4日間滞在した末にやっと移動を決めて、電車の情報を聞いた。
Kandyという街にはMount Laviniaを出てColomboという南部で一番の都市に行き、そこからバスか電車の(120km)の旅だ。
私たちはもちろん、電車の旅を選択した。
朝、トゥクトゥクで出発し駅のチケットカウンターでKandy行きの2等席のチケットを買う。
次の出発時刻は10時40分。現在は9時30分、まだ時間があると近くのカフェへよる事に。
カフェといってもスターバックスなんてないし、その他の大手チェーンなんかも特に見当たらない。
駅前でやっているパン屋と思しきカフェに入り、コーヒーと紅茶が飲めるか聞く。
スリランカでは多数派のシンハラ族のシンハラ語と、少数派のタミル族のタミル語をつなぐ公用語として英語が使われており、英語は問題なく通じた。
私たちは好きなパンをいくつか頼みそれぞれ紅茶とコーヒーを頼んだ。
パンはお盆に全ての種類が乗ってきた。
こんなにいらない。と自分たちが欲しいものだけを再度選んで返すと、飲み物が到着した。
一口飲んで驚いた。ほとんど砂糖の味なのだ。もちろん紅茶の味もしたのだが砂糖の甘さが強い。
パンは希望してたものだけをとって返したが、後からきたおばさんは自分の前に置かれたトレーを一通り眺めて、いくつかのパンを手に取ってしげしげと眺めると、いくつかはもう一度トレーに戻し最後にとった1つを食べ始めた。
衝撃の瞬間だった。
私は子供の頃、迷い箸は禁物、パン屋で一度トレーに取った品物は基本的に商品棚に戻さないようにとルールを教えられていた。
が、ここではそうでもないらしい。
後に食べる人のことを考えれば今後も手に取ってから見る必要はないかと思うし、自分のところに運ばれて来たパンを好きなものだけ食べてから棚に戻してもらう、というのはやはり考えられなかった。
いよいよ、時間も迫ったところで駅のホームに着くとたくさんの人が。2等の席はエアコンなしのではあるがファン付き。席は自由席だ。
だから列車が到着したら素早く自分から近いどの列車に空きが多いか、乗る人が少ないかを見分けて席を目掛けてひた走る必要がある。
こういうのはもっぱら私の方が強い。
スリランカ人はこの椅子取りゲームに血眼になってるそうな情報も見ていたので、こちらも列車の到着をいまかいまかと待ちながら、踵を浮かす。
プシューっと入って来た列車を見て唖然とした。
何度も何度も塗り重ねられたペンキと手書きの文字。こんなの・・・あるの・・・?
インドでもタイでも寝台列車に乗ったことがあるし、そんなに古い電車に乗ったことがないわけではないと思っていたが、スリランカの電車の年季の入りっぷりは他のどこの国の電車よりも郡を抜いていた。
もはや動いているのが不思議なほど、写真から出て来てしまったのではないかと思うほどの古めかしさ。
もちろん、そのスピードは現在スリランカ内を走るどの交通手段よりも遅い。
それでもこうして観光客や地元の人が乗るのには理由があった・・・。
と、車体に見とれるのも束の間、パッと周りを見ると人が動き出そうとしているまさにその瞬間だった。パッと体の向きをかえ、決めた方向のドアへと急ぐ。
ダダダっとグリーンのバックパッカーを背負ったまま誰にも負けない勢いで走る。
なぜそこまで・・・と思うかもしれないがここで席が確保できなければ4時間の距離を立ちっぱなしになるのだ。
狭い通路で降りる人、乗る人が押し合いへし合いしてる間に逆がわりに回り、ササっと自分の荷物を席に降ろすとH氏を呼びにいく。
窓が100%開いた席は既に埋まっていたが席は確保した。
この後入って来た乗客は座ることもできずに立ちっぱなしで(4時間、120km)の距離を移動する。
過酷だ・・・。
私たちは席に着くと、それが進行方向とは逆向きの座席であることに気づいた。
日本の新幹線のようにクルッと回転なんてしない。列車の半分は進行方向、半分は反対方向担っていたらしい。
巻き戻しのように進む世界はかなり気持ち悪かったが、座席ない方が何倍も辛いと諦めた。
そして隙間から見える景色を眺めながら、列車の旅を楽しんだ。
外には線路が続いたり、まちが見えたり、といろんな表情が見えたが、私はいつの間にか寝てしまっていた。
目がさめるとそれから何度も駅が見えたがKandyではなかった。
まだか・・・・。と息を吐いては本を読んだり、まるで逆再生の景色を眺めたり、ウトウトとしたりしてるうちに時間は過ぎていった。
そうしているうちに気がつくと、Kandyの文字が見えた。
駅は終点だったらしい。
そのさきに線路はなく、私たちはとにかく公舎を出ようと荷物を背負いこみ歩いた。
降りたと同時に始まるのが、お馴染みのTAXIハンティングだ。
私たちは今回も町から2km弱離れた丘の上のホテル(民宿)を予約していた。
2km弱といえばだいたいどの程度だ?
H「100ルピー台で乗りたい。」
C「250ならいいとこかな。」
H「高くない?」
C「そう?聞いてみよう」
最初のドライバー=600ルピー(ありえない)
2人目=500ルピー(敗けろ)
3人目=500ルピー、⇨敗けて400ルピー(バカいうな)
4人目=400ルピー、押し問答の末、250ルピー(最初からその値段で出してこい!)
4人目まで行くのに駅からだいぶ離れたが、こんなもんだろと振り返り、H氏を見ると仕方ないと特に異論はないと座席に乗ることを促された。
こういう時私は自分で交渉に出ないと必ずもっと安くできたのではないかと考えてしまうのだ。
絶対私の方が安くさせられる、だって女だし。とここは前に出ていた。
曲がりくねった坂を勢いに任せて登ったり下ったりしながら丘を登って行くとホテルKandy Hill Escapeに到着した。
最初こそ押し問答したドライバーだったが、決まった金額をもらうと笑顔でまた町へと降りて言った。
ホテルに到着するとこれもまた民泊であることに気づいた。この家はどうも大きいようで、私たちには、ダブルベッドとシングルベッドがそれぞれ1つずつと、ダイニングテーブルがある部屋を与えられた。
部屋にはシャワーもついていてもちろん温かいシャワーも出ると教えてもらった。
ここにもエアコンはなく、首振りが上手くいかない小さな扇風機が壁についているだけだった。
一休みすると、街を目指して散歩に出た。
ホテルのママさんがいうには町まで歩いて20分ほどだと言われていた(ママさんはいつも車だから間違ってたのかも(笑))が、慣れない私たちの足では30分かかった。
スリランカという国はいかにも変わったものを持っている。
その中の1つが、仏陀の歯だ。そう聞いてさて、どんな人の歯と具体的に思い浮かべることができるだろうか?
仏と言われようども私の頭には歯医者で見られるようなあの歯しかイメージ付かなかった。
それを祀ってみんなしてお参りしてるのか、なんだ変な寺だ。くらいに思っていた。
ある朝、その辺なのをちょっと見てみようかとまた町へと降りた。
歯が祀られているとやらの寺に入るには男性もスカートを履く必要があるとかで、H氏はハーフパンツにさらに腰に巻くものがなかったので、路上でそんなしないだろうという値段で購入した。
しかし何でか、仏教や宗教というのは人の生肌を気にすることが多い。
教えを説いている方はほとんど裸なのに、毎度これには疑問が湧いてしまう。
チケットを購入すると、お釣りがないとかでそのままお釣りごとお札を飲み込まれた。(お釣り用意しておきなさいよ。)
しかも取り出すことは不可能だという。(そんなわけあるか!)
色々ツッコミどころが多いのだが詰めても変わらないので、そのままに目的地を目指した。
靴をバッグに入れて目的の場所を目指す。
今日は何かのお祝いの日なのだろうか?
小さな階段の上で人が上ヘ、下へと押し合いをしている。
これでもかと上に行きたい人たちは前の人を上に押し上げ降りたい人たちはその壁を壊さんとばかりに突進している。
何が起こっているのかさっぱりわからなかったが、私も登る方に加担した。
登り切ると、そこには何もなく、ただただ、通路を譲り合って使わないことによる衝突だった。
さらに階段をのぼる。
美しい天井画や壁画があるが、中へ中へと急ぐ。
どこを見ても、人だらけで、荘厳さなどそこには感じられずただただ、神様を拝みたいという気持ちだけが突き進んでいるように見えた。
こういう場所に来ていつも思うことがある。
何か救われたくて来たのではないのだろうか。
辛いことがあるとしても、自分こそが、と前に前にお人を押しやってまでして前に出て、どんなご利益が得られるのだろうか。
まさに今回も同じで、押し合いへし合いの中で階段を登らされた。
そしておそらくここが最上階と思われる場所に来たものの、そこにも人が押し寄せていた。
そしてなぜか2つに列を分けられる。
あなたはこっち、あなたはこっち。
なぜなんだろう?興味が湧いて、途中で外側の路線に脇から入ろうとした。
「Nonononnonono!!!!」ダメダメと言われたので仕方なく戻ったが、その後すぐにその列に入ることが許された。
どうやら、その列はブッダの歯が入れられているという壺を肉眼で見れるという列だったようだ。
何用の列かもわからずに興味本位で入ろうとして見たわりにはなぜか良いものが観れた。
先へ進むと、宝石と黄金が輝く釜のようなものを見せてもらった。
そこは秘密の間のようで、人が入るようなスペースはほとんどない、小さな部屋だった。
そこで、お賽銭を少し渡させてもらい、ほんの一瞬お祈りをさせてもらうと、それが済むか済まないかのうちに人が押し寄せたきた。
人の雑踏があまりにもすごかったので、それだけでこの場所は満足して今日の観光終了!と終わり、カフェでお茶をしてランチをパン屋で買うと丘の上の部屋へと戻った。
とにかくすごい人の波でちょっとだけ、通り過ぎただけのような感じなのに、一大事を終えたように体力を消耗した。
その後、部屋で作業をしていると、H氏から思わぬ提案を受けた。
H「実は今日行ったあの仏歯寺なんだけど、、本当はまだまだ見るところがあるらしくて・・・。1日では見切れないっていうほどの場所があるらしいんだよね・・・・。」
C「・・・。え!?」
H「だから今日俺らが見たのはその本の一部らしいんだけどさ、いいよね?メイン見れたし。」
C「え?あ、そうなの!?、、まあ、いいけどさ。いや、良くないわ。ちょっとさ、入場料2人で4,000円くらいかかったんだから、もうちょっとガッついていこうよ!待って調べるから待って!」
そこから1時間ほど、調べなおして、今日回った分とそれ以外の見どころを比べてみた。
すると・・・。私たちが見た部分がみるべき部分の5分の1程度にしか満たないことが判明。
5時を回りかけたところだったが、これを見ないで次に行くことはできない、と再び山を降りて、寺へと向かった。
夕方6時ごろに寺に到着して、今朝見たのにまだ見れていない場所を見て行く。
あ、ここの壁、ドアがあるじゃん!ここにも!という感じで朝には人混みでわからなかったようなものが色々と見えてくる。
1つ、また1つと扉や壁を超える度に歴史を表示した部屋や、ブッダに関する博物館(閉館していた)お祈りの場所(バターランプの間)や、その他のヒンドゥーとブッディズムが混じった場所など、宗教に関する様々なお供え物や仏像が。
すごいね、こんなところがあるんだね、大きな木は祀られるんだね!といろんな発見をしながら、寺を巡った。
気づけば21時を回っていた。
キャンディの見どころ、仏歯寺を見ることができた私たちは次なる目的地としてダンブッラを目指すことにした。
ダンブッラは、スリランカで最大の観光地の1つ、カッサパ大王が住まいとして建築させた王宮があり、800年前の建物が残る場所だ。
私たちはその建物を目指そうと、キャンディのバス停に向かった。
朝8時半。私たちとしてはまあまあ早く出てこれた時間。
キャンディのまちはすでに起き上がり、パン屋も、カフェも客びきをしていた。
バス停についてダンブッラ行きのバスを聞くと、これだこれだ!と、吸い込まれるようにして、バスに乗せられた。
コーヒーでも飲もうかと思っていたがとんでもない、有無を言わさずにバスに乗り込まされて行った。
ここだ!と降ろされてから5秒と立たないうちに今度はトゥクトゥクのドライバーに吸い込まれた。
「今日はどこに行くんだ?シーギリヤロック?ああ、いいだろう、そうするべきだ、せっかくダンブッラに来たんだからな。」
「え?それ以外はどこにもいかないだと?ホテルはどこにとってるんだ?え?きゃんでぃ?なに?キャンディにとってるのにまた二度手間でここにくるつもりなのか?
必要ないな、金はいくらある?」
「・・・。これだけ・・・。17,000ルピー・・・?」
「なんだよ、金ね~のかよ!なんでそんな金持ってね~んだ、おかしいだろうよ。」
「いや、そんなに使うと思わなかったもんだから・・・。」
「しょうがね~な、じゃあ、お前、そのうちの2500を俺にくれ。そしたら今日一日で、シーギリヤロックとケイブテンプルは少なくとも見せてやる!どうだ?」
「よくわからないけど、、いいんじゃない。。?どう思う?ちかは。」
「いいでしょ、帰れればいいんでしょ?最悪。それに私カードあるよ。」
2人の会話は翻訳されて彼に伝わるということはないので自由に交わされる。
「カード使えるか試したことないけど、今日の夜ご飯が食べれればいい。とかその程度ならカード使おうよ。
山に戻ってまたお金取りに行くとか面倒だし。」
気づけば、トゥクトゥクに乗っていて、ドライバーはそのままランチできる場所を目指した。
レストランに入ると私たちは残りの現金1000ルピーから食べられるもの”ベジタブルフライドライス(肉なしチャーハン)を選択。
あまりにひもじそうな私たちに、ドライバーがコーラをそれぞれにおごってくれた。(笑)
スリランカ人にまさかおごってもらう日が来るなどとは思いもしないことなので、何度も感謝の言葉を伝える。
彼はフンッと笑うとササッとご飯を食べて姿を消した。
ランチを食べ終わると、早速シーギリヤロックへと向った。
天気はあいにくの雨。シーギリヤロックの山頂は見えない。
それでも仕方がないのでそのまま進んで行くと到着した頃になんと雲がなくなった。
チケット売り場に行くと入場料は4,500ルピー(約3,500円)高い・・・。
わかっていたが高い。そしてあの上に書いてあるフレスコ画はスリランカ人が描いたものらしい。しかし撮影禁止。
なんでそれなのにそんなに高いの!?
経済的にあまり豊かでない国はこういう作戦でお金を集めようとして来るえけど・・・本当に高すぎるよ!
と、文句を言いながらも4500×2名分=9000ルピーを支払い、入場。
黙々と階段をのぼる。
C「階段多くない?」
無論、私の文句は120%でついて来る。
H「文句言うなよ、上行ってみたいんだろう?」
C「そうだけどさ、エレベータつければいいって話でもないけどさ。」
ブツブツ言いながらも着実に登り、フレスコ画のエリアまで来た。
写真撮影禁止と書いてあるものの、少しくらい・・・大丈夫じゃない?と撮ってみるとスリランカ人2人に囲まれ、パスポートとカメラを渡せ。と言われた。
あまりの剣幕に画像を消して、パスポートは無い!と言い張っていると、いきなり今回は見逃してやる、行け!と解放された。
捕まってしまうのかと恐怖がやばかった。魔が指すとはこのことか・・・と自分でも驚いた。
更に上へと登ると、顔なしのライオンの像が。
これを見たくて来たんだ!とH氏は右から左から何度も写真を撮っていた。
ここからがカッサパ大王が13年間にわたり居住していたと言われる区域となる。
ここに登るまでにだいたい1時間弱ほどかかっただろうか・・・。周りに何も無いようなところに城を建てて、登り降りに2時間ほどもかかる場所に居住するなんて家来泣かせもいいとこだ。
H「なんかカッサパ王は母親が平民で、弟は王族の母親だったらしいよ。父親を倒してここに城を建てたらしいけど、13年間しか持たなかったんだってさ。最後は弟にやられたらしい。」
C「こんな大変なとこに城を作っておいて、13年しか持たなかったの!?ひどいね。」
H「頭の悪いリーダーがトップに立つとそう言うことが起きるんだね。」
C「怖いね、日本はどうなんだろう・・・。」
H「安倍さんはいい感じなんじゃ無い?」
歴史に学ぶことは多い。
シーギリヤロックをダンブッラに観に来たのなら、必ずみるべきがケーブテンプル。
岩の中に作られたお寺だ。
ここは1500ルピーほどだっただろうか。
ここもまた、山の上にあると言うことで階段を何団も登る。
山の上に行くと靴を預けろと言われこれまたお金を200ルピーほど取られた。
キャンディまで戻るバス代が心配な私たちはお金を請求される旅にヒヤヒヤした。
寺の中に入るといくつかの部屋に別れている。
中に入ると大きな、目の小さな仏像がいくつも並んでいた。
ここにこれを作った人たち。そしてここにわざわざ上りにきてお祈りを捧げる人たち。
シーギリヤロックから離れているものの、他の地域に比べたら近いと言えるこの地域にこれを作ったと言うことはきっと、辛労辛苦が絶えなかったのだろう。
そしてブッダ様にお祈りするしか、心を支えることができなかったのだろう・・・。
そして急にこの国のブッディズムについて興味が湧いた。
歯の寺といい、この仏像の数といい、この後みる予定のブッダの髪の毛があると言うお寺といい、なんだかこの国はおかしく無いか!?
ブッダにどうしてこんなに召されているんだ!?
とうとう、私は手塚治虫のブッダを読む決意をした。