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“The Travel Story 66” -温泉の国・中世の景色- 【ハンガリー・チェコ】

Darlingtonの空港でAnaとJamesと別れると、私たちはイギリスのヒースロー空港へと向かう。

イギリスをでて東欧の国々を巡る時がきた。

9月9日のことだった。

ハンガリーへ

イギリスを出るということはスペインのイビザから続いていた友達の家を巡る旅が終了したことになる。

遂にまたここから自分たちで考えてルートを進まなければならなくなったか~!と二人で話していたが、それは気が早い。

Hの大ファンであり、親友であるBenはこの後の旅路にもHと共にしてくれた。

ここまでくると、もはやBenはHの友達であり、ファンだろう。

彼はHを追いかけてスリランカにも来たことを覚えているだろうか?

そうだ、あの彼だ。

今回はBenとそして、Marioが一緒。

私たちがヒースロー空港に到着するとすでに二人はラウンジに入っている。

Benが貯めてきたポイントでラウンジに入れることになったMarioは大喜び。

ヒビの入った画面に壊れたカメラのスマートフォンで動画や写真を撮りまくっていた。

そして、ちょっと私がカメラをちらつかせようものなら・・・・

「ちか!そのカメラで俺を撮ってくれ♫」

と、始まった。

写真を撮るのは大好きなのに、カメラは大事にできないらしく、買ってもものの数秒でぶっ壊すことができるらしい。

脅威の破壊願望・・・。(それは違う)

ヒースローから向かうのはハンガリーのブダペスト。

VIP

西ヨーロッパの物価の高さにはもうコリゴリだったので早々に東へと向かうことにした。

本当は、アイスランドに行ってみたかったけれど、世界の中でもトップの一つに入るアイスランドはさすがに・・・この旅では無理だよね・・・。と諦めた。

飛行時間は2時間半で私は夫Hと並んで座っていた。

すると前の方から、ニコニコと大きなMarioが体を小さくしてやってきた。

「これ、あげるよ!飲み放題なんだぜ!Benのとこに機長まで挨拶しにきてさ!」

とVIP扱いをゴリゴリに楽しんでるようだった。

お金には興味が無いくせに、VIPな席やホテルは大好きな大学生のようなMarioは子供のようにはしゃいでで面白かった。

このくらい楽しんでくれたら連れてきた方も嬉しいのかもね!

ブダペストに到着すると、タクシーでホテルへと移動する。

一流ホテルに泊まる

Benが予約したのはヒルトンホテルだった。

スペインでお祝いしてもらったのに、これでもか!とまたBenがお祝いってことでいいから~と。

本当に、Hのこと好きなんだね。

私もそんな男前な女になりたいよ。

アダムがセレブレティな体験をさせてくれた。

部屋は広くてヨーロッパなのにお風呂もついていて最高だったし。

エグゼクティブラウンジなんて使ったことのないものまで使わせてもらった。

お酒も無料!軽食も無料!

部屋はキングサイズのベッド。

最高に気持ちよかったな~。これまでは古くて軋むベッドだったり、汗染みがついてることもあったし、使い古しすぎて真ん中が凹んでたり。

シーツにアイロンまでかけてある肌触り良くて清潔で寝心地のいい最高級のベッドがこの旅に登場するとは思いもしなかった。

MarioとBenの部屋の方が眺めが綺麗だったけど。

Marioは貧乏性でホテルから外出しようとすると必ずラウンジのドリンクを一本持って出て行った。

同じグループの人間として恥ずかしかったけれど、半分は面白くて黙っていた。

その後ビールを飲みに出た。これがその場所に着くまでが長い長い。

ものすごい歩いたもんだから「お腹すいた・・・」って言ったら食べていいよ。って言われて、餃子食べたんだけど、

アダムに「信じられない、お腹すいてないでしょう?あんなに食べたのに?」と驚かれた。

お腹すいたんだよ。仕方ないでしょ。

久々の餃子&ビールに湧く夫婦

ruin bar(廃墟酒場)

Ruin Barというのは廃墟を使ったバーのことでハンガリーではこのスタイルが人気らしい。

Barもあればクラブもあった。

私たちが行ったクラブは、音楽は好みのタイプではなかったせいかなんとなく中を徘徊して、別のbarへ移動。

Ruin Bar って廃墟って聞いてたからもっとガチャガチャして
オンボロなのかと思っていたけどそう言うことではなかった

怪しい陽気な男Shecofの過ち

その時出会ったShecofって東欧のどっかの国の男とみんなで話していたら、Shecofがニヤリといった。

「俺、さっきいいもの買ったんだ。」

「何。?」

「コーク!」

「コーク、?本物?」

「今から試してくる。お前たちもやるか!?♫」

「ああ、そうだなあ。」

「まあ、急ぐことはないさ!ちょっと待ってろ!」

Shecofは嬉々としてトイレに向かった。

数分して帰ってくると眉間にしわを寄せて苦しそうな顔をしていた。何があったのだろう?

S「最悪だ。ゲフッゲフ・・・こんなのありかよ!」

B「何だったんだ?偽物だったか?」

M「なんだ、偽物つかまされたのか?」

S「うるせーよ、本物だと思って買ってるんだから思い切り吸い込むのは当たり前だろ!」

B「一気にやったのか?」

S「一気にってほどじゃないけど、勢いよくな。ゲッンゲッフ」

B「でどうだった?」

S「鼻の中が気持ち悪い。小麦粉を吸い込んだみたいなんだ・・ゲフ」

C「(爆笑)小麦粉鼻に入れたの?(笑)勢い良く・・・?(爆)」

H「ちか、やめろよ、Shecofもビールでも飲んどけって」

みんなでそのあとは大爆笑だったけれどShecofは最悪・・・と言う感じでしかめっ面だった。

数時間経って酔っ払って、Shecofに別れを告げるとホテルに戻った。

次の日の朝は、まだまだ酔っ払いで具合も悪く起き上がるのは心底面倒だったけれど、勢いでレストランへ行き、みんなでこれでもかって量の朝食をブッフェで楽しんだ。

食べたな~。

なぜかいつも撮らされるMrarioの写真

Benがワッフルを作ってもらうために色々と教えてもらっているシーンはなんだか見てて笑えた。

朝食を食べる席の窓の向こうでは観光客がワサワサと集まって記念撮影をしているのを見ることが出来、初めてそこが観光地の真前であることを知った。

ブダペストというとグランドブダペストホテルのイメージがあって、もっと古めかしくてビンテージな雰囲気の街並みがあるのかと思っていたけれど、戦争で壊されてしまって作り直したせいなのかピカピカしておもちゃのように見えた。

最後には温泉に行って見たものの、高いし時間無い(BenとMarioはこの後フライトの予定)ってことで、入場口まで来て中止。

ぶらぶら歩きながら観光して、2人は空港へ行ってしまった。

友だちがいてくれたこと

これが最後の友達との旅だったから、私もHもちょっと寂しくなったね。と話してた。

2人だけでいるのは普通のことだったんだけどな。

思い返せば、8月のイビザからずっと、誰かが一緒にいてくれて、私たちを迎えてくれて、会いに来てくれて、祝ってくれた。

本当に楽しい時間だったね。

イビザも。楽しかった。なぜか私は若干ナーバスになってたけど。

バルセロナもマリオさんが一緒に旅してくれて面白かった。異文化交流な感じが。

生活とか考え方とか、価値観が全く違う人が一人混じるだけでこんなにいつもの雰囲気が変わるんだな~って旅のメンバーの重要性を感じた。

バルセロナ自体もいい街だったしね。

で、まあ、ブダペストの翌日は次の日私が行きたいって言った大聖堂に行って、戻って来た。

悲劇のWIFI問題

その日は朝からwifiが使えなくて、どうしよう?と話してたんだけど、私が、いやこのままなにもしないで、いるのはかなり危機感がある!帰ろう!って言って、帰宅。

それでもう一度試したものの繋がっていなくて、仕方なく近くのショッピングセンターのH&Mのwifiに接続して管理会社に連絡。

全く協力しない姿勢と全く繋がる気配のないホテルに大激怒のHと私。

でも、そんな中でビルの中をブーラブラしてたら、なんと!靴修理屋を発見! Mini Meister!日本と同じマークに日本と同じ名前だった。

Hはここのところビーサンもフィンランドで壊れてしまって持ち合わせていなかったし、Keenのサンダル靴もかかとの縫い目がほつれていた。

これを履いてしまうともしかすると壊れてしまう可能性があるからと、履けなくてずっとスニーカーしか履けずに困っていた。

それで、修理屋をずっと探してたんだけど無くて、やっと見つけた!ってとこだった。

そこで、何分で直せる?いくらくらい?なんて話したところ、600Kcでなおせるよ!30分くらいだね。

とすぐに直せることがわかった。

するとHは飛び上がるように言った。

「Great!(スゴイ!) Perfect!(完璧だ!)」と喜びの言葉を連発。

修理屋のおじさんもそれはそれは嬉しそうにしていた。

結局何度かホテルとショッピングセンターを行ったり来たりしながら、wifiの状況を確かめたけれど直ることは無く、shopping mallに入ってるカフェでiphoneとipadを使って作業。

その前に靴修理にキーンを出して、あとは待つだけ。

次の目的地にプラハを選んで、その日は終わった。

結局ブダペストはほとんどなにも見れなかった。

そして、カフェで次の行き先をチェコに決め、バスチケットとホテルを探した。

今日は9月10日。

ここからはまた旅が始まる。後半戦だ。と心が引き締まった。

チェコへ

ブダペストからプラハへはバスで向かった。

ヨーロッパの国々は日本と違って地続きで、東ヨーロッパはさらに小さな国が多いからバスで簡単にいろんな場所に行ける。

ヨーロッパに生まれたら高校生くらいでキャンピングカーを数人で借りて、一夏を冒険するなんてことがあるらしい。

カッコいいなあ。日本で日本一周よりもなんだかスケールの差を感じちゃうな、

地続き。羨ましい。島国に生まれた者の永遠の憧れ。

こんな立派ななのかなあ・・・

そういえば、チェコを選んだ理由はなんとなく、このまま南下するもの勿体無いしプラハってヨーロッパ1美しい町らしいからと。

プラハに到着して、sir toby hostelってホテルに到着。

この日は疲れて疲れて、どうしようもなかったのと、前の日にハンガリー料理に挑戦したら、ひどく重い肉料理を食べさせられたのとで、

胃が疲れていたから、中華料理を食べた。

ハンガリー料理は肉に小麦粉練った変なパスタだった。

いつ食べても中華料理は私たちの味覚を満足させてくれる。

本当にありがたい料理。中華料理・・・。安いしね!

中国人のコミュニティの強さ、どこの地でも中華料理で生計を立てられる偉大さを知った。

ありがとう、中華民たちよ。うまい!

次の日はあんまり予定も見たいとこも決まってなかったけど、何と無く街を散策。

私が全くどこを見たいとか決めていなかったせいもあって、なにも見れずなにも食べれず!面白くない空気になった。

仕方ないから、次の日何か見よう!とホステルで色々調べた。

チェコで豊胸手術

そしてそこで出会った女の子。が面白かった。

スペインとパキスタンをバックグラウンドに持つ19歳の女の子。サリーシャ。彼女は今イギリスのマンチェスターに住んでるらしいのだけど、

旅行で来たの?と聞いたら、「ううん、おっぱいの豊胸のために来たの。昨日やって来たばっかりで本当に痛いんだよね。」と教えてくれた。

まじで〜とびっくりしすぎて、笑った。

「本気で?親にはナイショの話?」とか色々聞いたんだけど、彼女は結構素直に正直に答えてくれた。

親には秘密では無いらしい。

19歳、私はおっぱいのことなんか気にせずインドにひとり旅していたなあ。

なんだかいい子。と感じたし、寂しがりやらしく、いつも誰かと一緒にいたがってるのが可愛く思えた。

私ってこんなに人と一緒に居たがらないし、全然一人とか大丈夫なタイプかも。

顔は大人だったけど本当に中身は可愛い子供だったから、言うことを聞いてあげた。

胸が痛くてできないからチキンを切ってくれだの、ブロッコリーを切ってくれだのお願いされる全てのことを。

早くママに会えるといいわね。っと思いながら。

プラハ観光

次の日はちゃんと調べた甲斐もあって、こことここみよう!って話もHとちゃんとできたこともあって、観光は上々に楽しめた!

プラハの見所を一周して。

この日は早めに帰って来て、ブログを更新。

してるところにマヨ姉さんから連絡。

ビールがまじでうまい店があるから絶対に行って来て!!!!

とのこと。

U Zlateho Tygra(黄金の虎)

すでに時間は18時を過ぎていた。

けれど、ブログをupして昨日作っておいたご飯を勢いつけて数分で食べると、2人して大急ぎでホステルを出た。

マスターが強面らしいという記事を読んでいたので、恐る恐る店へと入る。

店の中は満席だった。

常連だけのカウンターにありがたくも立たせてもらい、二つビールを注文。

流れるような手つきでビールが出てきた。

黄金に輝くビールだ。

カメラに撮るのは後にしてすぐに乾杯して口へと運んだ・・・。

泡がすごい。

まろやかで、甘くて、でも泡だけじゃない!ビールの味もしっかりする。ビールの液体を飲もうとしなくてもしっかり味の入ってくる泡。

こんなビールは飲んだことない。って本当に笑顔が止まらなかった。

マイグラスを持っている人もいたくらい。

マイグラス持参のお姉さん

日本でどれだけ泡について語ったか。。と言うほど結構私はビールとビールの泡についてうるさかったんだけど、本当にそんなの忘れて下さい!って思うほど美味しかった。

さすがはピルスナービール発祥の地だ。

このBarにはビールしか置いていないらしく、全員がビールを片手に持っていた。

水よりもビールが安く、世界一の消費量を誇るだけある。

それから、今日の幸せについて思ったこと。

一緒に生きているということ。

この旅を今しているのは、私たちは年を離れていることにもある。

付き合ってすぐの時も私は本当に彼が14歳も年が離れていて、

23歳の私から攻撃を受けるH

私よりも20年は早く死ぬのではないか(失礼)と本気で考えて涙を流すくらい、彼のことを思っていた。

もちろん、今も彼が早死にしないように。と思ってる。

だけど、どんなに長くても、一緒に入れるのは40年くらいかな。それくらいしか一緒にはいられない。

いつかはどちらかが先に亡くなって、1人の生活の日がくるんだよね。

そういうの、私は8歳のときに両親の経験で見ているから、本当に現実的に感じる。

「旅って四六時中一緒にいるんでしょう?大変じゃ無い?よくできるね。スゴイね。」

なんて私たちのことを言う人もいるけど、私にとっては、本当にいまが大切な時間で。

一緒にいることが出来て、今があって、元気でいてくれてありがとう。

なんてビールを飲みすぎたのか、私はメモを残していた。

素直でいよう。今日の日を一緒に楽しませてくれて、楽しんでくれてありがとうと伝えておこう。

言えないでいる言葉があるなら、伝えなければそれは自分以外の誰も知らない思いだから。

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