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“The Travel Story 39” -故郷・友人の家へ別れて- 【 日本・イギリス 】

久しぶりの日本

到着は42日月曜日13時ごろ。

久しぶりに日本に帰って来て、今まで住んでいた中目黒の家もなければ、マンスリーで借りていた参宮橋の家もない。

だから、今日は渋谷に行く必要もない。

私は父親の家がある錦糸町まで帰るのに、JR総武快速線を使った。

久しぶりの日本の電車の中は灰色だった。

スーツの色が目に入って、ああ、働いていた日々・・・。と思い出す。と言っても私は内勤だったし、会社も自由だったからスーツなんてほとんどきてないけど。

座っていると、だんだんと人が増えてきた。

千葉駅になると座る席もなくなってきたので、早速、座席を足の悪そうなおばさんに譲った。

「悪いわね、疲れて帰ってきたのに。」

「遊んできただけなんでいいんですよ、大丈夫。」

というとなんだかおばさんは嬉しそうにして、いくつか後に席が空くと、

「ありがとうね、ここ座ったら?」

ととなりに座るように言ってくれた。

ああ、日本語。。。となんだかほころぶ。

Wifiが無いので、電車の中では始終人間観察と広告をみていた。

脱毛の広告とエナジードリンク、肩こりに効く塗り薬の広告がたくさんだった。

なんか大変だな~、と一息。

見た目をすごく気にしなきゃいけない女性たちへ脱毛のオススメと、お疲れのサラリーマンたちへこれを使ってもっと頑張れ!って話か。

なんて、前々から、広告やCMについては斜めから見るようにしていたが、旅に出て拍車がかかったような気がする。

しばらくして、家に到着した。

墨田区の父の家

私が実家を出た時には成城学園前駅から20分、祖師谷大蔵駅から20分の場所にあった家はもう引っ越しして無くなり、現在は墨田区に実家は移った。

西側の生活は終わったんだな。となんだかさみしくなる。

父は現在一人暮らしだ。

父は私が帰ってきてもこれといって顔を変えることもなく、ご飯でも行くか。と近所の日本料理屋に連れてきてくれた。

4年前に脳卒中になってから左半身の麻痺が抜けてない父だが、普通の人と同じくらい早く歩きたい。と言って、不自由な足とちゃんと動く右の足を一生懸命動かしていた。

そんな父は早食いが過ぎる、くらい食べるスピードが早い。

反対に私は遅過ぎるほどに遅い。

二人のペースは全く合わないので、ご飯を食べに行くとかなり時差を感じた。

とはいえ、マグロの刺身や焼きなす、豆腐なんかを食べさせてもらい、本当に嬉しかった。

日本の料理は本当に美味しい。これだよね!

こうして久しぶりに始まった父との暮らし。

家を出た頃は父も私もお前となんか、一緒に生活できるか!というような感じだった。

大人になったってことかな。これも一つの親孝行になればイイのだけど、と二人暮らしは始まった。

綺麗だったな〜桜

友達との再会

大切な友達ってなんだか不思議なもので、久しぶりに会っても久しぶりな感じがしなかった。

夜遊びも本当は行かない予定だったけれど、行けば友達に会えるということとクラブミュージックを聞いて心も体も踊らせて東京に戻ったことを感じたくなって、夜の渋谷に繰り出した。

久しぶりに会った友達とは日本を出る日にも長い長いハグをした。

今回も、「よ~久しぶり!」となんかボーイな感じの挨拶で再会しつつ長いハグで存在と心地良さを深く感じる。

これだよね、東京。私の東京Life!

大学を出て、彼と付き合ってから日本を出るまでの6年間、ずっとクラブは私の生活の中にあって親友ともクラブや野外フェスに行ってたくさんの思い出を作った。

私たちが好きなのはTechnoだとか、Houseだとか、instrument、って類の音楽で、一時期は本当にこれのために仕事していた。

渋谷の地下にある店( Contact )に入って行って、エントランスで入場料を払って一杯ドリンクを買う。

今日の客がどんな感じの人たちがいるか見て、見知ってる仲間がどれくらいいるか確認して、乾杯して。

今、この瞬間流されている音は誰それってDJが回してて、ああ、いい感じだとかそうでもないね。から始まり、

いなかった間にこんなことあったわ。とか、このあとはこんな旅して行って、もしかしたら日本出ることになるかもしれないわ。的な話もして。

友達は涙しながら再会を喜んでくれて。

また泣いてるの?と笑って、お酒を飲んで。

いい音楽と、いい友達と、大好きな”神の河のジャスミン割”を飲んで。あぁ、これが私の青春なのかな。

遠ざかって行く青春の場所・・・。なんて人知れずしんみりした。

あったかかったな。

じ友達がおかえり~って笑って乾杯してくれる瞬間。嬉しかった。

地元小岩

錦糸町に戻ってから、ああ、そうだ私ここだったら働かしてもらえるかな~なんて連絡したのが、古巣の小岩 REPOS

大学生の頃、ベッロベロになるまで毎回飲んで怒られる。笑われる、それでもちーちの愛称で可愛がってもらっていたバイト先。

みんなに愛してもらって、優しくしてもらって、いまでも戻ると当時のあだ名「Cheech(ちーち)」でみんなが私の名前を呼んでくれる。

私と実際に会ったことの無い人まで私のことを知っていてくれる。

店長がH氏の幼馴染でうちらはここから始まったんだよな~なんて思い出もあって。

何日間かここで働かせてもらったけど、本当にあったかくて、楽しくて。

いつも大好きな場所があるって、残ってるって、ありがたいことだね。

日本を出る事への迷い

私は日本を離れようとしているけど、これで本当にいいのかな。

いつか、日本にまた戻ってこれる日が来たりするのかな。

いつか戻りたいって思ったとき、戻れなくなったりしないだろうか。

高校の友人たち

たくさん会いたい人はいたものの、金銭的な自由もそんなになかったので、

今回の帰国は実は多くの人には伝えていなかったから数人の友達だけ。

それ以外は残念ながら、会えなかった。

それでも会えた友達は久しぶりに会ったことを喜んでくれたり、一度会ったのにもう一度会っておきたいって言ってくれたり。

本当に短い時間でも会いたい。と言ってくれる人ばかり。

ああ、本当に人に恵まれて来たんだな。と幸せな気持ちにしてもらった。

こんなにわがままでストレートすぎる私を好きだって言ってくれる人がいて、私は本当に幸せ!

ありがとう!!!

大好きな代々木公園で夜のピクニック

そして、毎日毎日そんな日々が続きついつい飲みすぎ、最後の最後の日まで飲みながら旅を再開する日がやって来た。

一方のH

私が日本に帰っている間、H氏はネパールで1週間。イギリスの友人宅に2週間、お世話になっていた。

最初の1週間のネパールでは体調が悪かったこともあって、2、3日はタメルに停滞。

パキスタンの友人宅を訪ねようかと、パキスタン大使館を訪れるも、ビザ発行されず。

パクタブルという古都に移動し、イギリスの友人宅に世話になる準備を行う。

そういえばタメルでは美味しい中華ラーメン屋を見つけたそうで、ネパール最後のランチに再度そこに行こうとしたところど忘れで見つからなかった。

という残念な最後だったとか。

私が酒と日本食に溺れている間、彼はあんまり面白くないネパールを楽しんでいたとか・・・。(日本語おかしいですね)

福々の餃子(美味しかったな)

牡蠣ポン酢(うまかった〜これも。)

大好きな赤貝の寿司

居酒屋のようなスナックでカラオケをお願いされる

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