はじめに
地中海に浮かぶスペインのイビザ島。
今ではスペイン語・カタラン語・英語が中心に話されている。
在住2年目の私だが、それ以外にもイビザではフランス語、ドイツ語、中国語、フィリピン語、どこの何語なのか不明な言語を話している人たちを見かける。
さらにスペイン語はスペイン語でも南米のスペイン語も聞こえる。
肌の色で言えば、白に黄色に黒、それはもう様々でヘアスタイルも、ヘアカラーも青にピンクに緑に白黒、金だし、ストレートにウェービーにチリ毛となんでもありだ。
様々な国の人たちが住んでいるから、差別に合ったことも無いし住み心地もいい。
多少派手な格好をしていても、これといって目立つ訳でもなく、露出が多いからと言って誰かに後ろ指を刺されることもない。
母親がカフェで乳をあげていても誰も気にしない。
なんだか自由な雰囲気がある。それがイビザ。
そんなイビザは一体全体いつからこんなに国際色豊かになったのか?
紀元前
イビザは紀元前654年にフェニキア人(現在のアラブ系民族)開拓者によって設立された港町から始まった。
それから約1000年を超える歴史の中で、カルタゴ(現在のエジプト系)、ローマ、バンダルス(ヨーロッパから移住したアフリカ系)、ビサンチン(現在のイタリア)ムーア人(北西アフリカ人)など地中海に浮かぶ島として様々な民族に統治・支配されていた。
アラブ民族の支配が500年続いたのち、1235年8月8日、現在のカタルーニャ人がスペイン本土から襲来し征服。
そこにあったモスクを破壊し、その元あった建築物の土台に大聖堂を建てた。
最古の教会はサンタエウラリア、サンアントニオ、サンミゲル、サンジョルディにある。
なお、その他の教会のほとんどは18世紀になってから建てられたものだ。
中世
ヨーロッパの中世と呼ばれる時代は非常に長くAC4世紀から17世紀ごろをいう。
中世になってからもイビザには様々な国の人々が往来していた。
が、イビザには中世から続くお祭り、Mediebal Festivalは毎年5月の第二金曜日のに行われ、ここではその暮らしなどをみることができる。
この後1700年ごろになってスペイン王家のスペインハプスブルク家の後継者断絶の危機が訪れ、スペイン継承戦争が勃発する。
1715年には、フランスのヴェルサイユ宮殿で生まれ、スペイン人の叔母をもつフィリップ5世がスペインを統制することに。
イビザもこの影響を受け彼が厳しい規則と言語を課し現在のようなスペイン語圏としての社会が作られた。
それまでのイビザは、様々な民族の支配や介入の影響を受け、様々な形態の自治を維持されることが許されていた。
時は流れて18世紀。カトリック教会は教会を建設し、19世紀まで様々な事柄を行った。また、信仰を中心に島の生活を再構築したが、住民のほとんどは塩田の悲惨な労働状況から逃れることは出来ず、多くが移住した。
1930年になって、本土から定期フェリーが運航されるようになり、そこで初めて観光業の花が開き、島の運命を変えた。
同じ頃、ヨーロッパではファシズムが広がっており、多くの芸術家や作家がイビザ島へ逃げてきた。
1936年から1939年まではスペイン内戦により、、多くの場合同じ家族の共和党員とフランス国民党員が互いに敵対し、多くの流血と民族主義者の追放をもたらした。
イビサ島は定期フェリーの運航開始から20年間で観光地へと変貌を遂げ、1950年代にはビーチリゾートが開発された。
人口は1960年代と70年代にほぼ倍増したが、これはそれまでに住んでいた人々ではなく本土からビルダー、観光労働者、集まったヒッピーたちの旅行ブームによるものだった。
スペインの統治は、1970年代後半に民主主義が確立されるまで続き、最終的にイビサ、マヨルカ、メノルカ、フォルメンテーラを含むバレアレス諸島の自治の制定法が作成された
現在、ビーチと大規模なナイトクラブは、特にヨーロッパ北部の若者たちにとって主要なパーティーの目的地・旅行の目的地にされている。
さいごに
現在、パーティーアイランドとして有名なイビザ。
古代の時代から振り返っても、たくさんの人に愛されてきた島だということがわかる。
アフリカ・中東・ヨーロッパの人々そしてその文化が根付き、今でも垣間見ることができるのは地中海に浮かぶ島ならでは。
地域によって住んでいる人種も違ったりするので注意深く見てみてはいかがでしょう?
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