コロンボでペラヘラ祭りの夜を終えるとすぐに海辺の町、ゴールへと向かった。
もちろん、今回も鉄道を使って。
海辺の町、マウントラヴィニアと違うのは、そこが大航海時代の面影を残す旧市街、コロニアルがあるという点だ。
ここを主に調べたH氏的にもこの地域は行くべき場所だったらしい。
ただし、街の大きさはかなり小さい。歩いて1時間ほどでほとんど一周できてしまう。
ここから歩いて30分ほど離れた場所にホテルを取った。
ホテルはやはり民宿形式で、1階にはオーナー家族が住み、2階に共有キッチンと共有ダイニングがあった。
シャワーはそれぞれについている。
このシャワーがなんとも汚らしくて、臭くて、長居したいとは到底思えない。
外国に来るとトイレ・お風呂が一緒になっているのが普通なのだが、これが本当に私としては許せない。。
先進国の友人たちの家に行くと必ず、シャワーはシャワー室としてガラスで仕切られている。
そうでなくても、防水のカーテンなんかで仕切られているのだが、こういう国にくるとどうしてもそれが無い。
ただ同じ部屋に全てぶち込んであって、シャワーの飛沫がトイレにそのまま飛んで行く。
だからシャワーが終わるとトイレは水浸しで座るとお尻がビッショビショになるわけだ。
腹立たしい。
ホテルには他にドレッドカップル(国籍不明)や
老人夫婦もいたが、どのカップルもあまり交流は求めていない様だった。
ランチを近くに買いに行った。
歩いて歩いて、テイクアウトの店を発見し、今日はフライドライス(炒飯)に決定。
1つだけ頼む。
数分後に出来たものを持ち帰り、ホテルで広げた。
開いてびっくり。
四角い箱、だいたい27cm角くらいあるだろうか。
それにパンパンいっぱいにご飯が詰まってる。
ほとんどコメだけだから・・・この量もまあいいのだけど(笑)
スリランカ料理は基本的に米が多い!炭水化物をこれでもか!と盛って、おかずをちょびチョビいくつか。ということが多い。
しかもコメがサラサラしているせいか食べても食べてもドスッと重みが来ることは無い。
この箱もなんだかんだでぺろっと食べてしまった。
散歩がてら歩いて旧市街へと向かって行く。
ビーチまで歩くと、漁船が見える。
なんだか違う道にきてしまったようだ。
仕方なく無心に歩いていると、漁師たちがこっちを見ていう。
「ヨウ!俺たちのこと、写真にとってくれよ!」
・・・え?なぜ?
「来いよ!」
「ok!」
でもあんたたちのこと写真に撮っても差しあげられないけど。
ま!いっか!
撮ってあげると超笑顔だった。笑
面白かったので、一緒に。
別れを告げて旧市街へ。
門があって、その中に町が広がってるみたい。
石畳の道路が広がる。
こじんまりした道が続いた。
たまにおばちゃんが窓際に座っていたりして・・。
宝石屋さんが多く並ぶ。
本当にたくさんの宝石屋さん。
キラキラと美しい宝石だけど、デザインがイマイチ・・・。
雑貨屋さんもあったりして、おしゃれなお店が並ぶ。
けど観光地価格ということか。なんでも高い。
全てが高い。
コーヒー一杯飲もうにも400円とかしてしまう。
もう何もしたく無くなった。
海際に展望台があると聞いて登ってみる。
そして海辺の展望台の上に行くと、すぐ下に海が広がり、その色が薄い青色でとにかく美しく透き通っていることがわかった。
今日はそこで海に入っている子たちも目にした。
この街はポルトガル・オランダ・イギリスと3つの国が植民地化した場所らしい。
歴史的な建物が並んだ。波も穏やか。静かな海だった。
ゴールの街を満喫すると私はH氏にラトナプラ に行きたい!と申し出た。
「ラトナプラ 」それは宝石の街を意味する。
ゴールから2つのバスを乗り継ぐ。不確かではあったものの、ホテルで教えてもらったバスのナンバーを見て、このバスはラトナプラ に行く?と必死で聞いて、バスに飛び乗った。
一車線の道を大きなバスで進んで行く。
一番前の席を陣取ってよかった。
スリランカのバスの運転手は超ド級に運転が下手くそだ。
どう下手かと言うと、アクセルの踏み方がヒドイ。ブレーキの踏み方がヒドイ。
前の車が進んだ!
アクセル全開!回転数5!
前の車がブレーキを踏んだ!ドリャ~~~~~急ブレーキ!
と、こんなテンポでアクセルとブレーキを踏む。
走行中も無駄に回転数をあげたりするので、寝ることなんてできない。
昔日本にもこう言う運転の人が多かったとか聞くが、単なる危険運転だろ。と言いたくなる。
辛い思いをしながら、3時間。耐え抜いた。
ラトナプラ に到着。
トゥクトゥクに乗り込み、ホテルへと移動する。
緑の茂った場所にあるホテルだ。
このホテルの予約はオーナーが宝石商だと言うことで決めた。
ホテルで信頼できると感じられれば、宝石を買ってもいい。そう言う流れだったからだ。
ホテル(GEM Land)に着くと、オーナーの息子さんと言う男性が私たちを案内してくれる。
ペラッペラの美しい英語で話しまくり、そこにある宝石の展示品を説明し、部屋に案内された。
「君たち、ツインルームを予約したよね?」
「そうだね」
「今回は特別にアップグレードしておいたから。」
「本当に?お金は変わらないの?」
「あはは、もちろん変わらないよ!」
「嬉しい!ありがとう!」
と部屋を覗いてみると、天窓のある、古臭い部屋だった。
もともとこの建物が古いので全くどうしようもないが。
昼間、夕方に着いたのでその日は街をぐるっと回る程度で終わり、次の日、オーナーが宝石のコレクションを見せてくれると言うのでアトリエに連れて行ってもらった。
小さなドアについた頑丈な3つの南京錠を開けるとやっとドアが開いた。
いかにも宝石を置いている建物といった感じだ。
オーナーは私たちを宝石の研磨機のある部屋へと案内する。
1つ目の機会は手で糸を引いて砥石の丸い板を回すもの。
2つ目は日本人が作った研磨機。
そしてその横にあるのは見た目は全く同じだが性能は異なるサードパーティのエセ日本ブランドで中国製のもの。
これを使い分けて美しい宝石に仕上げるのだとか。
オーナー曰く、機械は日本人が作ったものに限るそうだ。
ありがたい評価である。
二階へと連れていかれ、部屋の中に入ると棚には大きな宝石の原石が飛び込んで来た。
どこをみても宝石があった。
こちらが棚の宝石たちに見とれられている間にオーナーはいそいそと金庫を開ける。
二重にしてある扉をヨイショヨイショと開けると、中からいくつものプラスチックケースが出てきた。
そして、机の上に並べると、1つ1つ取り出し、説明してくれた。
これはキャットアイ、これはサファイア、オレンジサファイアに、イエローサファイア、ピンクサファイア、ブルーサファイア。このブルーは濃ければ濃いほど価値が高くて、現在では手に入らない品になっているのだとか。
「イギリス王妃が愛したあのロイヤルブルーはスリランカから持って行ったものなんだよ。」
C「え?盗まれたてっこと?」
O「そうだよ、イギリスがここを統治していたときに王様の王冠を持って行ってしまって、宝石だけ取ってしまったんだ。」
C「それに支払いはなかったの?」
O「もちろん、無いよ!イギリス王妃だもの。」
H「だから嫌だよな、奴らは泥棒だよ!」
ヒドイ話だ。イギリス大英美術館には世界から盗んで来たいくつもの宝石や美術品があるとは聞いたことがあるが、
王妃様もそういうことをやるのか、とびっくりした。
国を挙げて盗人じゃないか。と。
そして返さないなんてやっぱりひどい。
その日は眺めるだけに収めて欲しい!と熱が上がったときに宝石を買うことに決めた。
翌日は何もせず、部屋にこもり、次の日にジェムマインズを見に行きたい!とオーナーに話すと快く知り合いのジェムマインズの見学をアレンジしてくれた。
オーナーのアトリエを見学したあとフラフラと歩いていると、不意に雨が降って来た。
周りには何もない。どうしようか・・・。
H氏とカフェが無いか見渡したもののそれも見つからなかったので少し歩く。
すると、酒場を見つけた。
酒場は前々から入ってみたいと思っていた場所だ。
この際、雨だから。を理由に入ってみた、女禁制の場所のようだったがお構いなく。
そう、この牢屋のような感じ。
ちょっと前まで内戦が続いていた影響を受けてこの形で販売していたんだとか。
暴力行為が絶えなかったのだろうと想像できる。
今は特に危険な雰囲気もない。ただしドラフトビールは8%(アルコール臭い)で出てくるので、二杯も飲めば
バッチリ酔っ払える。
この牢屋スタイル、販売だけの酒屋でも同じスタイルだ。きっとかっこよくアレンジされる日を期待したい!
朝7時ごろトゥクトゥクが迎えに来て、私たちを乗せると何も言わずに走らせて行く。
道はすぐに舗装のない土の道となり、窓のないトゥクトゥクに草が飛び込んでくるような鬱蒼としたジャングルになった。
後ろから追いかける車があればそれは映画のワンシーンにでもなりそうな場所だ。
ガタガタと揺れる車から先の方を見つめていると、視界が開けた。
たくさんの男たちがこちらに目を向けている。
トゥクトゥクが止まると降りるように促される。
笑顔で挨拶しながら入って行くと、泥の池があった。
泥の池の中は綺麗に四角く作られていて、その四つ角に1人ずつ男が立っている。
そしてもう1人、その池の周りを行ったりきたりする男がいる。
さらにもう1人、大きな砂の山から砂を分けるものが。
これは大きな砂の山から砂を分けて他の作業の人に渡す人。
そしてこの渡された砂を池の中にいる男が持っている大きなざるに落とす人。
そして池の中の男たちはザルで受けた砂を泥水に回しながら石と砂を分けて行く。
その数秒の作業の中で宝石を見つけるのらしい。
今日が特段晴れているわけでも曇っているわけでもないが、私たちが見ている間ずっと、絶え間なく、この作業は続けられていた。
ずっと眺めていると、こっちへ来いとまた連れていかれ、今度は川へ。
川にもガラス玉のような宝石が落ちてるらしい。
スリランカの言葉でわからなかったが、これは俺がとった石だ。とそんなようなことを行ってサファイアを見せてくれた。
「すごいね!こんな場所で取ってるの?触らないよ、大切なものだもん。」と触らないでいると、これはギフトだから。
と渡してくれた。
「僕は日本人が好きなんだ、だから特別にね、これはギフト。」
と恥ずかしそうに渡してくれた。
こんな厳しい環境で頑張っている人がちょっと通りすがりの人にギフト!?そんな・・・。
とびっくりして、お金は?と聞いたが、「そういうことじゃないんだ、いいんだ。ギフトなんだ。」
と一点張りでお金を彼は受け取らなかった。
私たちがつけている宝石大なり小なりとも、こういう場所で働いてくれる人がいて、
その人たちが見つけ出してくれるからこそ、私たちは宝石を身につけることができるのだと初めて知った。
さらに今度はさっきの洗っていた砂の山をもともとはどこから持って来ているのか見せてくれた。
たくさんの水が噴き出している場所の横に井戸のような場所がある。
そこを覗き込むと下までよく見えないほど深い穴があった。
これも綺麗し四角く穴を開けて、壁が崩れないように板を売ったりして、工夫していた。
そして、そこから出る水を電気を使いパイプを伝って水を吸い上げている。
すると、ここに男2人が入っていった。
ここに人が入る?理解できるだろうか。
水がこんだけ出ていて、この程度の補強の仕方でどれだけ安全が確保されているか。
ここで死なない。とは多分言い切れないのではないだろうか。
もちろんその数はものすごい少ないだろうから彼らもここで働いているんだろう。
とはいえ、この中はきっと酸素も薄いから酸欠になって倒れる可能性だってあるし、土が崩れて来て生き埋めになる可能性だってある。
それでも、彼らは大金を掴みたいとここで日々宝石探しをしているわけだ。
希望と命を賭けて。
女性が働ける場所ではないけど、私にはできないな・・・。
宝石ってそういう人たちの希望も買ってるのかもね。
目の前の輝きだけじゃないのかも。高すぎる希望は買えないけど・・・。
一頻り見学が終わったところで、ここのボスと思しき人に旦那H氏がお金をわたした。
すると、やはりスリランカ語で「こんなもんいらん!しまっておけ!」と言って来たのだ。
いや、なんて言ったかはわからないけどそんな感じの物言いで受け取らなかった。
そんな小銭いらね~よ!って言われたのかもわからないがとにかくこんな大変なお金の稼ぎ方をして、
こんな途方も無い作業を毎日しているというのに、人にサファイアをプレゼントする心の広さ、ピュアさ。見学代のお金を受け取らない心の強さ。
彼らに別れを告げてトゥクトゥクに乗り込む。
すぐに彼らは作業に戻ったが、私は小さくなるまで彼らを見ていた。
心の豊かさはお金とは比例しないな~とつくづく思い知らされた。
ホテルに着くとオーナーが再度自分の宝石をおいているアトリエに連れて行ってくれた。
今度は本当に宝石を購入するために。
オーナーはアトリエに着くともう一度、これはブルーサファイア、これはオニキス、これはキャットアイ、日本人が大好きキャットアイだよ。などと説明しながらたくさんの宝石を並べてくれた。
「人気のものは好きじゃ無いの」と答えるとオーナーは面白そうに笑って、「それじゃあキャットアイはいらないね!」と外してくれた。
たくさんある宝石の中から、これがいいかもと思うものを1つひとつ手に取り眺めていく。
中にヒビが入っていたり、色がついていたりするものがあるのだがこれこそが自然の中で作られたものの証。
噴火した火山の鉱物の内容や割合によって変わるのだという。
今回私が選んだのはピンク色のサファイア。ピンクサファイアだ。
これも中に2本の亀裂とオレンジ色の濁りがある。
これを私たちは$135ほどで購入した。
値切りについてはしてない。
これはオーナーが宝石商のくせに宝石を身につけておらず、私たちのためにスケジュールを調整してくれたことに人の良さ、誠実さを感じた。
それで彼の言い値で購入した。
ラトナプラ から出て一泊。コロンボにいた時事件が起きた。
キャンディ県の一角でスリランカの民族同士の衝突が発生。
仏教徒とイスラム教徒が衝突し、暴力事件に発展。
その内容に対して有名な坊さんがFacebookにて意見したとかで政府がSNSの規制を行った。
Facebook、Instagram、What’s uppの接続が遮断された。
なかなかの大きな事件に驚いたが、現在のところ周りで変わったことはない。
ヒッカドゥワはコロンボとゴールの間にあるリゾートだ。
旦那H氏の大親友アダム氏がヒッカドゥワで遊ぼう、という話でコロンボに待ち合わせていた。
アダムはイギリス人でイギリス在住。45歳にしてリタイアした。
今は家族もいるけれど自由の身。3泊だけするためにここに来た。
コロンボで一泊していた私たちも彼を迎えに朝コロンボ駅に到着すると彼もすでにそこにいた。
いつも通り、ハーフパンツにTシャツ姿で。
なかなか旅している夫婦のところに遊びに来てくれる人なんていないもんだけど、彼は本当の例外。
いつも私たちのために安い飛行機を探してくれたり、隙を見て会える機会がないかと考えてくれて提案してくれる。
仕事も45歳でやめて、家族と友達との時間を楽しんでるなんて本当に尊敬してしまう。
そんな彼にも今回は私たちのルールと同じように動いてもらうことにしてもらい、3人分列車のチケットを購入した。
コロンボからヒッカドゥワまでの乗車時間は2時間半。
アダムさんは列車に乗るとすぐにこの列車がイギリスが作ったものだと気づき嬉しそうにしていた。
ここで私は通路側の席に座っていて、その時隣に座っていたのは現地人の男性だったのだが、
ほとんどヒッカドゥワの近くまで行った時、男性がトイレに行った。
私はそのまま、そこに座っていたのだが、戻って来た男性はスリランカ人ではなくどこの国かの白人男性と
その胸に抱かれた女の赤ちゃんになっていた。
パッと後方の方を見ると、「私はもう座らない。」というジェスチャーをしてくれた。
こういう行動がスリランカ人は早い。
バスに乗っていても、女性を必ず先に座らせる。
ジェントルマンなのだ。
バスに乗るときにどこどこに行きますか?と聞くと、バスの運転手も半券配りのお兄ちゃんも「そうだ、乗れ乗れ!」とか、「これじゃない、あれだ!急げ!」とか教えてくれる。
乗車した後、不安げにこちらがいつ降車すればいいのかとマップを見たりしていると、それを見ていた乗客の人たちまでが「次だよ、つぎが〇〇。次で降りるんだよ。」と優しく教えてくれるのだ。
このおかげで私たちはスリランカの公共バスに挑戦することができた。
とにかく、優しくそしてその後必ず微笑んでくれる。これがスリランカという国だ。なんてチャーミングな国なんだ。
この国のおかげで私はたくさん笑えるようになった。とすら思う。
ヒッカドゥワに到着してホテルへ行くとそこは一軒家だった。
2つのプライベートルームと大きなダイニングルームのある部屋。
朝にはスリランカ式ブレックファストもついているという。
素晴らしい場所だった。
昼過ぎに到着するとアダムさんがシャワーを浴びるという。なんとここに着くまでに3日ほど掛かったらしい。
アダムさんは飛行機のマイルを貯めることが趣味で、遠回りしてでもマイルを貯めることに努めている。
私たちにはなかなか理解しがたい事実だ。
そもそも遠回りして時間をかけてまでして、マイルを貯めるなんて時間がない。
もはや天空の人の趣味だ。
そうして少しの間ゆっくりするとやっと私たちは海へ向かい、ビールをのみ、ランチは1時間待ってやっと2人分しか来なかった。
これがスリランカだ。侮ることなかれ。
翌日、翌々日共に私たちはビーチへ行ったりバーに行ったりしてリゾート気分でスリランカを味わった。
最後、スリランカ空港へは私たちだけのためにアダムさんがチャーターしてくれたワゴンに乗ってひとっ飛び。
最後の最後までSNSを使うことはできず、結果コロンボで出会ったニラン君との再会は果たせなかった。
ネパールへと飛んだ。