カチャン村ではもう一日原付二人乗りツーリングをした。
この日は前日よりもさらに道が過酷だった。
斜面は砂に覆われていてタイヤを持っていかれて何度かバイクの車体ごと倒れそうになり私は後ろに飛ぶ様にして降り、H氏が踏ん張ってバランスを持ち直す、というアクロバットなツーリング。
それに底の見えない水たまりも…。
底が土だったらタイヤを取られてそのまま動けなくなり倒れることは想像出来た。
仕方なく私が先に歩きで渡る。
すると、それを見ていた近所の人がニコニコしながら行け行け!そのまま行け!とジェスチャーしてくる。
まるで動物が初めて階段を降りるときみたいにH氏は水たまりの手前で狼狽えていたが「行け行け」合図に心を決めた様で水溜りに突進。
入ってみると底は石がたくさんあった様で結局ハマることはなく通過。
こんな道でもトラックやらバイクが結構な勢いで通り抜けて行く。
“慣れ”が解決してくれるようだった。
この日の最終的な目的地に到着。7段の滝を見たがこれもまた神聖な場所とのことでオレンジ色の服を着た僧に出会った。
滝のすぐ近くには特に柵もなく、注意書きも無いので人が入って行っていたり川沿いでピクニックをしたりしており、穏やかな雰囲気が漂っていた。
その日ホテルへ帰ると昨日一緒にご飯を食べたフランス人の親子が座っていた。
まだ16時だというのに肌寒かったので、早めに風呂に入ろうと駆け込んだ。
夜になると寒くて水シャワーで風邪を引く可能性があるので風呂は夕焼けの前。
夕焼けを眺めたら夕食、就寝。とそんなリズムなのだ。
ところがその日はなんとなく様子が違った。
なんでかオーナーが酒をフランス人親子やH氏に勧めているのだ。
どうしたのかと思いH氏に聞くと、今回の宿泊費とバイクレンタルの紹介料が入ったんで宴会を始めたらしい。とのこと。
なんだ、そんなことか。と思って見ているとすごい勢いでビールやおつまみが追加される。
前日までは一滴も飲む様子を見せていなかったオーナーだったがこの日は全く違うのだ。
飲んでくれ、飲んでくれと止まらない。自分もニッコニコしながら飲み続ける。
特にビールは6000キープ(約70円)だというのに飲むのも飲ませるのもやめない。
たかだか70円のことだが700mlボトルに入っている彼が買ってきた米焼酎に比べたらビールはかなり高価なもの。
それでもビールがどうやら好きならしい。
幸せそうに仲間も呼んで飲んでいた。
聞けば彼はもともとバイクタクシーだったのだとか。
それが少しずつお金を溜めてトゥクトゥクドライバーになり、今はホテルのオーナーになったと、そういう話らしい。
(上の写真はオーナーの寝床。彼は部屋を持っていない)
バイクタクシーのドライバーをいつ始めたのかまでは聞かなかったがおそらく15〜18くらいの歳からだろう。
そう考えるとうまく階段を登っている様にも見えたがそれでも一泊600円の宿が3つ。
そしてその収入はおぼつかないとなるとやはり色々と難しいのだろう。
32歳、結婚はまだだと言っていた。
どこの国でも結婚は難しい問題ということか。
翌朝、私たちはラオスへと向かうバスに乗っていた。
カンボジアでは移動の際はホテルオーナーに依頼すればホテルからバスに乗れるよう手配を組んでくれるのだ。
今回のバスは乗り換えがあり、一度私たちはサービスエリアの様な接続所に降ろされ、次のバスの時間を聞くとそれは1時間後に到着する予定だと言われた。
まだ時間があっため800円近く残っているカンボジアキープ(紙幣)を使って日用品を買いに出ることにした。
しばらく歩くと商店を発見し柔軟剤を購入。
すぐ後に柔軟剤ではなく洗濯剤が欲しかったのだと思い出し、一度戻って店の人に声をかけるも、英語が通じず結局柔軟剤を持って帰った。
その後の帰り道にPIZZA屋を発見し時間が40分以上残っていたためシーフードピザを一枚注文。
すると、店員の女性が魚の練り物をこれでもかと積み上げて、電子オーブンの様な機械にピザを入れた。
ここならバスに間に合いそうに無くなってしまいそうになればH氏が出て来るだろう。とそちらをチラチラと見ながらピザを待った。
5分ほど待っただろうか、ピザが出来上がり早足で戻る私を見つけたH氏が手を上げて慌てふためいていた。
何事かと思うと、バスが行ってしまったらしい。
H氏「バスが予定よりもだいぶ早くきて10分も待たずに行ってしまった。という。
すると接続所の中年の男が「バイクに乗って追いかけろ。バイクタクシー代は二人で$4-でどうだ?」
ここで一泊するわけにも行かず金額を飲むことにしてバイクで走った。
走って走って、原付バイクに大荷物を乗せたまま時速50km以上は出ていたのではないかと思う。
踏ん張らなければバイクから転がり落ちそうではあったが、最悪の事態にはなっていなかったせいだろうか、笑ってしまった。
バスに追いつき乗車して見ると、乗客はフランス人カップル1組だけだった。
それで私たちを待たなかったなんてしょうもない奴らだ。と考えながらカンボジア風ピザを食べた。
すると前に座るフランス人が声をかけてきた。
これからラオスの国境を越えるとあって不安なのだろうか。
「バスが先に行ってしまっては困るから私たちと一緒に行動しよう。」そう言ってきた。
私たちもまたバスが行ってしまったら困るのでその話に乗ることにした。どうせこのバスには我々4人しか乗っていない。
そうしてカンボジアとラオスの国境に着くと、ドライバーがここだ。と言って我々に降りる様に言った。
そしてH氏が荷物を持っていくべきか確認したが特に必要とも不要とも言われなかったのでそのまま歩き始めた。
バスが止まったのは国境手前の道路で、出国審査オフィスからはかなり離れていた。
カンボジアからほぼ手ぶらで私たちは歩き始めた。
顔写真と指紋の認証がある。これは入国時にも踏んだ手順で問題なく行う。
そして出国stampの段階になって、オフィサーから一言。
「$2-」
「What? I don’t pay for you.」
彼はスタンプ代として2ドルよこせという。
が、2度ほど金がない、お前に渡す金はない。との押し問答の後、スタンプが押されて投げ返された。
なんだこいつ。と思ったがとにかく払わずに済んだ。
ラオスへと移動する前に入国ビザについて調べた。
すると日本人は15日以内の滞在であれば入国ビザ不要。と記してあった。
のちにマレーシアやインドネシア、インドについても調べたがそこにも所定の条件を持って日本人の入国出国のビザは不要との記載があった。
ちなみに日本のパスポートであればおよそ165カ国への入国がビザなしで可能である。なんともありがたい。
フランス人カップルは1人につき$30のビザ料金を徴収されていた。
これも政治的歴史の結果の一つというところだろう。
そしていざスタンプを押してもらいにいくと、ここでも$2を請求された。
ここでも金がないと言い張ったが、入国審査はかなり厳しい。
$2をなかなか払わないでいるとラオス人女性のオフィサーはキレ始めた。
色白で眉が濃く、ゴールドのアクセサリーや偽シャネルのピアスなどを身に付け、手にはiPhoneを持っていた。
「$2が払えないならばカンボジアに戻ったら?」
ひどく憎たらしそうな表情で私をジロリ、と睨みつける。このケダモノが!とのラオス語が飛んで来そうな形相である。
この$2、地元のラオス人ですら払っている様子でバスの添乗員がここにきては金を挟んで10数冊のパスポートを渡していた。
$2くらい払った方がいいのかもしれない。と思ったところ、すぐにフランス人カップルが来て言う。
「その調子よ!諦めないで、笑顔でもう一度!」
なぜか励まされて再チャレンジする。
が、$2払えないやつに用事はないとの顔で睨みつけられる。ひどい形相である。
もはや鬼の形相、いや地獄から這い出た悪魔の形相。
「そしてそこに書いてあるでしょ!VIZA STAMP is $2!!!」
確かに神はあるがそこに書いてある文字には$1と書いてあるのだ。
自分たち用の賄賂の値上げをしたのならそれなりに工作してほしいものだ。
それからH氏と私たちは払って入国しようと選択しようとするとフランス人たちがくる。
「諦めないで、私たちと一緒にいて。」と言ってきた。
H氏は長い時間の望まぬ交渉に痺れていたようで深いため息をついていた。
忌まわしい慣習はもはや文化のようなものなのだろう。残念な入り口である。
「あなた方の国を見てみたいと思っているし、このスタンプは無料であることはどの機関に聞いてもわかることだ。日本人は15日間の滞在であれば無料で入国できると政府のページにも書いてある。だから通してくれ。」
これをやっても無駄だとはわかっていたが、交渉した。
が、予想通り無駄に終わり、最終的にH氏がフランス人をなだめ、1人$2の高い入国スタンプを押してもらうこととなった。
そこで再度、お金を払うから入れてくれと頼む。
すると、「お前たちはラオス人への敬意(リスペクト)が無い。私のボスからお前たちは入れてはならないと言われているので入国スタンプは押さない。」と始まった。
こいつら根っから腐ってる、お前みたいのがいて何が敬意だよ、自分に誇りも信念もなく生きているのかとげんなりした。
自分の人生に誇りだとか信念なんてものは特に考えたことはなかったがこんなことまでして金稼いで幸せなのかと不思議に思ってしまった。
後に調べるとラオスの国家公務員の月収は$20を切っているそうで、これが士気を低くしているんだとか。
国に力がないのか平和すぎるのか不明だがとにかく初っ端から印象の悪い国だと感じた。
そしてその後考え直したが結局のところ窓口に座っていた女性2人は彼女たちの BOSS(男性)に指示されたことを言ってるらしいことは目に取ってわかった。
彼女たちは仕事にしがみ付いて生活するために必死なのかもしれない、彼女たちはこの$2-が一体どういう意味でどんなお金なのか知らないのかもしれない。と考えるとどうも複雑な気持ちになった。
教育と知識の上に富が成り立つとはこういうことか。と思わされる印象的な瞬間だった。
2時間以上の格闘の末、フランス人カップルと我々4人は結局、1人$2を支払い入国した。
腹立たしい時間だったがそれはまだ続いた。
今度はバスがいないのだ。
入国したら向こう側にいる。と言っていたはずのバスがいくら待ってもいない。
可能性としては荷物を持ったまま何処かに行ってしまった。
それしか考えられなかった。
そこらじゅうの人に聞いて回り途方に暮れているとバンがやってきた。
そしてドライバーは切れ気味で言った。
「お前たちドンデットに行く人間だろ?さっさと乗れ。連れて行くから。」
だが、バッグがない。誰1人としてバッグの行方を知らない。
と、そこへカンボジア側の女性がバイクで来る。
カンボジア女性「あんたたち、バッグ探してるんでしょ?さっき行ったじゃない、忘れてるわよって。あそこに置いてあるわよ、ずっと前から。あそこよ。あの店の前!!」
彼女も切れ気味だ。
それもそのはず、 H氏は入国スタンプをもらうためにあれこれやってる間に彼女にバッグのことを言われたそうだがフランス人カップルに「話すな、騙されるぞ!」と言われたのを信じて彼女の言葉を聞かなかったらしい。
そこらじゅうの人たちが私たちに怒り呆れ返っていた。全員に謝りながら荷物を取りに行くと無事全ての荷物が放り出されているのを確認した。
この3時間で誰を信じればいいかなんてやってみないとわからないことを再認識した。
バンは猛スピードで走り、川の辺りまでやってきた。
そのまま降ろされると今度は船に乗れと言われた。
船は小さく、屋根こそあるもののすぐに流されて沈みそうなものだった。
それでもエンジンを唸りあげながら川を渡って行く。
小さな島や小さな草むらが次から次へと現れた。
それは今までに見た事のない景色。
着いた先は船着場も無いなんとなく階段のようなものがあるそんな質素で言い方を変えれば粗末なものだった。