山の中に入り、稀に道が消える。
不安になりながらも、人が歩いたであろう跡を頼りに歩き続けた。
歩くにはもうだいぶ遅い時間になっていた。なぜなら、山の天気は変わりやすい。特に午後から夕方は・・・。
山の際を歩き、牛に道を譲り、澄んだ空気に息を飲む。
16時を過ぎていたがそのまま足を動かしているうちに、ふと、川に当たった。
川に当たったと同時に雨が降ってきた。
雨は次第に強くなる・・・。
私は買ってきた雨具のノースフェイス(THE NORTH FAKE “パチモン”)のウィンドウブレイカーを羽織り、その中にHの寝袋を入れた。
Hの寝袋はバックパックに入りきらず、外側にぶら下げるのみで雨対策などなかった。
雨は更に強くなり、なぜこんなところを歩いているのだろう?と不安になる。
C「ポタナはどこですか?」
Hよりも荷物が少ない分早歩きで先の道を聞く。
おじいさん「ここはもうポタナじゃ!」
C「え?もうポタナ?」
おじいさん「そうじゃ、ロッジならその先じゃよ。」
C「そっか、ありがとう!」
そのまま歩き続け、階段を登り切ったところで1人のおばさんに出会った。
おばさん「あら、こんにちは。今日はどこまでいくんだい?」
C「今日はこの辺までかな、雨も降って来たしね。」
おばさん「部屋は?」
C「まだ決まってない。」
おばさん「じゃあ、うちに泊まっていきなさい。ホットシャワーもあるし、いいでしょ?ま、とりあえず見て。」
ちょっと部屋見せてもらうこととするか。
おばさんはスピーディーに部屋を見せて回ってくれた。
部屋にはシングルベッドよりも細いベッドが二つ並んでいた。それ以外は木で出来た小さな窓が奥と手前に一つずつあるだけ。
お風呂はガス式のシャワーでお湯が出ると教えてくれた。
雨が降っていて、もうどれでもいい!と思い即決した。
荷物を置くとすぐにおばさんがきて、夕食は何がいいのかと聞いてきた。
まだ5時にもなっていないのに早く無いか?
私たちはまだいい。とだけ答えて部屋の中や他のロッジがどうなってるのかを見るために周りをうろついていた。
ポタナは小さな小さな村で、家の数はおそらく5、6軒程度だろう。
見て見ると共有スペースを持つロッジがあるらしいことに気づいた。
窓がきちんとある。ただ、中の人たちは外と同じ格好をしていた。
寒そうだ、でも室内の共有スペースで時間を潰せるのは羨ましかった。
18時になってやっとご飯を頼んだ。ダルバートだ。
「ダル」は豆、バートは「ご飯」の意味。ダルバートはお代わり自由のカレーと何品かがつくネパールの代表的な料理だ。
「それともう一つ、ブランケットは無い?」と聞くとおばさんは女性に言いつけた。
女性はインド系の顔をしていて、おばさんはモロッコ系の細い目をしていたので2人が他人であることはすぐにわかった。
そして女性は「アーアー、ヌウーイー」と言葉にならない言葉で何かを私たちに言っている。
ろう者だった。
耳がうまく聞こえない様子だったけど、彼女はここの掃除屋として働いているらしい。もちろん住み込みだ。
布団も二つまとめて出してきた。その細い腕からは想像し得ない素早い動きだった。
彼女が一生懸命働いてくれているおかげでシーツにはアイロンがかかっているようだったしトイレやお風呂は気持ちいいほど清潔だった。
そして、日が暮れると猛烈な寒さが訪れた。
私は持っている服を着込み、暖かそうなキッチンへと駆け込んだ。
「ここにいてもいい?」
「あん?寒いのかい、なんか暖かい飲み物でも飲んで待ってなさい。ほら、メニューだよ。」
おばさんに言われるまま、ホットティーを頼んでHと2人、横にあった椅子に腰を掛けた。
おばさんと掃除係の女性はあれやこれやと料理の準備をしている。
料理をするのはおばちゃんの仕事で掃除係の女性は火の調整にかかっていた。
土でできた壁に土でできた竃だ。
おとぎ話の中のようだった。そしてここも彼女が掃除しているのだろう。
土でできているのに泥っぽさはどこにも無かった。その整った様子に私は彼女が命を賭けて仕事をしているように見えた。
ストレートに感動した。こういう貧しい生活と清潔感は別物だと。そして仕事に掛ける思いと覚悟に感動した。
・
鶏肉をジュッと焼く音、生姜のスパイシーな香り、ぱちっと弾ける木の音。
そして米が炊ける甘くて香ばしいいい香り。
反対側を見れば棚にダルバート用の金色の食器が美しく整然と並んだ。
せかせかと動くおばさんを他所に私たちはおとぎ話のようなこのひと時に沈黙が心地よかった。
貧しい。でも整頓され、清潔だった。
忙しく動いていたおばちゃんは味見をすると、ダルバート用のあの大きなお皿に盛り付けをして私たちの前に食事をおいてくれた。
時刻は7時過ぎ。ご飯を作るのは大変なことなのだ。
布団に入ろうとしたその時。
H「やばい、金足りないかも・・・。」
C「え”!?なんで?」
H「10日の予定だったよね?」
C「・・・うん。」
H「25,000ルピーくらいしかない。」
C「なんで!?」
H「だってこんなにたくさん札が束になってるんだもん・・・。」
C「え~~~~~~~それで何日間行けそうなの?」
H「宿代で一日400ルピー(1人200ルピー)で、ランチに1000ルピー、夜ご飯に1000ルピーで、この後山を登れば登るほど食品の額が上がるから・・・。」
C「ちょっと待って!1日何ルピー必要!!?」
H「。。。。」
C「ミニマム2400ルピー?でも、ダルバートって600以上するかもだもんね・・・。」
H「後、シャワー代がかかったりするから・・・1日大目に見て3000ルピーくらい・・・かな。」
C「そしたら何日?いられる?確実に10日は無理だし。」
H「行けて7日、多くて8日かな。」
C「ちょっと待って、今日あんまり進めなかったのにそれで行けるかな。」
地図を見ると明日中に明後日につく予定だった場所まで行ければ、8日で戻ってこれるかもしれない。けど予定では10日。
C「え~~~~~~~~~~~~~ねえ~なんでちゃんと数えなかったの!?」
H「だってあんなにたくさん札持ってたらわかんなくなるよ!」
C「こんなところに来るんだから数えないとダメだよ・・・もう仕方ないね、明日中にチョモロンまで行こう。(急いで登らなきゃ行けなくなったわ・・・。)」
これで有無を言わさず明日から6時起きの7時出発が決定した。
木の扉に木の窓からは隙間風が入り、かなり冷えた。
この寒さが続いて、さらに寒くなるなんてこの後の8日間・・・どうして行こう。。
まだ1日目の6時だというのに持ってきた防寒具や寝袋を全部使ってなんとか暖をとる。
これから少なくとも8日間はこの生活が続くのに、持ってきた装備で持つのだろうか・・・。
寒さに耐えながらただ目を閉じた。
朝になって、部屋を出る準備ができたところで、おばさんにチェックアウトを伝えると朝ごはんは必要ないのか?と聞かれた。
おばさん的にはそれで食べてるわけだから仕方ないけれど、この人は「お金を集めている」というような感覚が滲んでいた。
そのせいでさらに朝食なんか食べたいとは思わなかった。
その感覚を確信に変えてくれたのは、全ての支払いの際に先に言っていなかった携帯電話の充電料金を上乗せしてきたことだ。
払うこと自体は問題がないのに、後から言われたことでぼったくられた感じが増した。
あの素敵な食卓のイメージはどこへ行ってしまったんだろう・・・。
朝焼けで赤く染まる美しいポタナの景色を見ながら歩き始める。まだ空気は冷たく、肌に刺さるようだった。
今日の移動は・・・。
約30kmの距離だ・・・。
かなりの距離があるけど、多分いけるはず、むしろそこまで行けないとまずい。
私たちは1時間ほど歩くと休憩にチョコレートを食べた。
ポカラの街で軽食用に持ってきたものだ。まさかこれが朝食として必需品になるとは思っていなかった。
そこからお腹が空いても何も言わずにとにかく歩く。
景色が良くて、ついつい立ち止まっては写真を撮っては歩き、とっては歩きの繰り返しだった。
まだ1000m程度だったはずだが、朝から昼間にかけては天気もよく、霧が出ていないのでヒマラヤ山脈が良く見えた。
頭の中で4000m級の山に登ることはわかっていても、到着イメージはまだついていなかった。
12時。やっと昼時。
喜びが込み上げる。ランチにはあの「お代り自由」のダルバートが食べられる。
1日一回だけ、お腹いっぱいに食べれるのはこのランチの時だけだ。
トレッキング出発前夜にポテトフライとステーキを大量に食べ過ぎ、出発当日の早朝から5時間も呻き苦しんだ私はお腹いっぱい食べることをためらっていた。
が、「今、ここで、お腹いっぱい食べなければ、明日の朝までお腹いっぱいもしくは8分目まで食べることはできません!」となってしまった。
不可抗力じゃない。自分の確認が確認しなかったからいけないのだ・・・。まさかということが起きるんだな〜と実感した。
私は嫌だ、無理!もう無理!と嫌がる胃に有無を言わせずに食べられるだけ食べるようになった。
この時の摂取カロリーを計算すると驚きのバランスだったことがわかる。
ダルバートは約700kcal、夜に食べるチャーハン(肉なし)500kcal、それに一日一本のkit kat200kcal、ビスケット2枚100kcal。
上の合計は1500kcal!
このトレッキングでの1日の最低移動距離は5km、そして、最高移動距離は20kmで、消費カロリーは約1400kcal〜1800kcal。
毎日ただ平坦な道を歩くのではなく、階段を登り降りする。しかも、5kgほどの荷物を背負い、酸素は薄い。
これだけ見ても明らかに摂取カロリーが少ない・・・。
だから毎日寝て起きるとペコペコだった。
こんなにひもじい思いをしながらトレッキングをすることになろうとは思いもしなかった。
そしてこの空腹がもともと美味しいダルバートの味を2倍も3倍も引き上げてくれた。
そのおかげか、今までの自分では有り得ない量の食事をすることができた。
二杯目のダルバートも一杯目と同じ量かな?というほどの量が出てきたが時間をかければ平らげることができてしまった。
そしてまた、チョモロンを目指して歩き始めた。
朝ポタナを出発した私たちはデオラリを抜け、トルカを抜け、ランドルンでランチをとった。
既に2時を回っている。
ああ、このまま行ってチョモロンまでつくだろうか・・・。
昨日あんなに登ったはずの山もポタナを移動しようとした時に既にくだってきた。そしてまた登ってきた。
それにデオラリを抜けるにはかなり急なくだりを歩く。展望もなくなってしまい、ただただ足元に気をつけて歩みを進め、さらにランドルックまできたのだ。
本当はナヤプルまで行っておきたかった。
でもそううまく進まない。
私とH氏は2人とも日本にいる頃から体を鍛えていたので絶対行けるし早く行ける方だ、という自負もあった。
H氏は体力維持のために筋トレを。
私は体を動かす方が好きなのでキックボクササイズと合わせて筋トレ。
筋肉痛になると嬉しくなるほど私は筋トレが好きで、H氏も習慣になっている筋トレは生活から外せないものだった。
しかし、歩く能力というのはまた体力や筋トレとはまた少し違うようで、私たちが歩いている横を何人もの他のトレッカーたちが通り過ぎて行った。
その度、私はこんなに急いで歩いているつもりなのに・・・。と悔しい気持ちになった。
抜かさせたくない。
バカな話なのですぐに「お先にどうぞ。」と譲ることになるのだが、どうしてもその時『ああ、また抜かされた・・・。』となってしまう。
仕方ないのに、どうにもこうにも悔しかった。
自分の足の短さや歩き方、肺の大きさ、呼吸の深さなど体の全部が早く歩けない状態だった・・・。
ランドルックからは山を降りて川を一本渡らなければならなかった。
ああ、さっきまで登ったり降りたりしていたものの、あの一番下までまた降りるのか。
そっからなに、あの辺?あれを登るの?
イラっとするくらいひどい道の作り方だと思った。