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“The Travel Story 33” -神々が住む国- 【カトマンドゥ ネパール 2 】

自力トレッキングに向けて

私たちはアンナプルナサーキットか、ベースキャンプに行くことを予定に決めるとたくさんのブログや情報サイトのインフォマーションを頼りに準備すべきものやルート、だいたいの日程などを確認した。

そのためせっかく景色もよく、気候も暖かくて良いと言われるポカラではホテルに籠り1日目は情報を集めるのに徹した。

ネットの情報を読んでいるとだいたいのページで地球の歩き方を持っていけばなんとかなるようなことが記載してあった。

持ってきてたAmazonKindle  Fire 8に、地球の歩き方ネパール編をダウンロードする。

開いてみると、驚いたことに、本の半分以上がトレッキングのルートや持ち物、みるべき場所や注意点などになっていた。

そんなポカラでの2日目。

到着した日は、ポカラの街はどんよりと重く曇っていたので何も見えなかったが、今日は違っていた。

綺麗に晴れ渡り、ヒマラヤ山脈の景色がしっかりと確認できた。

ポカラの街で井戸端会議する奥様達と晴天のヒマラヤ山脈

青空のもと、貧しい親子が「金をくれろ」と洗面器を持って歩いているのを見かけた。

するとそのまま少女が私の前に近づいて来たではないか。

少女は純粋な目で私を見つめ、手を差し出した。私は言葉を失った。

さらに自分のポケットに一銭も入っていなかったことにどうしたらいいかと押し黙っていると母親の方が少女を連れて行った。

申し訳ないことをしたように感じた。チョコレートでもキャンディの一つでもあげられたら良かったのにと悲しくなった。

私たちは登山に必要な入山料を払いに行く。

入山許可証やら書類を出す場所

また、その足で登山に必要な寝袋や手袋、スティック、厚手の靴下、軽食のスナックにトイレットペーパーなどの物質を調達しに出た。

購入するものもあれば、レンタルできるものもあり、金額は店の人との交渉。

ある程度のところまで値切ると全体で12,500円ほどに収まったのではないだろうか。

あまりに長い時間話してたのでお店の人と一枚♪

帰りにATMとマネーエクスチェンジに寄ってお金を補充する。山の上にはATMなんて無いのだ。

H「これだけ持てば大丈夫だろう・・・。」

この言葉が札を数えて言ったのか、見た目で言ったのかわからなかったが、これについては彼に任せた。

ルート選択と日数の計算

ホテルに戻るとその日買ったMAPを広げる。それだけなのになぜだろう、ワクワクしてくる。

今はこの場所にいて、ここへ行く。ここが出発地点だ。カラーペンで慎重にマークをつけて行く。

冒険家になった気分だ。

きっとうまく行く。ここからここまでを1日、その先ここの村までに1日、こうして戻ってこよう。

そうだ、10日もあれば余裕で行って帰ってこれる。

私は一通りの流れをH氏に説明すると意気揚々と準備を進めた。

こんなに楽しいことはなかった。

ホテルの前に広がる湖

頭の中ではこんな言葉が繰り返された。

「大丈夫。絶対に行ける。大丈夫。できる。必ず成功する。問題ない。」

何度も繰り返し地図を見ながらここには温泉があって、ここまで行くのに恐らく日程度。などとMAPに書き込んだ。

別に地図の中の地形がどうなってるかなんかはわからなかったし、どれだけ寒くなったり暑くなったりするかなんてわからなかった。

けど、地球の歩き方を読む限り、春~冬まで全ての四季に対応できるようにしておけば問題ないと、そう認識した。

これだけ張り切って、舐め回すようにしてネットのページを読み込んで下準備したのは、この旅の中でも指折りの経験かもしれない。

そう、ビマルくんも言っていたけど、山登りは諦めない心が重要。

と言っても私、この10日間のトレッキングってそんなに辛いイメージをしてなくてほとんど散歩の延長くらいに思ってた。

そうして、今日はここまで!あとは荷物を詰めてよく眠るだけ!というとこまできた。

私たちはキリのいいところで作業をやめると観光客がたくさんいる通りまでやってきて、ディナーを取ることにした。

トレッキング前夜のごちそう

H「今日は景気付けに肉でも食べるか。」

C「ステーキ?」

H「そうそう。山では肉なんて食べれないんじゃない?」

ネパールでもヒンドゥに近い考え方があるらしく、牛肉はローカルなお店では出会うことがない。

その代わりというのもなんだが、水牛の肉と出会うことが多いのだ。

だけれど、あのごつい体の水牛の肉だ。想像通り、めちゃくちゃ固い。

水牛のかった〜い肉

あんなものはステーキでは食べられない。(だからひき肉にしてMOMO[餃子に似た食べ物]になってるのかも。)

その国に入ったら、なるべくローカルなものを食べるというルールが潜在的にあったが今日は特別に、ビーフステーキを食べることにした。観光客向けの店ならたっぷりのステーキが1000rupisに御釣りが来るほどで食べれるのだ!

一日中動き回ったり、頭を働かせていたせいかお腹も空いていたので、追加でHがフライドポテトを注文。

まずはフライドポテトがテーブルへ。

ドーンと、これ一つでお腹いっぱいになれそうな量が出てきた。

けどお腹が空いていたのでメインが来るまでこれをつまんだ。

H「いよいよだね〜楽しみ?」

ニコニコとHのテンションも上がっていることが伝わって来る。

C「そうだね~、楽しみだよ、富士山も登ったことないから、未知の世界!どんなところに泊まるかもわからないしね!」

H「そうだよね!俺は富士山登ったことあるけど、一日で行ったからな~、今回みたいに長いのは経験ないな。」

明日から行くまだ見ぬ世界に思いを馳せて、あれこれと話をした。

そして、この日出てきたステーキ。

この鉄板のお大きさにこれだけ載せるかな・・・と思うような量が温野菜と一緒にドドーンと乗ってきた。

載せすぎでステーキが切れないです!

大好きな赤ワインとともに。これだけ食べればお腹もいっぱいになる・・・。

パンパンに膨れたお腹を抱えながらホテルに戻り、明日の最終準備をして布団に入った。

出発の朝

5時。私たちは朝6時に出発しようと朝5時に目覚ましをセットしていた。

が、この日私は目覚ましの前に目を覚ました。重く感じの悪い腹痛を抱えながら。

気持ち悪い!トイレに駆け込む。

お腹を抱えたまま、ベッドに戻り横になる。

「んーうぅー、ふー、フー、ん~・・・。」

胃の中がおかしい。痛くて気持ち悪い。何度もなんどもトイレとベッドを往復する。

・・・1時間後。お腹を抱えて未だ唸っていた。

Hも心配していたが、何もしようがない。と隣に寝ていた。

が、実際腹のなかは違ったらしい。

”トレッキング行くんじゃねーのかよ。何こいつトレッキングの初日当日に腹痛くなってんだよ・・・。しょーもねー”

後に聞いた話だが、心の中はこんな感じだったらしい。(笑)

さらに1時間後。まだ腹痛にうなされ死ぬ思い出トイレとベッドを行ったり来たりし、腹を撫で回し、呻き声を上げていた。

見かねたHが一言。

H「薬でも飲んだら・・・?」

C「そっか!胃薬、飲めばよかったのか!」

具合が悪くなりすぎて薬の存在など忘れていた。

胃薬と痛み止め、整腸剤などいろいろ持ってきていた。

私は甦りの薬のように急いで飲み込む。

時間が経ち、薬が効いてくると胃の痛みで疲れていたのか、寝てしまった。

1時間後、お茶を飲みに出ていたHが戻ってきて、私を起こした。

H「どう?もう今日はいかないでしょう?」

C「え?行こうよ、まだ間に合うよ。」

H「本当に?大丈夫なの?」

C「うん、お腹もう痛くないし大丈夫だと思う。」

H「じゃあ、出る準備するよ?」

そこら中に出していたものを全部しまい込み、荷物をパッキングする。

忘れ物は無いか23度と確認すると、私たちはホテルに大切なノートパソコンも含めて全ての荷物を預けた。

そして、本当は利用する予定だったバスをスルーして、タクシーを呼びスタート地点の村まで40分移動した。

ホテルを出て後半はこんな工事現場みたいな道だった

山の麓の家族

大体10時半ごろに山の下に到着。

この時間に出発するトレッカーもいるらしく、トレッカーを乗せた車がいくつと通りすぎて行く。

ここから登るトレッカーは少ないらしい。時間も時間だしね。

Hがここまで来てお腹が減ったというので、手前の人の家のようなレストランでホットケーキを注文する。

20分ほど待って出て来たものがこれだ。

全くホットケーキとは名ばかりでチャパティでは無いか。と言いたくなる。

しかもバターもシロップも言わなければ何も出てこない。

美味しく食べ物を食べさせようとかそういう感覚や配慮は一切ない。いや、そもそもどういう食べ物か知らないのだろう。

とにかく出せるもんがコレ。みたいなそんな感覚でやっているのではないだろうか。

それでもこれが300円とかするんだから悲しくなる。

ホットケーキチャパティをジャムでいただくH氏。

Hが食べていると、前に目の細い大柄で色黒な女性が座った。

どこかの民族の衣装を着ている。

すると、彼女は私たちに親しげに話しかけてくる。

どこから着たのか、どこの出身か、どこに泊まっていたのか、ネパールはどうだ?ポカラはどうだ?今日はどこまで行くんだ?

しきりに話しかけてくるかと思うと、不意に自分の持っているものを広げ始めた。

グルン族のおばさん。

布の上にビーズで作ったネックレスやブレスレット。牛のつので作ったというリングなど。

それは日本でもよく見かける民族系のアクセサリーのデザインそのままだった。

そのアクセサリーを見せながら、おばさんは結構な英語力で私たちに語りかける。

「昔、私はチベットに住んでいたんだけどね、中国がやって来て仕方なくここに移って来たんだ。

 でも、ネパールの政府は私たちを国民として認めてくれないからね。

 仕事もなくて困ってるんだよ。街には出られないし、こういう場所にしか住めない。」

ホットケーキを出してくれたお店の家族

そんな哀れみを買うようなことを聞かされてしまうと私たちも何もしないのは悪い気になって、1人一つずつ、ブレスレットを買うことにした。

コレとこれ。と差し出す。

「コレは500ルピー、コレは700ルピー、オールで1200ルピー」

「え?それは高くない?もう少し安くならないの?」

「手作りだからね、安くできないよ」

・・・どんな理由だよ、日本で買うより高いじゃないか。と思いながらもコレと出してしまった手前やめるとも言えずに結局購入した。

なんともうまいオババだ。

まずいホットケーキを食べると、私たちはついにトレッキングを開始した。

11時半。

ホットケーキを食べた店の横にくっついている裏道のような階段を登り始める。

コレがスタートかあ。

アンナプルナB.C. トレッキングスタート

ただの人の家の裏の階段みたい・・・

なんとかの山、とか書いてないんだな・・・。

階段は石畳でできていて、コレをだれかが運んで来て、並べたと思うと涙ぐましい作業の成果が道になっていた。

そして数歩歩くごとにプラスチックゴミが落ちているのを発見し、居た堪れない気持ちになった。

私は自分のバッグからいらないビニール袋を見つけると、一つひとつ、なるべく体に負担をかけないようにしながら拾うことにした。

トレッキングに登ることを決めた時に自分の心の中に生まれた志のようなものが一つあった。

山道をズンズンと進んでいくH氏(嬉しそう♪)

「自分が良いと思ったことややりたいと思ったことを貫く。」

トレッキングも、できない・無理かもしれない=じゃあやめておこうかな。」と諦めるのは簡単なことだ。

けれども「絶対にできる、大丈夫だ、問題ない=さあ、行こう!」するのでは雲泥の差ができるのだと実感したからだ。

もちろん準備が必要だったり、お金が必要だったり、いろんな要素があってそれを乗り越えての話だ。

それでも自分がやる、できると言ったことは必ず現実になるんだ。という実感があった。

階段を登って行くと、すぐに農地が見えて来た。

山の上にある段々畑だ。

サトウキビや米、キャベツなんかが植えてある。

時折ロバや牛なども通ったりした。

が、スリランカやネパールでは牛もかなりの確率で見るせいかもう驚かなくなった。

そして歩いていると農家の人たちに出会った。

農夫の家族

「どこから来たんだ?日本か、そりゃご苦労ご苦労、ちょっと待って!コレをあげるから!」

と、持っているサトウキビの木を鎌でバシバシと切って、食べやすくスティックにすると、私たちに2本ずつ手渡してくれた。

噛むと懐かしい味が広がった。

Thank you!

お礼を言うと、農夫たちはにっこりと笑って右手を上にあげて手を振った。

サトウキビを割ってくれた優しいおじさん

私たちはお金を求められるのかと思ったが、サトウキビは純粋な彼らの気持ちの品でそれ以上何も求められるはなかった。

お金のことを真っ先に想像したことを恥ずかしく思った。

更に階段を登っていくと今度はレストランが見えた。

山の上のレストラン

誰もいない、安そうなレストランだ。

レストランといっても、家の前に看板を出しただけのようなものだが。

時間を節約するため、同じものを頼む。

「フライドライスを。」

30分ほどしてチャーハンのような炒めたご飯が出てきた。

ご飯にはどうしても時間がかかる。毎回毎回、野菜を切るところから、悪い場合は畑から取ってくるところから始まるらしいのだ。

のどかで暖かい風景

さ、一口目を。と思った時にご飯の中に蟻の死骸が入ってるのを見つけ、5秒後には数匹のハエにフライドライスが囲まれた。

こういう場所なんだ、仕方がないじゃないか。と割り切ってこういうものも食べるようになっていた。

日本ではどうだっただろう?

虫が入れば交換してもらったし、ハエがいるところでご飯なんて考えられなかった。

でもどうなんだろう?

衛生的にはもちろんいない方がいいし、虫は入ってないことが当たり前だけれど目の前にあるその料理の盛られた皿は無駄にしていいものなのだろうか?

無言に掻き込みながら、改めて考えていた。

卵とチーズで栄養満点のフライドライス

衛生上の問題は色々あるかもしれないけど、実際問題私はそんなにすぐにお腹が痛くなったり、具合が悪くなったりしてない。

目の前にある食べ物は大切に食べるべきじゃないか。できれば虫が入っていようと。

これも人には押し付けられない考えだな、などと考えていると数10分掛かっているように感じたが実際には15分ほど仕方っていなかた。

ランチを終えるとすぐにまた歩き始めた。

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