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“The Travel Story 40” -グルメ×救急車- 【 韓国 】

この旅二度目の旅立ち

父は相変わらず寂しそうだったけれど、私はバタバタのせいで、もう周りのことなんか気にする暇もなかった。

錦糸町駅から総武線に乗り、船橋へ。

船橋から京成スカイライナーに乗り換える。

大きな荷物二つも抱えてこの電車に乗るのは本当に申し訳なかったけれど、仕方がない。私もこの電車に乗らなきゃならないんだ!

勇気を出して乗り込む、と。数分後に男性二人が口論を始めた。

「当たっただろ?謝れよ。」

「当たっていない。うるさい」

この言い合いがしばらく続いてた。

そこに別の男性が一言。

「うるせーんだよ、ちょっとぶつかったくらいでグチグチ言ってんじゃねーよ。黙っとけ。」

これにも応じずまた二人の口論が続く。

しばらくしてまた、仲裁の声が上がり、口論は10分ほどで終わった。

殴り合いにならなくてよかったな〜。と胸を撫で下ろしたが・・・。

「こんなことやってんの日本くらいだよ!」と言いたくなってしまう。

インドやスリランカ行ったって、カンボジアやラオス行ったって、みんな譲り合いしてるよ?

ちょっとぶつかったくらいでみんなブチギレたりなんかしないよ?

朝の空気が気持ちいい時間に満員列車乗ってしまってイラついてるのかもしれないけれど。もっと心に余裕を持とうよ!

旅に出る手前、気持ちに余裕がある私は寂しい気持ちになった。

日本のストレス社会は余裕がなさすぎる、とは思うけど。

成田からの出発は定刻通り。

久々に会える旦那の顔を思うと自然と笑顔に変わった。

4月26日韓国 久しぶりの再会

3週間も離れたのって久しぶりのことで私的には「久しぶりー!おかえり!どうだった〜?」なんてハイテンションでやるのをなんとなく期待していたけれど。。

H氏は全くそういうの無し。

口には出さなかったけれど寂しい気持ちになった。こういう人だと忘れていた私が悪いのだけど。

 

ここで待ち合わせって言ってたのに、いなかった。トイレだったらしい。

電車に乗って、夜はご飯を食べに外へでた。

私たちが泊まったのは仁川のホテル。

もちろんソウルに泊まりたかったけどね!

でも金額的な問題でちょっと不便ではあるけど、仁川に宿泊。

日本的に言うとラブホとビジネスホテルの間のような場所だった。

そして、頑張って足を伸ばした先にあった街を観てみると韓国の道路や街のつくりは本当に日本に似ていた。

色彩表現(ガチャガチャした感じ)も似ているし、道路のブロックも一緒。日本の会社が入ってるのかもしれないと思うほど。

その日は、ちょっとだけ辛い冷麺のようなものを食べて、ホテルに戻り就寝。

と、思ったけど到着した時から思っていた気持ちが炸裂した。

「何で久しぶりに会ったのにハグも無ければ気持ちの表現も無いわけ?悲しいよ!」

涙で訴えた。

「なんで、泣くまで黙ってんだよ〜先に言ってよ。」

と、文句言われてさらに号泣。なんで私がお願いしなきゃいけないの!と、泣きながら怒った後、やっとの思いで仲直り。

胃痛・吐き気

(ここからは写真なし)

ようやく就寝・・・と思いきや、数分後・・・体調が急に崩れた。

「気持ち悪い・・・。吐いてくる。」

トイレに行くと食べたものが水のように戻ってきた。

数分間格闘した後、ベッドに戻るも胃痛は止まらない。

あまりの痛さに呻いて呻いて、ビニールを用意してもらってそこに吐いた。

ああ、こんなことになるとは・・・。

「何なんだよ、これ・・・。」と途方に暮れるH氏を余所に吐き続ける私。

3時間後。

C「久、救急車呼んでもらって良い?」

遂に救急車に乗る決意をした。

初めてのことだし、韓国でまさか救急車に乗るなんて思ってもみなかったので本当に怖かった。

でも、救急隊員は到着すると、動けなくなった私を5階の部屋から布を使って運び、救急車に乗せた。

お腹が痛すぎてもう無理だ。。。と目を瞑っていると、脈を測ったり、何を食べたんだ?何を飲んだんだ?と隊員の人が聞いてくる。

その日食べたのは冷麺。

そしてその後、ビールやマッコリ、日本酒を飲んだと説明。(ああ、飲み過ぎだよね・・・。)

ベッドに移動させられると、すぐに医者が出てきて病状を聞いていく。

朦朧としながらそれに答えていくと、点滴をいくつか打つことを言われた。

ああ、これ前にもやったことあるけど苦手なあれか。点滴、痛いんだよな。とうっすらとある感覚の中でじんわりと痛みを感じながらじっと耐える。

なんの病気かは伝えられなかったけど、到着から2時間、恐らく朝の5時ごろにやっと帰宅するように促された。

H氏はその間もずっと病院で待機していてくれて、靴を履いてこなかった私のためにタクシーの乗り降りと部屋までおんぶして行ってくれた。

結局、今回は急性胃腸炎だったのだろう、と推測された。原因は酒の飲みすぎ、もしくは食あたり。

 

反省

ああ、申し訳ないごめんね。ごめんなさい。

あまりにも日本帰国が嬉しかったの。

日本で大好きな友達に会えたことも、古巣REPOSで遊べたことも父と飲めたことも家族や親戚と会えたことも全部全部嬉しくなってしまって歯止めが効かなかった。

こんな体験は今までになかったから。

それにしてもなんて愚かな私。

そして藁にも縋る思いで念じる。「頼む!効力を発揮してくれ!私の海外保険!」

H氏に謝りながらも自分の愚かさに呆れた。

もうやらないよ、もう馬鹿みたいに飲まないよ。

ああ、相変わらず私は馬鹿でアホだ。認めるからゆるして!

「馬鹿もほどほどにしろ。」とはこのことだ。

結局、保険の方はどうにかこうにか行ったんだけどね。

もしかしたら、飲み過ぎじゃなくて食あたりの可能性もあるから・・・。よかった(胸を撫で下ろす馬鹿)。

一安心するも、この後も病院食のようなものが続き、今後も胃の心配は長いこと続いて行った。

宮廷観光

翌日は眠気のあまり何もできず、そのさらに翌日に観光に出た。

ご飯は楽しみにしていたものの胃がひどい状態のため食べれず、昼は豆乳冷麺。(これ味なくてまずかったな〜)

 

韓国料理ざんまいは全く、なしだった。(自分が悪い)

あまり、面白いものはなかった。

日本の文化と、沖縄の文化に似ていたかな。

チマチョゴリを着た女性達に出会ったけれど、ああ、これが韓国版の現代風民族衣装か。と言う出で立ちの人たちと出会った。

日本で見るハイビスカスの浴衣よりも良いかな。

可愛らしい色のお揃いのチマチョゴリを着ていたよ。

可愛らしいチマチョゴリの子達

4月30日 旦那H氏の誕生日

誕生日は何をしたい?と聞いても「俺、自分のためにお金払うのもよくわからないし、いらないよ」と言われいた。

私は何しろ当日の日かその前日まで計画を言いたくないタイプなので(あ、言ってしまった)今回も特にプランについては発表していなかった。

そして、前日に伝えた。

「今回は寿司でも行く?ちょっと調べたから、私ご馳走する!」

そのあとの反応がこれだ。

「え?奢ってくれんの?本当に?寿司?あるの?韓国に?食べれるの?」

全てにクエスチョンマーク♪

「連れて行くって言ったんだからお寿司は食べれるよ!そのレベルについてはまた別の話かもしれないけどね!」

何しろ食べに行ったことの無い寿司屋に突っ込んで行くので、どのレベルで美味しいとか、どのレベルで日本の寿司に近いとかその辺はわからない。

とにかく、ソウル周辺で美味しい寿司屋を調べに調べた結果。

絶対に行くならココだ!と言う場所に連れて行った。

韓国人の寿司職人が作る寿司屋だった。

値段もだいたい想像ついてたんだけど、旅に出てから自分のお金を食事に使ったことがなかったから実のところはビビりながら入った。

今日はH氏のの誕生日だから。とビールももちろん頼んだ。

C「なんなら日本酒も良いよ、飲んでいいよ!」と内心はいくらになるのかビビってるくせに笑顔で勧めてみた。

H「ビールだけで十分だよ。沢山出てくるんでしょう?」

と優しいH氏。

寿司はコースで全席に順番に出てきた。

最初におかゆから始まり、マグロももちろん出たし、エビ、アワビも出てきた。

卵ももちろん出てきて、最後に巻き寿司にうどんも出た。

最後は私だけが残って支払い。

お店の女将に支払いの金額を提示される。

心の中で私は思った。

「あぁ〜奢れてよかった。

大した貯金も無いけれど、こんくらい出来てよかった・・・。

しょうもない20代後半でごめんだけど、よかった、喜んでくれて。」

実のところ、彼の誕生日にお店で奢ってあげたのはこれが初めて!

なぜなら彼が「誕生日には私の手料理が食べたい」と言ってくれていたから。

だけれど、やっぱり私も嬉しかった。

店に入った瞬間、寿司が出てくる度にひさしがここ高いやつじゃん!って言いながら着席し、厚みのある韓国風のお寿司を旨い旨い!もう当分お寿司はいらないよ!お腹いっぱいだよ、こんなに食べれないよ!と言いながら食べて、嬉しそうにしていたのが私も嬉しかった。

こんなに嬉しいことは無いなあ、と奢る嬉しさを感じたのはこの時が初めてだったかもしれない。

二人でお寿司をたべた後♪

その後は、買い物。

日本では我慢していたものや、化粧品なんかも買った。

ZARAで私はTシャツ、彼は黒のジーパン(Ibizaと都市用に)。

旅中のおしゃれなんて諦めろ!と言われていたので、好きでもない服を持ってきていたけれど、これにはかなり失敗した〜と思った。

写真にも残るんだから、なるべく自分らしい服を持ってくるべきだった・・・。と。

節約旅の私たちは穴が空いた・破れた・色落ちがひどい。以外、洋服の購入は禁止という暗黙の了解となっていた。

久々に欲しいものを買ってもらったり、自分で買ったりして気分的には上々!

最後の夜は自分の胃に「こんなに脂っこいものたべても大丈夫でしょうか?」と問いかけながら焼肉をいただいた!

そしてその翌日、チリに飛んだ。

この章の写真

病人食1(韓国風タンメン)

病人食2
韓国のおかゆ。(アワビが入ってたらしいけどわからなかった)

路地裏のアートと

誕生日のランチに連れて行った店の大将。

韓国の商店街1

韓国の商店街2

韓国の街中(美への追求心がすごい)

韓国最終日に焼肉(多分私の胃も元気1と言い続けた…バカだなあ)

あの日の思い出の肉

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