■目次
肝心のイグアスの滝は人人人人~でかなり混んでる。
見るのは大変だったけど、この時は人が流れていて、そんなに長居する人もいなくて、待ってれば一通り見れた。
が、私たちが来た道を戻ろうとしたときにはすでに大渋滞が。イグアスは早朝来るのが吉だ。
それから自然相手の場所だし、こんなに壮大な場所なんだからもう、仕方ないことなんだろうけど、橋が所々で崩れて無くなってしまっている。
これ、水量が多過ぎて破壊された後なんだって!怖い怖い怖い!
それにしても景色は感動的で、この旅の中でも1、2を争うくらいの感動があった!(なんかありすぎて何度も言ってる気がする!)
言葉では表しきれないほどに美しく、すぐそこに水があってどっさーーーーーーと流れる水にはもう圧巻!
落ちて行く水は空気とぶつかり合って、ミストになって飛んでくる。
ミストになって気体になって消えて行くが、
その間には太陽の光がそのミストに降りかかりプリズムが虹色を作って行った。
アルゼンチンに到着して、夕ご飯のためにレストランに行った時、5歳くらいの子供がお土産になりそうな品を両手に持って、私たちのところに来た。
3人くらいの子供が一人一人間をあけて持って来たがどの子も目が死んでいた。
この子たちの手に持っているものを買ってあげたとしても現状は変わらないのも理解できたし、私たちも欲しくもないお土産を買うこともできなくて
「No thanks,」としか言えなかった。
その次の日、パラグアイ・ブラジル・アルゼンチンの国境に行ったときも、子供が薄汚い洋服を来て、ゴミ箱に手を突っ込んで何かを漁ってた。
子供のホームレスだ。
アルゼンチンの経済状態は酷いとは知っていたけれど、まさかこんなことに出会うとは思っていなかった。
私たちは一度もそんな風に稼ぐことになったことは無いし、こうして常にモノを盗まれる側になれるほど恵まれている。
そんな環境をもらっておいて、腐ってんじゃ無いよってことかな。
やるって決めたことはやるんだ、と言う気持ちにもなった。
本当に人生は一度っきりだし、やりたいと思ったことを叶えられるってすごくラッキーなことだし重要なことだと思う。
私が「人生は一度きりしか無い」って深く思うのは、母が子どもの頃から病院にいたせいでもあるし
父が55歳の若さで脳出血と言う病気になった、という体験のせいでもあるし、2011年の東北大震災のせいでもある。
とにかく、生まれてきたからにはいつかは死ぬし、元気に生きていられる時間にも限りがある。
夫Hもよく言ってる。
「日本人に生まれたってことは、チャンスは手を伸ばせば届くはずなんだよ!
俺たちは日本人に生まれられたってだけで既にラッキーだよね。」
アルゼンチンから行くにはきちんとスタンプをもらってからいかなきゃならない。
朝から出て、ブラジルに行ってみると、やっぱり!
全然違う!
なんかなんだろう、施設がちょっと綺麗だししっかりしている感じがする。
これはブラジル経済の方が豊かだってことか。
園内には無料バスが走っていて、滝の目の前まで連れて行ってくれる。
階段を降りて、もうすぐそこ!って言うところまで行くと、私はオッシャ!と取り出した。
ウェディングドレス。
上から被って、わっさわっさして、後ろのジップを夫Hに締めてもらって。
道ゆく観光客に写真をお願いした。
邪魔にならないように、でも綺麗な場所で!と撮ってたけど、いつかこう言う写真たちも、ああ、いい思い出。となって行くのかな。
こんなに大勢の人たちがいる中でやったのは初めてのことだったけれど、周りの人たちも普通に
「わ!おめでとう!」
「素敵!!」
なんて言ってくれたり、一緒に写真撮ろう!って言ってくれたりして、やってよかったな~持って来てよかったな、と思えた。
数枚撮ると、ササっと着替えて今度は下の方へ。
かなり天気が悪くなって来て、水しぶきが雨のように降りかかって来た。
天気が悪くなると、イグアスの滝も恐怖に変わった。
危ない、怖い!と。
しかも人の数もすごくて、大丈夫だとは思うけれど、もしも今この瞬間滝の一部が決壊して水が襲って来て、この橋も壊れたら・・・と不安になった。
さて、もう十分楽しんだね!と陸に戻ってくると天気も回復。
作って来たサンドイッチを広げようとベンチに座ると、なんだか聞いたことのある音色が。
カンカンカンカンカンカン!
見ると店員が棒についた缶で人間様の食事を狙っている小動物を追い払っているようだった。
この小動物の名前はハナグマ。
この辺りに生息しているらしく、アルゼンチンでも見かけた。
大きな尻尾を揺らしながら数匹が集まって移動する姿が可愛かった。
今回宿泊したのは、どうやら、どなたかのアパートメントの一室。
寝室とリビングにバスルームがついていて、プライベートがしっかり確保されていた。
ここのホストはとっても優しくて気の利く人で、空港までの交通手段を聞くとすぐにタクシーを予約してくれた。
朝6時に出発して、7時半までに空港着の予定だった。
頼んでくれた彼を信じて、部屋の前でタクシーを10分前から待つ。
が、6時になっても、10分、15分過ぎてもタクシーは来なかった。
若干焦り始める私たち。
どうしたんだ?どういうことなの?これは。
来ないなんてあるの?おかしい。。。
H「なんでなんだよ!空港に行くって言ってる人のタクシーが来ないことなんてあるかよ!!!?」
C「間に合わないかもしれないね。そろそろどうにかしないと・・・。」
H「どうすりゃイイんだ・・・電話もできないし。」
C「そこが多分彼の部屋だと思う!彼を起こすしかないよ。」
H「ここ?はあ、、、起こさないといけないのか。。。。」
C「でも飛行機に乗れないかもしれないんだから、もう起こさないとしょうがないよ。」
結局、彼を起こした。
ホストの彼は「嘘でしょ?そんなぁ~」と寝ぼけ顔。
でも、すぐに代わりのタクシーを呼んでくれて、急いで空港に向かい、無事ギリギリに到着した。
が、今度は空港内の雰囲気がおかしい。
カウンターに行ったら、本当はすぐにチェックインのはず。
でも、そこには誰も居なかった。
おかしいぞ?
出発時刻の掲示板を見てみると、そこには飛行機のナンバーはあるのに、出発時刻がない・・・。
じっと、誰かが来るのを待っていると遂に若い男が出てきた。
男「 A768飛行機は出ないことになりました。僕の方で詳細はわかりません。
この後エグゼクティブマネージャーが来るので、彼女に聞いてください。以上です。」
また、去って行った。
その後、かなり間を置いてそのなんたらマネージャーとやらが出てきた。
「 A768は今日は飛びません。ホテルにお戻りください。」
は!? 飛ばないは、無しでしょ?そんなん今日飛ばせてもらえなかったらこれ結局また次いつ飛べるかわからないじゃない。
Hが交渉へ。
H「そりゃ、無いよ、今日なんとか飛ぶ便に乗せてよ。こっちだって、無駄にホテル代重複して払えないよ。そちらは負担してくれないんでしょ?」
女性「ホテル代の負担はできません。調整してみます。また呼びに来ますので、ここで待ってください。」
H「ここでは待てないよ。ここは寒いし、何も無い。カフェにでも行かせてもらうよ。何時にまた呼んでくれるんだ?」
女性「おそらく1時間後には。。」
H「1時間後でイイのね?」
女性「あ、それじゃあ2時間後で。」
H「2時間後でイイんだな??」
女性「はい。。」
その後、結局1日をこの空港のカフェテリアで過ごすことになった。
もうすぐお昼だということで
空港でご飯は食べないようにしてたけれど、仕方ない!
私はクリームパスタを。
Hはピザを頼んだ。
そこで出て来たのが、もう本当に酷かった。
ミルクを買って来て、パスタを茹でたのにかけるだけ!と、そんな感じ。
塩味も無い。コレが一国の空港のカフェテリアで提供されるものなの?
本当に我慢して、食べた。
何も美味しくなんかない!本当に、自分で作ればコレより数倍美味しいものが作れるのに、なんでこんなもんにいつもの倍以上お金払って食べなきゃいけないんだ・・・・。と心の中で怒りを燃やした。
食文化の落差ってこんなにも激しいなんて、想像以上の不味さだ。
今思い出しても嫌な気持ちになるけど、全部食べた。
アレほど強烈に不味かったのはボリビアのぶよ麺以来だった。
結局呼び出しは昼を過ぎて夕方前になってから。
16時になってやっと飛行機に乗り、アルゼンチン ブエノスアイレスへと向かった。
アルゼンチンといえばなんだ?
私は肉とサッカーとタンゴかな。それ以外はあんまり知らない。
ブエノス・アイレス自体がいい町だとは聞いたことがあるけれど、なんか町のイメージとかもつかないし、何がそんなにいいんだか?と思っていた。
しかもアルゼンチンで一番有名なアクティビティといえば夏の暖かい季節のみオープンになるパタゴニアのトレッキングと氷山観光だ。
でも、今は何月?7月。コレから南米は真冬に入ろうとしていた。
だからパタゴニアってのも行けない。
そういう訳だから、この10日間はブエノス・アイレスの町をじっくり見て回る予定だった。
そのために部屋も何度か変えることにしていた。
一泊目は、ホステルのドミトリーに宿泊。
二泊目から5日間は小さなロフトのあるお部屋。
最後はビンテージインテリアがかっこいい鉄筋のロフトがついた部屋。
プライベートシャワールームつきだった。
ホテルは後の方になるほどいいホテルと言えた。
まず、ブエノス・アイレスのベストシーズンは3~5月と9~11月。
私たちが行ったのは7月だから南米の冬で、まるっきりシーズンじゃない。
だから、私たちが見たアルゼンチンってのは、アルゼンチンの魅力の100があったら10にも満たない。
だから私たちのアルゼンチンの思い出は極上ビーフっていう・・・。
それで、何でそんなオフシーズンに行ったんですか?って話。
Marioってオーストラリア人の友達が、ブエノスアイレスは絶対にまた行きたいと言っていた場所だから。
彼が言うにはブエノス・アイレスって場所は昼間から愛を語らう人たちで溢れているのだとか。
こんなにラブリーで、温かな場所はない。と力説していたらしい。
そんなにイイのなら!オフシーズンでも行きたい!と言うのが夫Hの希望だった。
この時期、見れたのは美術館とマーケット、それにあるカラフルな町並みかな。
カラフルな町は夫Hがよく見つけて来る。
どんなペイントがされているのか?と見に行ってみた。
さぞおしゃれな地域なんだろうな~と2人で期待して行って見たものの、ほとんどのお店がしまっていてシャッター街状態。
こんなんで大丈夫なの?と思ってしまうような景色だった。
きっと経済不安で店も開けられないんだね~なんて話してたんだけど、アルゼンチンの経済状況は年々悪化の一途らしい。
2010年ごろまでに一度回復傾向を見せていたアルゼンチン経済は2015年までに再度悪化。
現在は猛烈なインフレ(通貨膨張)に苦しんでいるのがアルゼンチンの今日の状況。
だから人々は豊かではないのに、物価が高い。
あるニュースには人々は買い物をしなくなった。生きるために必要なものしか買わなくなった。とあった。
稼いだお金の価値が見る見るうちに下がっていくのだから仕方ない。
が、これが悪影響をさらに呼んでいるのだとか。
併せて、私たちが訪れた7月はオフシーズン(冬)真っ只中であり、観光客ももちろんまだらだし、街も活気があるとは言えなかった。
それでも店がやってないって・・・。
アルゼンチンで有名な女性といえばまず『エヴィータ』なのだそう。
日本でも実際にアルゼンチンの役者が来て、ミュージカルが上演されていた(2018年7月)。
彼女は15歳で初めて自分の故郷からブエノスアイレスにバッグ一つ、仕事も住む場所も無い状態で出てきた。
美しい彼女は男性に貢いでもらったり、コネクションを作ってもらいながら
次々に地位の高い男性へと乗り換え、自身もラジオDJやモデルとなり上り詰めていった。
そして26歳で大統領夫人になり、自らも国民の指導者として活躍し、夫ペロンを支えたが、
33歳の若さで亡くなったのがその人、エヴィータ だ。
私もアルゼンチンに来るまで、全く知らない女性だったが、映画やネットで調べるうちに彼女の凄みは伝わってきた。
そして、そういったこの国の偉人たちが眠るのがこのレコレータ墓地。
墓地とは思えないほど美しい建物や造形が続いた。
ブラジルほどゾクッと感じれる物もなく、あぁ、アルゼンチンの人って馬好きなんだな~って気づいたくらい。
馬の剥製やら馬をモチーフにした像やら、馬の写真やらがカッコよく展示してあった。
南米ってやっぱりイタリア移民85%の国だからか、結局白人が作ったものって感じ。
なんとなく、先住民の人たちの意向とか考え方とかはそっちのけで社会が作られたんだってことが感じられた。
ペルーなんかがもっと先進的になって他の多くの国と対等できるような現代アートができたらまた違った味を感じられるのだろうけど。
ブラジルみたいに多民族が集まっていて、その人たちが国を作っていてそれでいて、自分たちの国はそれぞれ全く違うんだ!という意識がアルゼンチンでは得られなかった。
もっとも、ブエノスアイレスにしかいなかったのだから当たり前かもしれないけどね!
世界で二番目に美しい本屋。
私のイメージで本屋は駅ビルか蔦屋書店、御茶ノ水の古本屋くらい。
子供の頃は、小岩のpopoの本屋で立ち読みしてた。
H氏は本屋の体験で衝撃的な出来事があったらしい。。
Hが初めて日本を出て海外に出たのは26歳のこと。
初めて渡った先はアメリカ。英語も話したこともない。海外なんて中国もバリも、ハワイも行ったことない。
そして、日本の本屋とのギャップに衝撃を受けたという。
そのころの日本の本屋といえば新書なのか中古本なのかどっちともつかない店の中で、店主の親父がハタキで書籍の上に積もる塵をはたきつつ立ち読みする輩を追い出す時代。
それが、大国アメリカに来たらどうだ?
今の日本の蔦屋書店にあるように、利用者は自由に本を読んでいたらしい。
H「そりゃ、読めば興味も湧くし、愛着も湧くし、独占欲も出てくるから結局買うよな~」
確かにこれはその通りで気に入った本ならば、家でゆっくり読みたいだとか、浜辺で、土手で、家の窓際で読みたい!と思う。
このブエノスアイレスの世界に代表する本屋でももちろん同じようなことがされてていた。
ここに至っては床で読む人さえいて居心地もよかった。
私たちの先輩からペルー人が知り合いで、アルゼンチンに住んでる!是非会ってみて!
との連絡が入っていた。
何でも、政府に勤めている方だとか。
そんなに忙しい人が?と思ったが、合間をぬって夫婦揃って会いに来てくれた。
こんな地球の裏側でどんな話ができるのかと思いきや、彼らは日本に住んでいたのだと言う。
しかも、奥さんの方は日本に行ってしまった男性を追いかけに行って、結婚したのだとか。
ロマンチックで行動力のある女性だ。
今もその話を嬉しそうに楽しそうに話している二人は素晴らしいナイスカップルだった。
魚が恋しいでしょ?とペルー料理に招待してくれて、ペルー料理と寿司をご馳走してくれた。
そこではあの#かおたんラーメンや今は無き、#Yellowの話に大いに花が咲いた。
彼らは最初の頃、仙台に交換留学生として来ていたんだとか。
まだまだ外国人なんて日本にきていなくて、周りにすむ子供達はみんな目を丸くしてたらしい。
私も東東京にいるのはフィリピーナ・チャイニーズ・コリアン・インディアン・ロシアンくらいのもんだと思ってた。
今やそんなことなくなったもんな。
二人にいつかまた日本に遊びにきてほしいと伝え、お別れした。
急いで電車に乗り込んだ車内はちょっと混んでいて、手にサングラスを持っていたら、扉が狂気の勢いで私の手に向かって来てサングラスが壊した。
これは殺人扉だ。
アルゼンチンビーフを存分に楽しむために、スーパーと肉屋に行ってものすごい量の肉を買って来た。
1.2kgが800円ほどで買えて、これを一晩の夕食に。
前日にレストランで肉を食べたけれど、やっぱり食べきれない!くらい食べたいってことで。
家で調理。
前菜に肉屋で買って来た骨なしの赤身肉。
メインにT-boneの肉を1人一枚ずつ。
かなりボリュームがあったものの食べて見たら食べれてしまう。
赤身の魅力だ。
さっぱりしているのに肉そのものの味が濃い。
日本でも霜降り肉にはそこまでの喜びを感じない私たちにはとっても嬉しい美味しい肉だった。
アルゼンチンビーフ最高!
この肉なら一生食べれそう!だから、アルゼンチンは肉の国!
次にアルゼンチンに来るときは必ずパタゴニアに行くぞ。そして、この美味しい肉とアルゼンチンワインで乾杯するんだ~。
そして、遂に遂に!!ヨーロッパへ。