2017年12月1日・・・。それは私たちのXデイだ。世界一周の旅に出た日。
これは私 Chikaと2017年10月28日に旦那となったHisashi(H氏)が旅へと行くきっかけの記録。
きっかけは突然
このブログを書き始めることになったのも、旅に出ることになったのも、あの時から始まってた。
2017年2月。
旦那のH氏には新しい事業ストレッチサービスの店をオープン2週間前を待っていた。
日々ストレッチの勉強をし、様々な雑務をこなし、オープンする店が神奈川県の鎌倉方面にあるからと家を借りるために不動産屋をみたりと忙しく毎日をこなしていた。
色々な問題があれど、彼は「オープンしてしまえばなんとかなる!」とまずはとにかくオープンさせることを目標に日々動き回っていた。
一方、そのころの私は中目黒のIT企業に勤めてやっと半年が経っていた。
仕事については特に好きも嫌いも無く、とりあえず月々同じ金額が入ってくるだけでまずは十分と感じ黙々と仕事をする毎日だった。
執着はなく淡々としていた。
ある日の朝、H氏が言った
H「今日は取締役の田中さん(仮名)とストレッチの先生の山本さん(仮名)と話してくる。もしかしたらいい結果が出ないかもしれない。でもその時はもう、話合えない人だってことだから。。。」
と言いつつも、顔にはまだ希望を持った状態で出掛けて行った。
半年以上前から彼はストレッチの店を出すと先輩や知人の方と何人かでタッグを組み、新しい事業を始めようと準備に動いていた。
自分も店に立つと全く志したことのないストレッチを習ったり知識を詰め込んだりと毎日忙しそうにしているのを間近でみていた。
山本さんとは12月にあるボクサーの試合を見に行った席で顔を合わせている。
が、彼は私の目も見なかったし、H氏ともほぼ話さずに挨拶だけして席を後にした。
その時に私は感じた。『この人か・・ ・。随分厚い壁を作ってるみたいね、大丈夫んなのかな。』
言葉にはしなかったが、その前後にも不穏な空気があることをH氏から聞いていた。
度々話される衝突の内容に、『もしかしたら、これはもしかするかもしれないな。』と考えていた。
今夜はどうなるだろう・・・。
中目黒の家で待っていると彼が帰ってきた。
C(私)「どうだった!?」
H「・・・ダメだった。もう店の話は無くなった。」
C「え・・・そっか・・・。」
H「今日は酒でも飲まないとやってられないな。」
C「そうだよね、今入れるから・・・。」
しんとした夜に何を聞いてもいいか分からず、深夜のテレビにただ目を向けるだった。
その日と翌日はしんとして彼は何も言わなかったが、翌々日には元気に動き回り始めているようだった。
無くなった話を悔やんでも仕方がないので、今後どうしていくのかは彼が決めるまで待っていることにしていた。
二つ目のきっかけ
H「義男さんと話してくる。」
C「そう、いってらっしゃい〜遅くなるの?」
H「多分ならないと思うよ。」
C「そう、じゃあ待ってる!」
義男さんとは、H氏が10年ほどやってる仕事の共同経営者で仕事の話がうまく進まないという話が何ヶ月も前から出ていた。
この時も私は自分の仕事がある、ということと彼ならなんとか大丈夫だといつも根拠のない自信があったせいで彼の仕事がうまく行ってないことはそんなに気にしていなかった。
その日の結果もやはり好転なし。こんな日々が続いていた。
ストレッチの店も無くなり悶々としたままの彼を見かねて散歩に誘った。
C「せっかくだからお酒でも買おっか!」
H「ああ、そうだね。」
ビールを二本買って公園へと歩く。
C「最近さ〜職種が変わって英語を使う機会が増えたんだけど、全然ダメでね、困っちゃうよ。」
H「そうなの?英語勉強するなら絵本読んだり日記書いたりするといいよ。」
C「ふ〜ん、ちょっとやってみようかな。」
とにかく何気ない話をしていたが、突然H氏が思い出したかのように言った。
H「仕事がもしかしたら、無くなるかもしれないんだけど、それでも俺と結婚してくれる?」
私たちは去年の夏に婚約していて、その時ちょうどストレッチの店が始まりこれから忙しくなるぞ!と言うところだったので、1年後に結婚したい、と彼に言われいた。
だから結婚前にもう一度確認しておく必要があったのだろう。
私は一息置いて答えた。
C「うん、いいよ。」
H「え?いいの!?」
C「大丈夫でしょ、少し休めば頑張って働くだろうし、別に何もできないわけじゃないんだから。」
H「何もできないよ。」
C「じゃあちょっと休んでから考えればいいでしょ?今すぐやらないといけないほどお金ないの?」
H「いや、貯めてある。」
C「じゃあ、いいじゃない。家はちょっと今のじゃ大きすぎるから引っ越せばいいし、私は働いてるからいざとなれば一人暮らしもできるし。本当に困ったらなんか売れるもの売ればいいんじゃない?」
H「う、うん、本当にいいの?」
C「そりゃ何にもしないで浮浪者みたいになってしまったら困るけど、何かするだろうし、別になんだってやるでしょ?困ったら。」
H「うん、俺最悪トラックの運転手でもやるよ。」
C「いいじゃん、それでも今トラックの運転手なんて人出が足りないみたいだしね!」
H「そうだね・・・ありがとう。。」
この時も私は彼なら大丈夫だと信じていた。
決断された日
H「今日は義男さんと話してくる。」
C「そうなんだ、最近どんな感じなの?」
H「ダメだよ、なんかもうネガティブでネガティブで次の手が打てない。」
C「そっか、気が変わってくれればいいのにね。頑張って。」
その日の夜。
H「ただいま〜」
C「おかえり〜!どうだった?」
H「やめてきたよ、仕事。」
C「え!?」
H「色々話合ったんだけど、これが一番いい方向なんじゃ無いかって。」
C「そっかぁ・・・。」
H「まあ、このまま行っても上手くいかないだろうから、俺が抜けて1人社長になった方がいいんだよ。」
C「そうは言ってもね・・・。」
H「でも、、今が潮時だと思う。後のことはこれから考えるよ」
C「そう・・・。お酒でも飲む?」
H「そうだな。」
C「まあ、とりあえず退職祝いだね!」
H「だな!」
どうするのか、この後考えると言われたけど、それもなんとなくこの人なら大丈夫と思っていたから心配していなかった。
1週間後
H「ちょっと散歩いかない?」
C「いいよ〜春って散歩にちょうどいいよね〜♪」
世田谷公園までまたビールを持って歩いた。
ベンチに座るとH氏が話し始めた。
H「これからのこと、考えたんだけどさ。」
C「はい。」
H「Chikaがこのまま東京にいたいって言うならそれでもいいんだけど選択肢を聞いてくれる?」
C「いいよ。」
H「まず一つ目は東京に残ってこのまま働く、ただし家は引っ越す。
二つ目、海外に拠点を写してどこか友達のところを頼って仕事をしてみる。
三つ目、世界一周の旅にでる。」
C「なるほど・・・。」
H「それで、今すぐ答えを出すのは難しいだろうから、、来週の土曜の夜は空いてる?」
C「うん。」
H「じゃあその時間に2人の答えをお互いに出し合おう。それまでは答えはお互いに言わないようにしよう。」
C「わかった。」
聞いた瞬間は意見などなかった。
東京の家を離れたいか?と言われてもNoではなかったし、それもアリかYesだし。
仕事を海外でしてみたいかについては「英語も仕事も大してできることないですけどイケるんですか?」みたいな無責任な回答しか出てこないような気がしたし。
世界一周については絶対行きたい!と言う熱い気持ちもなかった。
1週間と言い渡されたが結構1週間は長かったし、仕事に集中出来なくてよく外に1人で出ていた。
そのまた1週間後
私たちは居酒屋で考えた結果について話した。
H「Chikaの考えは?」
C「私から言うんだ(笑)」
H「考えが変わると困るからね。」
C「そう、私は旅に出るのがいいと思うよ。」
H「なんで!?」
C「まだやりたいこともないし何も見えてない状態で友達頼っても迷惑かけるし、やりたいと思ってるからその選択肢出てきたんでしょ?」
H「うん。」
C「やるなら今しかないよね。健康だし子供いないし、久がお金の心配はいらないって言うならやってみたらいいんじゃない?私仕事始めたばかりで本当はやめる気なかったけど。」
H「うん、俺もそう考えてた。友達に迷惑かけたくないし、旅へやってみたかったから。」
C「じゃあ、決まりだね。世界一周の旅へ出かけよう。楽しみ!」
H「そうだね、そうするとだいたい日本にいるのはあと半年くらいが妥当だと思うんだよね。」
C「え?そんな早いの?」
H「だってダラダラ日本にいてもお金入って来ないんだから。」
C「そっかあ。」
H「で、最後の1ヶ月はマンスリーに引っ越すから。」
C「そうなの!?」
H「だって荷物置いたまま出れないでしょ?中目黒の家も出て、荷物はどこかに預けて12月くらいかな。出るのは。」
C「そっか〜。。そしたら仕事はいつ頃やめるって話ししたらいいんだ?」
H「その辺は任せるけど・・・。」
C「12月には出ると言うことは遅くても11月、でもマンスリーに引っ越したりもするから、、そうすると10月かな、そのくらいに早めている。とすると1ヶ月半前には言ってないといけないから・・・8月。ん?8月って・・・。」
H「アマンダの結婚式だ・・・。」
C「イタリアか〜。」
旅立ち前の日々
二人は6ヶ月前に旅を決め、二人はマンスリーマンションを借りた。
そしてその引越しの日だった。
一旦今まで愛用していた家具や衣服などをコンテナーに収納したり販売してしまったためだ。
マンスリーマンションは1R。
玄関とキッチンの間にもキッチンと部屋の間にも、トイレとの間にもドアがない、全てが丸一つの部屋に集約された家。
初めての1Rだった。(1kは経験済み)
玄関の目の前に下駄箱と小さなダイニングテーブル。
キッチンでは何か作ろうにも狭い。
風呂を出て着替えようにも目隠しがない。
屁をここうにもトイレとの隔たりは薄いドアのみ。
洗濯物を干そうにも洗濯物をハンガーやらに引っ掛けるスペースが無くベッドの上を借りる。
シングルベッドの横に置かれた薄っぺらな敷布団。
何もかもが後ろへ。何歩も下がる文化レヴェル。
彼はこの部屋に長くいることが苦痛だと言ってWifiのあるカフェを見つけてはチェックを入れていた。
私はと言うと、面倒くさがりが功を奏じて特に苦痛も感じずに1ヶ月を過ごした。
と言っても、自炊回数が少なかったせいももちろんあるだろう。
言わずもがなではあるが、まな板を置いたら鍋が置けないようなキッチンではなるべく料理しない理由を作るものである。
それからの1ヶ月は中目黒の家とマンスリーマンションの家を往復して大掃除、残っている家財の販売、実家へ帰って親兄妹に会う、友人と会うお世話になっている人への挨拶。
病院巡りに区役所や年金事務所を廻り、免許センターへ国際免許の発行、パスポート増刷など意外にもやることは多くあり、あっちへこっちへと奔走した。
バタバタとしてはいたものの、充実した日々だった。
と言うのも、実のところこの旅に出るまで其々に考えることや思い、それに様々な選択を要した。
選択肢と選択すること
これまで、私たちも仕事をしていた。
私はIT企業に、彼(H氏)はパートナーと会社経営を行っていた。
「旅に行く」と言うことが決定した理由は人生の所々にあった。
しかしH氏の場合、既に海外での生活や仕事・旅行などは経験済みでありながら”旅”への憧れが強く、将来は海外に出たいという気持ちが大きくあったと言う。
この旅をすることによって後悔することは無くとも旅を諦めることには大きな後悔が残るだろうと何度も口にしていた。
そのため彼は選択肢として「旅に出る」と言う項目を並べることにしたそうだ。
そして、二人の決断の大きな理由になったのはお互いの年齢だ。
この話題が浮上したのは5月ごろのこと。我々は既に婚約していた。
そして、H氏満41歳、私、27歳。
今、行かないとすれば次のチャンスは彼が死ぬ直前、かもしれない。
兎角、世界に出るには健康な体は何よりも譲れない。
であれば、行くならば今だ!となった。
そうとなれば話は勢いよく進み、H氏は6月末に退職、私は11月の1ヶ月間のみをフリー期間とし、8月半ばには退職について上司と相談し10月末に退職が決定した。
彼は活き活きと旅の予定や旅に必要な情報集め、身の回りの整理、このページの作成、自分でやっている仕事等々でアクティブな毎日を過ごしていた様だった。
しかし私はと言うと、話が持ち上がった5月~退職までの時間があったせいもあり、決まったことにも関わらず悩みに悩んだ。
渋っているのかと思われるほどの悩みっぷりだった。
旅への迷い
本当に今行ってしまっていいのか?その後の暮らしは?生活費は?
自分の仕事への道は・・・?子供は?
不安になる度に彼にも友人にも話をした。
もちろん前向きに。行くつもりで。
それがどんなにありがたいことで楽しんで行くべきことか再確認した。
心にないことを話しているわけで結局釈然としなかった。
そんな流れの中、外国籍の友人達に正直に話した。
すると、特に驚くこともなく言われた。
「いいじゃない、良かったね、楽しんできなよ!」
「Cなら帰ってきても仕事は見つかるだろうし、別に欧米ではちょっと休んで旅行するの普通だよ。
人生は一回だけなんだから、行きたいところに行けるなら行った方がいいよ。」
何人かの日本の友人達も同じことを言ってくれた。
結論
一年私が離れたところでおそらく給料はさほど変わらないし、低くなったところでそれで暮らせなくなることはない。少しずつ今までのお金の使い方を改めればなんとかなる。
合点!そんじゃぁ行っちゃいますか!と、文字通り前向きになった。
離れることを感じる
10月16日に最終出社し、31日までの有休消化。
10月28日に入籍も果たし、11月のTo doをこなした。
旅立ち前5日を切ったところでやっと、実感が湧いた。
友人たちに送別会を開いてもらい、興奮しすぎて声が出なくなった。
お別れの言葉やお祝いの言葉やお守りなんかももらったりして、周りの動きを見てやっと実感してきた。
これは旅のパートナーH氏においても同様のようで、直前になってやっと実感したらしい。
この鈍感さが今後の旅の強さに変わるといいのだが。
旅立ちの前々日、最後の荷物をそれぞれの実家に預けに行き、各々1つのバックパックと背負えるスーツケース1つだ。
パッキングを何度もし直して LCC指定の手荷物7kgを超えないように3つのバッグの中身を取っ替え引っ替えした。
日本での最終日
私は自分で作ったあんこう鍋で父と二人で締めた。
食べながら体に気をつけるようにとか、変な心配しない様にとかお互いに言い合った。
どちらも相手の話なんて聞いてないように話していた。
父は泣くでも笑うでも無く、「気をつけていってこいよ!」と言って私を見送った。
私もこれが最後にならないことはわかってはいたもののもう一度言った。
「元気でね。」
父は渋い顔のままドアを閉めた。
私は最近言ったことの無い言葉に自分で驚きながら、マンションを出た。
まだ紅葉が綺麗な中イルミネーションが光る寒い夜だった。
2度目の、そして本当のXデイ。
12月1日・・・私たちの出発の日がやってきた。
2017年12月1日(金)09:10 AM 成田空港発
到着予定地—–微笑みの国 タイ(バンコク)
コメントを残す