バンルンという州都のホテルでは湖を見た以外は次の場所のリサーチなどで外出しないでいた。
2日目の夜ドイツ語を話す3人組の西洋人の若者がやってきてビールを持っている私に「Hi, let’s drink together!! It’s a social drink!」と声をかけてきた。
一瞬考えたが、これが旅では初めての旅人同士の宴会だと思い出すとH氏を誘った。
3人のうち2人はドイツ人、1人がスイス人で何本買ってきたのか不明だったがテーブルの上にはたくさんのビールの空き缶があった。
聞けば3人はベトナムでバイクを買ってきてそれを乗り回しながら東アジアの国を回っているのだそう。
ベトナムからラオスを駆け抜けて国境を越えてラタナキリに到着したばかりだという。
そして言語の話をすると、ベトナム人に英語を教えるのはかなり簡単で、挨拶と自己紹介程度のものだという。
確かにその程度であれば日本語と英語で話せるがベトナム語がわからない私たちがどのようにして教えることができるのかは不明のままだった。
その後ドイツ語の女性詞、男性詞について話をしてくれたがどれをとっても意味がわからなずこれについても不明のままとなった。
日本語についてH氏が「日本語の新聞はおよそ2000~3000文字を理解していないと読むことができない。」と言ったところ感嘆の声が漏れた。
そして彼らの一人が言った。「英語は一番馬鹿な言語だよな。」と。
今度はこちらが感嘆する番だった。英語勉強はしてもしても身につかないと思っているのになぜ・・・。
これについてはこの後に読んだ本に書いてあった。
日本語と英語という言語は正反対の位置にある言語で、我々日本人が使いこなすようになるには3年(3,000時間)の勉強時間が少なくとも必要。
それに対して西欧圏の人々が使う言語は英語に準拠している、または方言や訛り程度のものが多いので1年(1,000時間)もあれば使いこなすことができる。と、されていた。
しかも、日本での英語授業の総時間数は約1,000時間に満たない程度。らしい。
なるほどこれでは学校英語では身につかないわけだ。と思ったが、どちらにしても英語がレベルの低い言語だと言われ衝撃だった。
州都の町からカチャン村へ
「ホテルのオーナーが迎えにきてくれるって、10時半くらいに。」
H氏から聞いていたので準備をして待っていた。
バイクがホテルの前に止まったので見るとニコニコと愛想の良さそうなカンボジア人がこちらを見て挨拶をしてくる。
H氏「そのバイクできたの?これでいくの?」
そうだというが我々はビッグサイズのバックパック3つの大荷物なのだ。その上2人の大人は無理だろう。と思って見ていると、彼は「ちょっと待ってくれ」と言うとその場を離れた。
どうするのかと見ていると、もう一台バイクが現れた。
結局二台のバイクで4人の大人と3つのバッグパックを移動させることになった。
ホテルオーナーは大丈夫大丈夫!と言うが、私たちは、こんなことやんの?本当に?落ちない?大丈夫?
と不安と疑いの目でしか見れない。
が、乗ってしまえば彼らも慣れたものでものの15分程度でカチャン村へは着いてしまった。
Tree Trail Lodge
そして部屋に案内されて一瞬、引きつりはしないものの驚いた。
木でできた家の床から下の土が見えていた。
「外じゃん。」
一応側面はきっちりとしているが、ドアと壁の間にも隙間があり、隣の部屋との間の壁が天井までない。
隙間だらけなのだ。
これはこれはすごい部屋じゃないですか。救いなのは高床式だってことかしら。
ところでトイレとシャワーってどこかしら?と出ていくと。
案内された。ここだ。
なるほど~これはこれは、初めての体験ですね。と眺めてしまった。
なぜなら、よく掃除されていて清潔ではあったものの古いし壁に穴も空いていたから目隠しはあってないようなあるようなものだったからだ。ほほ~なるほどと納得してもいないのに納得しているようななんとも言えない感想しか出てこなかった。
でも考えてみればこれでもありがたい方かと思った。
なぜならば昨日までいたあのホテルと同じ値段ではあったけど、ここはそれにプラスして美しいサンセットが待っていたからだ。
600円程度で二人も泊まれてしまうのだ。
信じられますか?シャワー付き・水飲み放題・お湯沸かしポット使用可能・美しい夕焼けつき!
これで文句を言っていてはいけない。と二人気づくとどう楽しく過ごすかが重要だと考えることができた。
3泊4日したうちの中2日はバイクを借りて駆け回った。
原付ツーリング
1日目は私が見てみたいと言って村に行くことにした。
”独特な文化を持つ少数民族”を見にいけると期待してバイクに乗った。
ホテルのオーナーから注意点を一点教えてもらっていた。
「そこの道はとても砂埃がすごい。」と。
ただしそれがどうすごいのか、どう避けるべきなのかわからなかったのでいつも同じような格好で出かけて行った。
街を過ぎて少し行くと、舗装された道が急になくなった。
茶色い丘を削り落としてできたかのような道があり、そこを進むことになった。
とにかく村を見てみたいのであれば先に進むしかない。
シェムリアップでも原付ツーリングはしたが、所々大きく陥没している部分はあったものの道は舗装されていた。
今回はそれもない。赤褐色の砂のような土に覆われた道を進むしかなかった。
持ってきていたスカーフやストールで顔面を守って砂埃の中を突き進む。
ホテルを出て2時間くらいだろうか、走り続けた。
すると町がやっと見えてきた。
その先に川があって、そこに船があるという話で船を10分ほど待つと船が来た。
小舟三艘をいたでくっつけて一つの大きな船にした感じの頼りない船です。
とりあえずそのままバイクで乗船。
後から後から人やバイクが乗り最終的には車が乗ります。
こんな大きないかついトラックまで乗ったら沈むんじゃないかと不安になるが、これを毎日のように使っている人たちは動じない。いつもの風景の様子。
そのまま上がって行くとまた町があり、ここが中国人の町とラオス人の町だと知る。
肌が白く日本人に近い顔の人たちが多い。
中国人ってこんなとこにもいるのか。
移住者もカンボジア人と同じ様な様式の家に住むのか。と、バイクに乗ったまま眺めていると、子供たちがそこら中にたくさんいて声をかけてくる。
HELLO~!!
HELLO~!!
そこら中の子供たちのほとんど全員が声をかけてくるので答えるこっちは有名人になったかの様にずっと手を振りっぱなし。
みんな本当に笑顔で人懐っこくて可愛らしい。
それはここにいる中国人やラオス人以外のカンボジア人もそうで、とっても温かい気持ちになる。
そのことでホテルのオーナーに聞いたところ「Just friendly! No means!(フレンドリーなだけだよ、意味なんてないよ~)」と言われた。
それほど日本では考えられないくらいフレンドリー。見習いたくなるほどの爽やかで元気な笑顔で迎えてくれる。
一周し終わるとまた船で戻ることにした。
すると今度は鶏と豚が一緒に乗っていた。
大金へと変わる豚
豚はバイクに生きたまま仰向けで縛られており、この後は人間の食料になると一目で理解できる縛られ方をしていた。
仰向けにされるのはこの時だけなのだろう、不安そうに周りを見回しながら鳴いていた。
これから大金を得ようとしているその男は豚の方など見向きもせずに川を眺めていた。
かわいそうに。でもここの人たちは頭の先から足の先まで君のことを食べてくれるよ。
そしてね、肉を人間が食べた後は骨を路上にそのままポイっと捨てられてそれを犬が食べてくれるよ。
(このサイクルは本当に合理的だと思う)と心の中で囁いてしまった。
バイクに乗って田舎町に行くと本当に肉が高価なものだと実感する。
何しろカスみたいな骨つき肉しか入っていないし、たまにご馳走の様に出てくる肉かと思われる塊は大体ちょっと臭いのきつい内臓部分だからだ。
内臓とか足の先とか表皮、小骨付きの部分はどうやら比較的安いのだろう。どんな場所でもある。
ただ肉の塊、となるとラタナキリの州都の町でしか見ることはできなかった。
こういう差とかっていうのも注意深く見ていると感じることができた。
とはいえきちんと調理されているものはほとんど臭みがなく美味しく食べることができた。
が、特製のタレで焼いたと見られる豚の内臓はかなり臭みが強く、サービスとして出て来たもののなるべく息をしないで食べようとするほどのものだった。
そのまままた来た道を戻った。
白いシャツは茶色く染まり、バッグも茶色く薄汚れ、鼻の中も耳の中も茶色い砂まみれになっていた。
ほぼ外にあるシャワーへ
トタンの壁とトタンの屋根でできているシャワールームに行くと途中で壁が終わっているために天井と壁の間に青空が見えた。
3泊のうち一度目は水着をきて風呂に入ったが、何度か他の人が風呂に入っている間にどんな状態になっているか見ていると誰ものぞいたりしていないことがわかり、素っ裸で入る様になった。
青空が見える水のシャワーは鳥肌ものであったが、入浴後は爽快感に包まれた。
そして夕焼けになると宿泊者とオーナーが外に出て来て、みんなで夕焼けを眺めた。
5時過ぎからは毎日サンセット鑑賞の時間だった。
毎日違う夕焼けが訪れ、毎日違う形の雲が流れた。
夕焼けを眺めるのは昔から好きだったが本当に心地の良い時間だった。
カチャン村の夜
夜になるとオーナーは焚き火をし始めた。
日が暮れると薄い長袖に長ズボンが丁度いいほど気温が下がる。
昼間は日差しが刺さる様に強く汗をかくほどの暑さだが夜は一変する。砂漠の様な気候だ。
オーナーが焚き火を始めると近所の子供達が集まって来て手伝う。
ハンモックを引っ掛けているのでそこにオーナーと子供達が座り、芋をくべる。
私たちも参加しに近くに座っていると、ここの周りは家族とか親戚も住んでいてみんな知り合いなんだ。と教えてくれた。
あったかくなった焼き芋もくれた。
この芋があのもやし型の麺になっているらしい。小麦粉ではなかったのか。
ざらっとした水気の少ない芋だった。
一番近くにある家屋ではカラオケが始まり、大音量で低音の強い音楽が流れる。
カラオケの音量はMAXなのではないかと思うほど大きく恥じらいなど全くない。
全ての村人に捧ぐ、私の一曲!ですか?と思うほど騒がしい。
が、それも9時過ぎれば終わってしまい、10時になれば真っ暗になる。
部屋には布団と小さなテーブルがあるのみでwifi環境も芳しくない上に電気も豆電球程度の灯りなので、やることがなくなると寝るのみである。
11時には熟睡状態に入っていた。
こんな生活があるのかと思ってしまうがこれだけ自然の明るさに近いと体も当然の様に休息のへと向かって行くのである。
スマートフォンやPCのブルーライト、蛍光灯、 LEDの煌々とした光が睡眠を妨害するとよく聞いていたがこんなにも自然な暗さで眠りに吸い込まれていくのは本当に驚きだった。
一日のはじまり
朝5時半ごろ。
鶏が鳴き始める。そこらじゅうの家で鶏を飼っているので四方八方から鶏の鳴き声が聞こえ起きずにはいられない。
トイレに出ようとすると、まだ外は薄暗かった。
外に出たがカメラを取りに一旦戻った。
美しい朝焼けがあったからだ。
低く小さな声でお経をあげる人の声も聞こえる。周りを見回すと焚き火をしながら手を合わせている人が見えた。
鶏の朝の号令とともにまだ薄暗く肌寒い気温の中こんな風に朝を迎える人がいるのだと見つめた。
お経が終わる頃、6時ごろには一旦鶏も静かになる。
だんだん村全体が朝を迎え7時ごろにはもう車やバイクが走り始める。
美しい朝焼けに始まり、夕焼けに終わるというわけだ。
健康的、自然の道理に叶っていて体の調子がいい様に感じた。
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