ちょうど6時前。
目標のDovhanに到着した。
すでにここに到着している登山客たちの顔を見ながら部屋に入る。
この地点まで来ると、もう温水のシャワーもお金を払わなければ入れなくなった。
そうだ、もちろんwifiも無い。wifiはだいたいチョモロンのあたりから使えなくなった。
Dovhanはもう今までみたいに暖かくなかった。
Jinuではまだ暖かさを感じられたが、Dovhanは涼しい、というより寒く、ダウンを着込んで夜を迎えた。
この日も山盛りのフライドライスをいただき、夜は早めに寝た。
明日も7時に出発だ。
それまでは生えていた木々もDovhanを抜けていくつかの川を超えていくと、なくなった。
地球の果てに来たんだ。
今までに見たことの無い世界が広がっていた。
動物もいない。鳥もいない。
大きな大きな岩山の上から、美しく輝く水の色。プリズム。
そこから落ちて来るのは美しい透明の水。
濁りのない、美しい水が落ちて来て足元を通る。
年月をかけて丸く小さくなった石たちがその下に眠っていた。
地球の果て。地球の始まり。地球の核。それを見ているような気分だった。
私たちは先を急ぎながら、数10m毎に立ち止まり、あたりを見回してこの壮大な世界に見入った。
Himalaya Hink Cave到着は10時ごろだっただろうか。
そこまで遠くはなかったはずだが、景色に気を取られながらのトレッキングだったため少し時間がかかった。
そして大きなHimalaya Hinkの岩からは次に目指す場所Deaulariが見えた。
それまで続いていた岩山が今度は雪山に変わっていく。
1時間に1回程度休憩を取っていたが、このくらいまで来るとこの休憩中に体が冷える。
寒いので飲み物と食べ物を少し摂取して体が少し休まったと思ったらまたすぐに歩き始めた。
今日はMachapucchre B.C.を目指す。
空気がだんだんと薄くなって来たことを体感しながら、歩き続けていく。
空気の薄さは呼吸に影響するので、呼吸方法を変えた。
二回吸って一回吐く。
ランニングをするときにも取り入れている方法で、とにかく酸素を大きく二度吸い込み、一度短く吐く。
リズムに乗りながらこれを繰り返した。
Deaulariでもダルバードをいただく。
それが終わるとまた、歩いた。
そしてここからが大変な道のりだった。
午後1時ごろから歩き始めたけれど、とにかく標高が高くてキツイ。
頭にズーンと感じるものがあったのでめちゃくちゃ痛い!と思う前に高山病薬を飲む。
痛み止めなのかなあ。あれって。
1時間毎に休んではいたものの、いいペースで歩いてもなかなか着かない。
やっと見えたロッジに駆け込むと「部屋はもう無い。」と断られた。
かなり疲れていたのに、この小高い山をもう一度登り直さないといけないのか。と苛立ちを覚えながらも、向かいのロッジへ。
大きめのロッジと大きめの共有スペース。
ここでいいだろ。
全体的に清潔そうだし。いいだろう。とここに決定。
ここでもロッジは1人200ルピー。安いね~本当に安い。
それでいて、シーツなんかは毎日変えてくれて、毎日洗濯してくれてるんだよ。
しかも場所によってはそれが手洗いの場所もあるんだからすごいよね。
私たちはやっとの思いで到着したロッジで少しの休息をとった。
ロッジの部屋の中はやっぱり寒い。
ここまで来てももちろんストーブも無いし、床は外とそのまま同じ石の板で作ってあるものだから外みたいなものだし、そんなところに断熱材なんてあり得ないからものすごく寒い。
仕方がないから、kidlefireを持って行って、洋服をこれでもかと着込んで共有スペースの空いてる席を陣取る。
そこにいる人たち全員が外と同じ格好をしている。
ニット帽をかぶり、手袋をつけてダウンを着込む。
外じゃないのに外と一緒の格好・・・。本当に寒かった。
夕方になると、夕日がマチャプチュレB.C.を照らす。
ただただ、美しく綺麗だった。
本当に本当にうっとりとゆっくりロゼワインを注いでいくように、瞬く間にピンク色に山を染め、そしてまた瞬く間に濃いグレーの雲の色に変わって行った。
この時間を過ぎると寒さはさらにひどくなった。
部屋に戻り、ひたすら暖をとるように体を丸めていたが、子供の頃、寒い冬に暖かい部屋にいすぎたせいだろうか。
顔の血色が悪くなり、唇が青紫に変わった。
これはまずいな。。とストーブをつけてほしい。と女性にお願いした。
すると、彼女は「ストーブ!?みんなつけて欲しいと思ってないし、つけられないわ。」そんな理由あるの?みんなだって寒そうだよ?と思ったものの、仕方がない。
というか多分ストーブをこちらによこすと自分たちの部屋のストーブが無くなるとか、もしくはそもそもストーブがないのだろう。
「それじゃあブランケットをもらえますか?」
「わかったわ。」
別の男の人が布団を担いで持って来てくれた。
H氏も心配してくれて、ラムを飲め。と珍しく酒を買ってくれた。
骨が痛くなって震えたくなくなるほど寒くて仕方なかった。
こんなにも過酷な状況になるなんて想像していなかったが、状況はすぐに良くなった。
くるまった布団とラムのアルコールのおかげで体温が上がりすっかり元気になった。
この日も焼きそばか何かを食べて、明日に備えて早めに就寝した。
けれどこの日は本当に冷えた。
私たちはほとんど眠ることが出来なかった。
朝になるとトイレや洗面所を使いに行ったが、水道の水が凍ったらしく貯めていた水を使うように言われた。
準備ができると私たちはこの4日間ずっと目指していたゴール地点、Annapurna B.C.を目指した。
ここでもホテルを出るときに「朝食は?」と聞かれたが、「いらないよ、ありがとう。」と断り、先を目指した。
Annapurna B.C.までは距離にして1.7kmほど。
2km無い。普通の道なら1時間ももちろん掛からないが、少し歩き始めてすぐに体の異変に気付いた。
また、高山病の頭痛が襲って来た。
かなり頭が重い。
空気が本当に薄いので何も考えられないのだ。
高山病薬を飲み込み、少しずつ前へと進む。
本当に2,30m進んでは休み、進んでは休みの繰り返し。
このときDvhanあたりであった犬がまた私たちと出くわした。
付き添ってくれているようだった。
ゆったりと進んでいると、太陽の光が上がって来ていることを感じた。
あたりが明るくなりだしたのだ。
そのとき後ろを振り返ると・・・。
太陽が昇り始めていた。
少しずつ、少しずつ、登る太陽は私たちを照らし、地を照らしていく。
周りには1人として人はおらず、私は世界に2人しかいないかのような感覚になった。
白く眩しく強い光は、まっすぐに地上と空を照らし全ての物を照らし、雪や草、岩、全ての物を輝かせた。
それはまるで長い冬が明けたかのように優しい風景だった。
気づけば温度が上がり山の間には風が吹いた。
それはこの世界に喜びの時間が訪れたことを知らせているようだった。
そして今まで見られなかった鳥が姿を表した。
太陽が神様だと信じた古代の人たちの気持ちが手に取るようにわかるような気がした。
高山病と低酸素の状況で頭が朦朧としながらもこの景色を見ながら私は思った。
「私たちはこういう世界を見るために生まれて来たんだ」と。
人間はこういう世界を見て、生き物と世界を楽しみ喜ぶために生まれて来たんだ。
何かを作ったり発展させることはもちろん重要なことだけど、戦ったり、汚染したり、だれかを傷つけるんじゃなくて、自然のもとに寄り添って生きていく。
それが人間に与えられたことなのでは無いか。
ただ、この景色を見る。だけでもいい。
とにかく人は自然の壮大さを知ることで地球に生まれたこと、ここへ来れることのありがたさ、自ら持つ運の高さに気づくのだろう。と思った。
太陽が完全に出るまで、眺め終わると、私たちはまた重い足を引きずりながら、2時間かけて、この山を登った。
到着したのは10時ごろだっただろうか。
Machapcchre B.C.から出たのが一番手だったこともあり、他のトレッカーの到着は見られなかった。
私たちは良さそうな部屋を一つ確保すると、これまで口にしていなかったビールで乾杯した。
360度。美しい山の景色囲まれ、その景色は私たちだけのものとなった。
愛しい景色だった。
その1時間半後、急に景色は変わって行った。
濃く重い雲があっという間に世界を飲み込んで行くのである。
食堂の窓から眺めていたが、どんよりとした雲からは雪が降り始めていた。
やっとの思いで登って来たトレッカーたちが暗い面持ちで食堂に入ってくる。
こうなってしまってはもう祈るしかない・・・。が、その後綺麗に晴れた空は見ることができなかった。
Annapurna B.C.に来ていた日本人の女性2人はここには宿泊しない様子で、少しもその姿を見れずに帰って行った。