この日はサンティアゴ最終日でありながら私だけ歯医者にもう一度行った。
私の折れた歯に再構築してもらったプラスチックの歯の噛み合わせが悪く、再度研磨してもらい、10分で診療は終わった。
歯医者は英語が通じて本当に助かった。
帰りには昨日、夫のH氏と通った道を1人で歩く。
なかなか綺麗な道が続いているもんだから、1人で長々と散歩してしまう。
そしてそろそろ家(長期旅行からの恋しさかホテルを家と呼び始めた)に戻らないとまずいかな、と電車に乗ってみると記憶にない駅ばかり。
まずいなぁ〜どうするべきか?と考えながらも仕方がないので見覚えのある駅まで乗車して一度降車し、乗り換え確認をする。
英語で話しかけて観た。
「Excuse me? I want to go to this station, how can I go there?」
しかし、全てスペイン語で返された。
うわ~スペイン語圏って本当にスペイン語しか通じないんだ。カルチャーショックだった。
恐いな〜、私スペイン語も勉強しないといけないのか・・・。
飛行機の中で少しだけ勉強したスペイン語を思い出す。
「ウナ 1、ドス 2、トレス 3、クアトロ 4、シンコ 5・・・もうわかんないわ・・・。」
スペイン語は私もH氏も絶望的だった。
そうは言っても電車の乗り換えくらいであればそれでもなんとか意思疎通はできたけど・・・。
これをH氏に共有すると「日本人なんて英語出来たらスゲー!みたいになるけど、外国人はそんなもんじゃないもんな~」とのこと。
チリ人はスペイン語しか話さない人が多いようだったから、へえ~と聞いていた。
素敵なマンションの一室を後にして、バスターミナルへ向かった。
Turbusというバス会社の切符をH氏が購入。
バスの乗り場はこっちかな?と歩いていると、「あんたたち!」とおばさんに止められた。
おばさん「バルパライソでしょ?こっちよ。」
言われるがままについていく。
言葉がわからない国では完全にお子様状態。まるで初めてのお使いのようだった。
連れて行ってもらった所で「Gracias!!(ありがとう)」と元気よく手を振ると、いいのよ!とおばさんは去って行った。
こういう親切のなんとありがたいことか・・・。日本なんて英語全然無くて日本にいる外国人なんてわからないことだらけなんだろう。
バスに乗り込むと、バスの座席がかなり大きく、広く、新しいもので清潔なことに驚く。
チリってこんな感じなの?
いや、みんながみんなそうではないらしい。これが格差社会の象徴か。
とにかく格差がひどいから上の方はこんなバスもあるのだという。
他にもたくさんバス会社はあって、中にはひどいものもあるのだとか・・・。
そうか、これより下はどうなっているんだろう・・・想像もつかなかった。
ヴァルパライソはサンティアゴとはちょっと違う。
どこかのどかな港町の雰囲気。
パッと目があった女の子に笑顔を向けるとその子も満面の笑顔を返してくれた。
いいね、ここもいい場所って感じ!この一発目ってその場所の第一印象だから大事だよね!
本当にこの先がこれに左右されてしまうくらい、一発目は大事なのだ。
そして今回のホテルは、ホステルの中のプライベートルーム。
安宿、だけど物価の高いチリは私たちにとってそこまで安いとも言い切れなかった。
値段は確か3,000円〜4,000円くらい。
アジアでは2,000円もしたらいいホテルに泊まってる方というのが私たちの感覚だった。
ホテルに行くと、すぐにスタッフの男の子が部屋と街のMAPについてわかりやすく教えてくれた。
部屋には外に向かった窓はなく、大きなダブルベッドが横たわるだけ。
壁は薄く、窓は一応あるものの、食堂に面していて部屋の中はなんだか独房の中にいるような感じだった。
バルパライソって街名は日本語で「天国の谷」という意味らしい。
この街はUNESCO世界遺産にも登録されるほど、美しい街並みなのだがここを観ていくうちにその理由がわかるかもしれない。
H氏に連れられてきたという感じで私は前情報も無く、全く想像が付いていなかったグラフィティの町バルパライソ。
グラフィティはこの町の山の上に広がるらしい。
どこから入るのだろう・・・?と迷っていたところ
H氏「階段を登ってみよう!」
ホテルから数分の場所の階段を前にアートの街が見えて来た!!
上へ行けば行くほど治安が悪くなる。と言われているらしいが、特にそういう雰囲気は無い。
そして角を曲がったところにおしゃれな若者たちがいて、音があってパッとみてみるとギターやクラリネット、トロンボーンを抱えた人がいた。
音楽はラテン系ジャズっていうのかな。こんなの日本では見たことないジャンルだな、おしゃれ。
着ている洋服も、おしゃれ。聞いてる人たちも道端でビール飲んでるけど、なんかお洒落。
しかも目立たない場所でやってるのもオツな感じ。
ライブハウスとかじゃなくて、路地裏のいつもの場所って感じで集まってバンドの練習をしているみたい。
スゴクいい!
いいな、なんかこの場所、雰囲気もいいし。初めてだな、この雰囲気♪
東京でいうなら下北とか、三茶。でもそれとは全く違うこの雰囲気。
H氏もそうだし、私もそうだけど、基本アジアで砂と埃でドロッドロになった服のままチリに飛んできたから
(日本で新調したのはパンツだけ)
見た目が見窄らしいうえにダサい。
この上なくダサいアウトドアパンツにこの上なくダサいフリース。
なんでこんな山から出てきたような格好で歩かなきゃいけないんだろうか・・・と、かなりショックで、納得行ってなかった。
けど、街のランドリーを各国で使うと、本当に薄汚れてピンクになったり茶色になったりして、ビヨビヨに伸びたり、めちゃくちゃ縮んで帰ってきたりするんだよね。
だから、「良いもの」を買っても大事に出来ないからそもそも大した服なんて持つもんじゃない。ということでこの格好。
味のある旅人って、その辺の感覚が突き出てて、且つそこ気にしてないようで気にしている。っていう絶妙なバランスなのかと思う。
とにかく、自分は不細工な格好でボサボサ頭で。イライラすらした。
けど、洋服一枚4000円だったとしても!私たち二人分の食事の少なくとも4倍になってしまう。
ツアーに一回行けてしまう。とH氏に説得されて、服は買えなかった。
モヤモヤを抱えながらも面白い場所にきたんだと自分の格好よりもグラフィティを見よう!(気を紛らわせる)
さらに細い路地を歩いていくと様々なストリートアートに出会った。
とにかくそこら中に落書きやアートがあり、歴史的な街でありながら、こんなグラフィティを許す住民の寛容さ、懐の広さに感動した。
別のある日は町の外れの方まで歩いてマーケットの近くに到着した。
平日だというのに、アート作品やリサイクル品などが置いてあり、日曜に行われる蚤の市のようだった。
これでものが売れて生活ができるのだろうか・・・。いや、趣味でやってるんだろう。
これじゃ生活できない、きっとそうだ。
今度は海の方へと歩いていくと、4車線の道路の中央分離帯に楽器隊がいた。
なんだ?と思ってみているとやはり、これもラテン系のジャズミュージックというのだろうか。
日本の街中ではまず聞かない音楽を演奏していた。
彼らは車の信号が赤になると車線に躍り出て、車の運転手のところにチップをもらいにいく。
チャンスは一瞬しか無いのでおそらく大した金額はもらえないはずだが、本当に楽しそうにこれを繰り返していた。
その後、チリで初めて使われるようになった路面電車に乗ってみた。
聞けば南米で二番目に古く、且つ庶民の足として活躍している中では一番古いものなのだとか。
確かに年季が入ったおもちゃみたいな電車だった。
夜はどうなっているのかと出かけた。
あれだけ洒落た人たちがいるんだ。夜もきっと面白いに違いない。
ホステルで教えてもらったバーの通りへと歩く。
バーの通りに着いて一周回ってみるものの、薄っぺらいよく耳にする音楽が流れている程度で大して面白い場所が見つからない。
仕方がないのでさらに先へと歩く。
すると、路上で絵を描く人に出会った。
一枚の写真を置いてそこにチョークで絵をかいている。
なかなかいい感じ。
彼に話しかけると、撮ってくれと笑ってくれた。
さらに彼が何か言いたげにしているのでそれを聞いていると、彼が小さな小包を出した。
パッとみると、乾燥した植物と白い粉。
大麻と薬物だ。
なんと、身近なものなんだろう。
そういえばバルパライソで面白かったのは道端や公園を歩いていれば必ず大麻の匂いがしたことだ。
簡単に手に入るらしい。
それに売買は認められていないものの、所持は認められているらしく種子を販売しているのを何度も目にした。
これは危険と判断しその場を早めに去ることにした。
それにしても突如こうやって歩道の真ん中に絵を描き始めたり道端で音楽をやったりと、活動の自由さには驚かされた。
イノベーションを起こさなければいけない時っていうのは大体が変化が訪れず凝り固まった状態になっている。
ルール・規則は必要だけれど、日本のように大小様々な決まりごとで固めるということは何かダイナミックなことに挑戦するをしにくくする環境つくりだよね、と二人で頷く・・・。
(スケボー禁止、ボール遊び禁止、12時に以降にダンスさせたら違法、などなど・・・色々ある)
そういう意味でこのバルパライソという街は柔軟で新しいものを受け入れ、新たな価値を見出すパワフルさを感じることができた。
この場所には3泊ステイしたが、ほぼ毎日このアート溢れる場所に足を運んだ。
バルパライソは階段を登っていけば行くほど、危険と言われているらしいが、そんな瞬間にも出くわさず安全だった。
ここが「天国の谷」と言われるのは、きっと漁業で食に困らないこともあるかもしれないけれど、美しいカラフルな家々、アート、音楽が溢れていることにあるんじゃ無いだろうか。
そして、ひょっとするとこの国では合法の大麻が自然な雰囲気で定着していることも一つの理由に入るのかも、しれない・・・。