場所に通された。
そこで休憩して良いとされ、私は遂にそこで眠ることが許された。
睡眠をとっている間に、夫久が旅行会社にいく。もう9時を過ぎていたそうだ。
そこで、再度交渉をする。
私たちのこれまでの感覚で言ったら、なんで交渉しないといけないの?
自分たちのミスなんだからちゃんと、後始末しようよ。対応すべきだよ。
と思うけれど、ここはエチオピア。
そういう常識は通じない。
久は今日中に私たちを運んでくれる車の手配を2時間かけて行ったそうだ。
部屋に戻ってくると、数時間後にバスではなく、車で出発することが決まったと久が言った。
「かなり大変だった・・・。」
と。
いやはや・・・。エチオピア恐るべし。
翌日早朝。移動は四駆の綺麗な車に私たち2人だけだった。
道は悪い時、泥で赤い砂埃が舞い、牛やヤギの集団が横を歩く時もあった。
さらに進むと、アスファルトの道も。
それでも凸凹は続いていた。
ランチにホテルに到着すると、そこでもやはりインジェラが出された。
そして、荒野を走る。
すると今度見えるのは、大破した車たちだ。
寝ずにトラックを運転するのらしい。もちろん薬を飲んでいる人もいるそうで。
そう言った酩酊状態の何人かが事故を起こして、車を残して逃げるらしい。
寝ることもできないくらい働いて、事故をして、その後逃げた運転手は一体どんな生活を送るのだろう・・・。と悲しくなった。
何時間もかけた旅路は夜も暗くなってやっと、目的地に到着した。
そこから何軒かホテルをめぐり、空室を見つけその日は終わった。
そして夜ご飯にやはり、インジェラをいただいた。
明日からはダナキルツアーだ。
ホテルのベッドには毛布が敷かれていた。夜は寒いのらしい。