常夏の国のカクテル
ブラジルの奇祭、ボイブンバ。この祭りは夜から朝までが、メインの時間。
私たちも無料席をもらうべく、毎日2~最長で5時間は並んだ。
それからやっと観戦という話なわけで、かなり疲労も蓄積していた。
が、コレを飲めばいいや!と楽しんでいたモノがある。
それが。。。
ライムが香る爽やか200%の飲み物!
カイピリーニャ(訳=田舎娘)だ。
ちなみに、日本で飲むような甘さスッキリ!しとやか、小さなグラスでキレイ目カワイイカクテル!なんてもんではない。
こっちに来たら、こっちの飲み方があるってもんだ。
これがこちらのカイピリーニャの作り方。
ライム 1個(刻む)
カサーシャ51 ドボドボ
砂糖 大スプーン 5杯
クラッシュアイス カップに満タン
コレをまずは綿棒で潰し、ガシャガシャガシと豪快に振って、カップにIN!で出来上がり。
最後にストローをさして、はいどうぞーと出してくれる。
かなり驚くかもしれないけれど、とにかくそれぞれの味が濃い。
一杯を二人で飲んでも簡単にほろ酔い状態。
コレが本場ブラジルのカイピリーニャ~か、ヘロヘロン♡といい感じに疲れを癒してくれる。
気づいたら、癖になってるんだな。
そうして、暇を潰しながら中に入れるのを待った。
悪い狼の後輩護衛
3日間のフェスティバルの2日目、悪い狼が友達でアントニオ後輩を連れて来た。
彼は基本的に英語も日本語も話さない。
というかそもそも言葉をあまり発しない。
が、二人は友人らしい。
悪い狼はその日、「早めに帰るね~!」と出て行ったが、この後輩の人はずーっと私たちのそばにいてくれて、いつも周りを見張っていてくれた。
ありがたいことにどうやら狼は自分がいない間の護衛をアントニオに頼んだらしい。
彼は誰かが話しかけて来ると、何も言わずに上の方からじっとその様子を見つめ、こちらが笑いかけると、ニッコリしてグッドサインを手で出して来た。
彼には何の利益もないし、何なら話すこともできないのに、全く本当に優しい人っているんだね。
優しさが顔に滲み出てるネ!!
結局コレは一体なんだったのか・・・
アマゾンの危険なジャングルを冒険する話やら、アマゾンのシャーマンの話、農家の大女将と黒人奴隷、そして牛たちの話などがあり、コレをミュージカル形式で進めていく。
しかも、同じ話をガランチード(紅組)・カプリチョーゾ(青組)のそれぞれで行う。
そして、演武の内容や山車、ダンスの完成度の高さで陪審員が点数を加点していく。
さらにオーディエンスの一体感も点数に入るのらしい。
だから、応援団もみんな必死に大声を出して応援するのだとか。
この戦いはなんと1966年から53年も続いている。
私たちはこの夜中の奇祭、ボイブンバに3夜とも参加することができた。
私たちは持っている服に青が多いから!となんとも、軽薄な理由でカプリチョーゾ(青組)を選んだが、結果的にコレがよかったらしい。
カプリチョーゾには資金豊富な後援者がいるのか、ガランチードには無い演出の仕方や、鳥人間、羽をつけた女性が観客席に上がって来て盛り上げるなど、ガランチードには無い演出がなされていた。
そのせいもあってか、カプリチョーゾは終始大盛りあがり。
ガランチードは山車が出ては引っ込むを繰り返す単調な演出で、見応えはあまりなかった。
3日間同じようなテンションが続き、幕を閉じた。
最終的にどちらが勝者かが決まり4日目の朝に町の人々にアナウンスされるらしい。
勝ったチームはそこから町中をパレードするのだとか。
ちなみに私たちは船の時間があるので、このパレードには出席できなかった。
帰りの船
3日目の夜から参加し、最後の終演まで見守った私たちは、急いで船に戻りハンモックに横になった。
ものすごく、疲れていた。
この4日間、実際に食事をしっかり取れたのは昼食のみで、朝ごはんは基本的になし、夜ご飯は運がよければ食べれる。
けれど、暑過ぎるし基本的に脂っこくてしかも口に合わない料理が多いから、大して食べれない。胃が受け付けない。
たまにちょっといいかな、と思って食べたとしても、スナック程度のものしか目に止まらず栄養補給がおぼつかないまま酒ばかり飲んでいる日々が続いた。
しかも、この祭りに入った当日、私はまた胃を壊していて、食べられそうなものといえばスープくらい。
脂っこいものなんて食べたら、嘔吐に下痢が待っている可能性もあったから、初日はほぼ何も食べずに過ごした。
徐々に体が慣れるにつれて酒を飲んだりご飯も適当なものを食べていたけれど、健康な夫H氏においてもコレは同じような状況になった。
その上、連日爆音お祭り騒ぎが終始続いたため、基本的には常に寝不足状態。
朝に出た船では、シャワーを軽く浴びると、静かにハンモックに吸い込まれた。
帰路の途中に聞いたが、勝者は私たちが応援していたカプリチョーゾだったらしい。やっぱりね、だけどよかったね!とみんなで喜びあった。
翌日の早朝5時、船はマナウスに到着した。
ホセはどこ?
ココからは写真が撮れていないのでボイブンバの写真を
やっと戻ってこれた・・・。
もう、アマゾンの船には乗らないぞ~!!!!!!!!絶対!
なんとなく迎えを約束していたホセはどこかな~と探したが、やっぱり彼はいなかった。
早朝だしね、別にそこまで期待してないし、ホセの仕事じゃないからね。いいよ。
と、二人で話しながら、歩く。
が、かなり遠い。辛い。もう歩きたくない・・・。
荷物重いし疲れた。。
ダラダラ歩きながらホステルに到着。
CH「ただいま~。」
ホテルオーナーのお父さん
「おう!や~っと帰ってきたか、とりあえず、コレだな、吸っとけ!」
大麻を手渡してくるお父さん。
H「あ、、いや、、やめておきます。」
お父さん「なんだよ、ハッハッハ、日本の警察はこんなとこまで監視しているのか?
固いこと言うなよ、祭りはどうだったんだ?」
H「面白かったよ、あんなの見たことないね!大興奮の毎日だったよ!」
お父さん「そうかそうか、そりゃよかったな!ところで・・・ホセ、見なかったか?」
C H「え!?ホセ、いないの?」
オーナー「おかえり!!!待ってたよ、ねえ、ホセ、見なかった?」
CH「え?本当にいないの?どうしたの?いつから?」
オーナー「君達も知らないのか、ずっとここのところ君らといたから、君達といるのかと思っていたよ。。いないのか・・・。」
C H「・・・・!?」
オーナー「君らが出て行った後、ホセも出て行ったんだ。夜にね。多分飲みに行ったんだと思う。
だけど、その日の夜から彼は帰ってきてないんだ。」
オーナー妹「そうなのよ!彼、荷物も全部おいて行ったまま、何も盗みもしないで出て行ったのよ?どうしたのかしらね、私たちだって心配なのに。。。」
C H「えーーーーーーーーーーーー。」
あの、ホセがいなくなったと聞くと、私たちも心配になった。
確かに奴はドラッグもやるし、大麻もやるし、金もないし。
色々と犯罪に巻き込まれそうな種は持っていたけれど、まさか。いなくなるなんて・・・・。
唖然とした。
コレがブラジルなのか・・・?驚いたものの私たちには何ひとつできることもなかった。
東京の友達との通話
時差が12時間離れている日本に電話することがあった。
12時間。こちらが朝の8時の時、日本側が夜の8時。
ここはそう、日本から見て地球の裏側だった。
仕事から帰って来てのんびりしている友人と、船旅から帰って来てのんびりしているこちらと、やっとテンションが合致したように感じた。
こうやって話せるようになっている社会自体に感謝だし、友達ともこうして電話しよう!と言い合える人がいるって幸せだ。
本当は、話たい人はたくさんいるけれど、実際に電話できた友達、「電話しよう!」と言えた友達は少ない。
旅って聞いてるだけだとダラダラして、社会人のくせに何やってんねん・・・って感じもするけど、意外な話、そんなに暇じゃない。
暇なのは、現地人たちと同じ車両に乗って移動するバスの中くらい。
こういう時に電化製品を出すと犯罪に巻き込まれる種を撒くことになるから、基本的には何もせずに外を眺めたり軽めに眠ったりするしかない。
それ以外の時間ははこういうブログ用の日記を書いたり、次の行き先を調べたりしている。
特に調べ物の時間はかなり多く取られた。
私たちの旅は、他の旅人さんたちよりもかなり無計画に決まった旅だったし南米は行く人の母数自体も少ないから有力な情報に簡単にアクセスできなかった。
そして、私たちは、この旅を目標にして3年も4年も前から地道に貯金してたわけじゃない。
私に至っては旅の資金のことなんぞ、出ることになるまで1mmも考えたことがない。
すべてはH氏が経営者として働いて来た時に使わなかったお金で賄われている。
そんな単なるラッキー女の私がこのブログを作り、記録担当をしていることでH氏の気持ちがほぼ反映されないこと、それについて本人はどう思っているのだろうか?
(確認しましたが、特に構わないとのことでした!!!よかった!)
そして、時たま自分がお金を出せないことに自暴自棄になる、とんでもない迷惑女である。
こうして改めて思い返さずしても、とんでもないワガママ女ではあるけれど、2019年2月現在、私たちは今の所一緒に過ごせている。
夫、H氏の優しさと懐の深さに感謝しつつ、旅であったことや自分たちの感じたことを残し、伝えられたらと思う!かたじけなし!!
話が逸れたが、とにかく連絡が取れる環境と相手がいることに乾杯!
この世のテクノロジーと世界に感謝!
まだいた!ホステルの重鎮
このホステルで見かける個性派おじさんが片手に大麻のお父さんの他にもう一人いる。
それが、こちらの方だ。
常に彼もお父さんと一緒にタバコor大麻を嗜まれていた。
彼が言っていた。
個性派おじさん(以下、個性派)「あのさ、俺は外国の人と話して、どこから来たんだ?と聞かれたら、ブラジル!って答えるようにしてるんだけどな、お前らもそうか?」
CH「そうだね、僕らはJAPANって答えるようにしているよ。」
個性派「アメリカの奴ら知ってるか?
あいつらなんていうか知ってるか?」
CH「さあ、United statesとかじゃないの?」
個性派「奴らはな、必ず。必ずだ!必ず、
ニューヨーク、サンフランシスコ、オレゴンとかって州の名前とか町の名前で自己紹介してくるんだよ!
あいつらおかしいと思わねーか?!
なんでアメリカさまのことならどの州でも世界中のやつらが知ってると思ってやがるんだ?
おかしいだろう?」
C H「それは、、たしかに・・・。」
個性派「だろう?あいつらなんだっていうんだろうな?」
H「そう言えばペルーで出会った人もたしかにいきなり、州名を言っていたよ。」
個性派「だろ?だろう?そうだろう?コレだから俺はアメリカ嫌いなんだよ!
あいつら、大国だと思いやがって!」
そう、ブラジルはアメリカなんかに負けない血を持ってるのだ。という気持ちがあるらしい。
たしかに近いし、南米の一番大きな国、ブラジル的にはアメリカは驚異でありライバルだもんね。
わかるよ、おじちゃん。
それに、いきなり We’re from Tokyo!なんて口が裂けても言わないよ。
この話を今日朝出て行ったアメリカ人女性の前で言わないでくれてよかった・・・。いや、その話を彼女の前でしたほうが面白かったか。いたらよかったのにな~・・・。
そこに!!
その彼女が帰って来た!!!
バイクに注意せよ
C「ジェーン!どうしたの?ペルーに行くんじゃなかったの?」
J「そうなんだけど、、、事故を起こされたのよ。
バイクタクシーを使って空港に行くところで横転事故を起こされて、、
腕が折れたの。」
CH「大丈夫?じゃないよね。。何か手伝えることがあったら言ってね!」
彼女は大きなアイスクリームと自分のバッグを抱えて戻って来た。
こんなにも暑いのに、シャワーも浴びれない状態になってしまったらしい。
旅では何が起こるかわからない。
マナウスのみんなへ
最終日、私たちはホセがいないので、ホセの馴染みの店のママァとその周辺の友人たちに挨拶にいった。
私たちはママァのランチをいただいた。
ホセのことを聞くと、ママも知らない様子だった。
みんなに挨拶した。
私が知っているポルトガル語を全部引っ張り出して来た。
C「Nos estamos para Salvador amanha!
明日、サルバドールへ行くんだ!
Obrigado!! ありがとう!」
ママやウェイトレスをしているホセの元カノやオネエのみんなも一緒にバイバイしてくれた。
本当はコロンビアにも会いたかったし、ほかのお姉様方にも会いたかったけれど、私たちのポルトガル語力が低すぎた。
とにかく会えた人には渾身の笑顔でお礼を伝えさせてもらった。
・・・なんだろう、この町は。
来た日は何もやることのない、アマゾン川最大とは言われているがブラジルの中では田舎の小さな町・・・。と思っていたのに。
ホセのおかげだ、こんなに名残惜しくなるなんて・・・。
マナウスってなんでこんなに人があったかいんだろう・・・。
もう、私たちはここの人たちを一生忘れられないだろう。
ありがとうマナウスのみんな!
ホセはどこなんだ!!!?
こうして、私たちは次の町に向けてパッキング準備をしていると・・・。
なんと、ホセが帰ってきた!!!
みんなホセに群がる。
ホステルの人たちは若干、距離があるが、ホセが帰って来たのはみんな嬉しいのだ。
ホセ「ごめん、今帰ったよ・・、オーナーと話したいんだ。いいかな。。」
ホセは叱られた子供のように小さくなって、いつもの爆弾トークの影も見えないくらい縮こまって、オーナーに言った。
もうしょうもない奴!とその時点で、何と無く悟った。
コレは後から聞いた話だ。
ホセはこの数日間刑務所にいた。
ホセは私たちを港に送った日の夜に飲みに出て行き、そこで喧嘩が始まった。
なんだかんだで人の良いホセはそこに居残って場を収めようとしているうちに警察がきて、全員かっさらっていった。
そして、こうして出てくるまでの5日間ずっと刑務所にいて、やっと戻って来た。
そういう話だった。
H「大丈夫?心配したんだよ、迎えに来てくれると思ってたんだから。」
ホ「人生の中で最も最悪の5日間だったよ・・・。」
C「気をつけなよ!」
ホ「ああ、心配かけたな。」
ホセは本当に小さく小さくなっていた。
彼はバッグひとつでここに来て仕事をし始めた。
客の世話にチェックインアウトの仕事、それに掃除がここでの仕事だったようだ。
が、そんなに厳しく色々言われないのか、ゆるい感じで私たちともよく付き合ってくれていた。
お金も取ってないし、逃げてもいないけれど、彼は本当に居心地悪そうにしていた。
間も無く、私たちの飛行機の時間だ。
タクシーがホステルの前に到着。
ホセは私たちの荷物を持って、タクシーまで私たちを送ってくれた。
寂しげな顔で。
ホ「じゃあな!」
CH「元気でね!もう捕まるんじゃないよ!ありがとうね!」
ホ「おう、じゃあな、気をつけろよ。こっちこそ、ありがとう。」
ションボリした顔のホセは、静かにホステルへと戻っていった。
彼がありがとうって言ってくれたことを聞き逃さなかったし、俺は忘れられなかった。(夫)
8ヶ月経った今、booking.comにてホステルの内容を確認したが、ホセの姿は写真では確認できなかった。
彼はきっとまたどこかに旅立ったのだろう。
しょうもないけど、憎めない奴。
きっとホセが今もどこかで元気にやっていることを祈って。