ウユニの旅を終えた私たちは、フランス人カップルのポリンとアレックスと共にローカルバスを利用してポトシという町に行くことに決めた。
ポトシはウユニより北側に位置し、スペインの繁栄を手伝った銀山がある町だ。
スペイン植民地時代、現地人の人々とアフリカから連れて来られた人々が奴隷として使われ、たくさんの人が死んで行った悲しい歴史の残る町。
私たちはこの町(ポトシ)からスクレ、コチャバンバ、ラパスへ向かう予定だった。
その後のことはまだわかっていなかったが、とにかくペルーに抜けて行くことは決まっていた。
ボリビア北上ルート
ウユニで泊まっていたホテルを出ると、バス停へ向かった。
町の中に犬が何頭もいて、その犬たちは犬の社会があるらしく、10頭ほどの大小様々な犬種の犬が追いかけっこしていた。
そのせいか、路上にはコロコロした犬の糞が転がる。
※踏まないように注意。私は何度も踏んでH氏に事あるごとバカにされた。
到着すると、バスの呼び込みをするおばさんに声をかけて、出発時刻と金額の確認をした。
これもチリ~ボリビアツアーで一緒になったアレックスがやってくれた。
ありがたいやら申し訳ないやら・・・。
バスが決まると、小腹を満たそうと外に出た。
小さなショーケースに詰め込んだパンが目に入った。
「エンパナーダ」だ。
ひき肉と野菜を詰め込んで揚げたパンでこの辺りではよく食べられるおやつとご飯の間のようなもの。
2人でそれを買って、バスに戻るとまもなく出発した。
4時間ほどの旅で、ゆらゆらバスに揺られた。
ポトシにはネットで見ていた通り、銀山があり、町からも見ることが出来た。
そして街を歩いてみると、さすがスペインが植民地にしていただけあって、スペインコロニアル風の建物が多く並ぶ美しい街並みだった。
とはいえ、その裏で誰かの富のために人が死んでると思うと嫌な気持ちにもなる場所だ。
今でも学なしで現金が得られると日給$3-でも働きに来る者があとを立たないらしい。
もちろん、病気になる可能性も死ぬ可能性もあるが保険など無い。
そしてポリンとアレックスはこの後帰国予定があるため先を急ぐとのことで最後の晩餐!
ポリンが選んでくれたお店に行った。
ここでポリンはベジタリアンフードしか食べないというのでなぜか聞いて見た。
ポリン「私はすごい胃が弱いから、海外ではお肉は食べないことにしているの。フランスでは食べるんだけど、何かがあって旅行を続けられなくなると嫌だから。。」
ローカル食堂ばかりに行って旅を楽しんでる私たちには絶対無理だ。
と、頭に過ぎると共に、私たちの胃がいかに強いのか実感したような気がする。
私がこの旅で「トイレに入って動けない!!」という事態になったのは、
ネパールトレッキング前日の食べ過ぎの一回と、韓国での胃・腸の疲れがあった時の二回だけだ。
その二回を経てから、「食べ過ぎ・飲みすぎ・香辛料のきついもの」には注意してる。
そのおかげかトイレから出れない事態にはなっていない。
H氏に至っては一度も経験していない。
これには心から両親に感謝。
自分が「健康な体」を持っていて、それによって沢山のモノから守られていることを感じた。
ポリンとアレックスの2人は私たちとの時間を大事にしてくれて、お互いにこの後も旅が無事に終わるように。と話して別れた。
「いつかフランスに行くときは連絡させてね。日本に来るときは必ず連絡してね!」と約束して。
ある日のランチはマーケットの2階にあるローカルな食堂に挑戦。
少しだけ覚えたスペイン語、少しだけわかるものがあった。
Pollo ポジョ(チキン)
Carne カルネ(ビーフ)
Pescado ペスカード(フィッシュ)
これだけでも何とかなって「Esta y este! (これとこれ!)」と頼めた。
観光客が地元の食堂に食べにくるのは珍しいらしく、喜んで出してくれることが多い。
今回は私はポジョ(チキン)のスープ、H氏はパスタとカルネ(ビーフ)の煮物。
私が頼んだスープは出汁がしっかり出ていてコクッと濃厚な味わい。
小さなつぶつぶが入っていてこれがあのスーパーフードのキヌアらしい。
さりげなく入っていた。
H氏が頼んだパスタは見た目にみて伝わるだろうか?
何時間もずっとトマトソースに浸かっていたのだろう。ブヨブヨにふやけたバスタだった。
これに堪らずH氏が命名=「ブヨ麺」。
まさかこの「ブヨ麺」にこの国を出るまで付き合うことになるとはもちろん知らず、美味しかったよ!と親指を立てて食堂を後にした。
今度はラパスを目指すため、バス停がある場所を目指して歩いた。
ウユニから乗って来たバスのバス停に行くとここにはラパス行きはない。と言われ別の場所まで2.5km。
この程度の距離ならもうそんなに遠いなんて思わなくなった。
5、6kmなら射程距離だ。(バスとか乗ればいいのにとにかくスペイン語が分からないから乗れず)
今日の深夜に乗るバスのためにわざわざバス停まで行ってバスチケットを買うのに1日を使うのには骨が折れる。
けれど仕方がない。
ゆるゆる道を間違いながら40分ほど歩いて、大きなバスターミナルを見つけるといくつかのバス会社にラパス行きのバス金額と座席の内容を聞く。
「カマ?セミカマ?」
「セミカマ!セミカマ!!!!」
カマというのはフルフラットのベッドのようになる座席で、セミカマはハーフフラットというかまあまあ倒れる座席のことをいい、これによって1.5倍くらい値段が違う。
セミカマらしいことがわかった。
次は今夜、どこに来ればいいのか聞く。
H・C「Where is the bus station?(バス停はどこでしょうか?)」
スタッフ「¿Qué?」
もう伝わらない・・・。
質問を変えよう。
H・C「Time 10:00pm. Here?」
スタッフ「Si! Time: 10:00pm aquí!!」
H「What?」
スタッフ「Aqui!! Esta noche! 10:00pm!!」
下に指を指すハンドサインが出た。
Noche?は確か夜の意味。。。でもAqui?はわからない・・・。
なんども何度もこのやりとりを繰り返し、おそらく別の方向を刺さないから、ここなんだろう。
早めにきてもう一回聞こう。ということでホテル方面に戻った。
帰りは私の多分スペイン語ってこんな感じ?的な言語力で。
C「Para City Centre? パラ シティ セントレ? (街の真ん中行き?)」
ドライバー「Si! スィー!(そだよ〜)」
C「Quant? クアント?(いくら)」
D「150Bs(150ボリビアーノ)」
C「OK!! Gracias! グラシアス!(ありがとう)」
このやり取りはなぜか出来て自信ついた瞬間だった。
ホテルに戻って調べて見た「Aqui」。
それは英語の”Here”で「ここ」という意味だった。
この簡単なやり取りに、10分以上やっていた気がする。
そしてボリビア人も英語全然話せないんだな〜英語勉強してくれよ〜。
と一瞬思ったけれど、ここはスペイン語圏。
話せない私たちにこれだけ簡単なやり取りを10分もイラつきながらも相手してくれたんだからラッキーだったのかもしれない。
スタッフの2人、ありがとうね。申し訳ない。
そういえば、Potosí、Sucre、Cochabambaへ寄り、ラパスに入って行く予定だったボリビアの旅だが、よく考えてみるとそんなに時間ないよね!
ブラジルまで行って、私たちは7月31日にチリに戻ってないといけないんだから。という話になり、結局ポトシからラパスまでの9時間を夜行バスで飛ばすことに決めた。
そういえば「私たちは7月31日にチリに戻ってないといけない」というこの一言。
この予定は実は2月に舞い戻ってインドネシア・ウブドにいる頃に決めたプランに基づいている。
韓国-スペイン(マドリード)-チリ(サンティアゴ)-スペイン(マドリード)-日本(東京)
上記の旅程の航空券2名分がなんと、17万円(8万5000円/人)だったのだ。
これには乗らない手はないと決めた旅券で、旅程はこんな感じ。
5月1日 韓国ースペイン
5月2日 スペインーチリ(サンティアゴから陸路で移動)
約3ヶ月間でチリ ・ボリビア・ペルー・ブラジル・アルゼンチンの5カ国をまわる予定。
7月31日 チリースペイン
日本 東京行き=捨て
捨てるなら東京は必要無いのでは?と思うが、「東京行き」のチケットを入れないと倍近い金額に跳ね上がる。
これ、どんな仕掛けがあるのかは誰にもわからないのらしい。(チケットを見つけた友人談)
現在ボリビアで、5月半ば。ペルーも見どころたくさん、ブラジルは大きい、アルゼンチンはブエノスアイレスを一目見たい(H氏希望)ということで、私たちはラパス行きのバスに飛び乗った。
(結局バス停はバス会社チケット売り場のすぐそばで何事も問題なく乗車できた)
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