友人の紹介で2023年11月ごろにQHHT催眠療法を受ける機会があった。
現在2024年3月なので4ヶ月前の話だ。
結論から言うと、QHHT催眠療法は素晴らしいものだった。
QHHTを受ける前の停滞状態から明らかに自分の人生を好転させることができているといえるためだ。
それでは、下の流れでQHHTについて。
■目次
QHHTとは
Quantum Healing Hypnosis Technique (クォンタム・ヒーリング・ヒプノシス・テクニック)の略で、Dolores Cannonによる催眠療法。
略を見ても何のこっちゃって言葉の羅列に感じますよね?
もう少し詳しく説明していきます。
この催眠療法は、ヒプノセラピーの巨匠 ドロレス・キャノン(米)が50年の歳月をかけて作り上げた、素粒子の働きを利用した催眠メソッドです。
この催眠療法を使ってできること
それは、以下の4つ
1, 解決したい悩み、答えを知りたいことを見る
2,見えない存在と繋がりたい(過去世や宇宙世、ハイヤーセルフとつながる)
3,精神世界探求(過去世、宇宙世、パラレルなどの魂の回収)
4,事業計画、事業戦略を立てる
と上記のようなことを知ることができます。
ここで少し解説!
2.の過去世、宇宙世ってなに?
過去世、宇宙世=人間は輪廻転生しているという考えのもと、自分が産まれる前に今のご自身の魂が前の人生を歩んでいた時の人生のことです。
過去世は一般的に人間が人間に生まれ変わるというパターン。
宇宙世というのは稀に宇宙人だったという人がいるので、その場合の言い換えとなります。
ハイヤーセルフとは、高次元の自分、自分自身の魂で、輪廻転生を繰り返してきた魂です。
魂は私たちの直感、数字などを使って、自分自身に最善の方法や選択を教えてくれると言われています。
また魂にはこれまでの別の人生(輪廻転生で経験したもの)の記憶を保持しているので、過去世での経験を活かして、今世では別の選択をするように促してくれたりするのです。
催眠は人によってはかかるしかからない人もいるそうです。
でもQHHTはとっても不思議な力があるようなんです。
QHHTを受けるタイミング
QHHTはあなたに必要なタイミングで、あなたの前に現れます。そしてあなたの必要なタイミングでセッションを受ける運びになるのです。
ある人は、QHHTを知って数年間、体験したいと思いつつも、セラピストとの予定が合わないなどでなかなか受ける事ができなかったとか。
かと思えば、私のように「QHHT…?なにそれ?」な人にも突然チャンスがやってくることまあります。
それでは、実際の体験談をお話ししていきたいと思います。
QHHT 私の体験談
QHHTの体験の話しは日本人ママ会のグループの1人から、QHHTセラピストの情報とQHHT概要が送られてきました。
何人かの希望者を募集中とのことでした。
すぐには返信せずに幾つかのQHHTに関する記事を読み、今困っている状況の数々について思いを巡らせ、
数日後に「やっぱり・・・。」と、セラピストの女性に直接連絡しました。
「まだ枠が空いてるのでいいですよ。日程を決めましょう!」
とすんなりと話が進んだ。
ホッと肩を撫で下ろしました。
2週間後に日程が決まり、それまでの間は、私は今疑問に思っているようなことたちをノートに羅列した。
高次元への質問を大きく分けると
- 将来へ漠然とした悩み(お金・居住場所)
- どんな仕事を選択すべき?
- 現世での使命
- 先祖とのつながり
- 亡くなった母とのつながり方
最初の2つの悩みについて。
私はスペインにもう4年近く住んでいるのですが、いまだに公式な居住ビザが取れないでいる。スペイン政府から見ると不法滞在者だ。
でも娘はここで生まれてもう3歳だし、夫は店も持っているし、2人ともビザを持っている。なので在住で困ることはない。母親としてここに住むことはできる。
であるが、ビザが無いと何に困るか?
- ・運転免許の更新ができない。もちろん別の新しい免許を取りたくでもできない。
- 普通には仕事が探せない。スペインでも管理が厳しいので昼間の仕事には監査人がやってくる。チェックされて、無契約で働いているとわかった場合、会社側が高い罰金を支払わされる。
- 転居ができない。正式な収入がないので引っ越しの自由も無い。
- 信用問題がクリアにならない。
- 自由に外国に行けない。出国できても入国は断られてしまうからだ。
前回も不法滞在して出国の際にはノルウェイの移民局の人間には罰金はコロナと妊娠出産を考慮して勘弁してやると言われた。
「次は入国するならきちんと特別ビザをもってこないと、入れないからな。」
と出国スタンプを押された。
とはいえ、不法移民はたくさんいるし、不法な労働もたくさんある。
そこはコネでなんとかするか、自分で仕事を立ち上げるか、もしくはプライベートで掃除屋、皿洗い、夜食なら問題がないからバーの店員とかプライベートシェフなどをすることでなんとかするのだ。
2023年始まった当初から仕事さがしに悩んでいた私は完全に迷子だった。
この4年間意地でこの地に張り付いてきたきたけれど、もう日本に帰ったほうがいいかもしれない、、とうっすらそんなことも考え始めていた。
セラピー前のカウンセリング
朝10時に指定された家から徒歩距離のホテルの一室へ。
時間通りにチャイムを鳴らすと、アジア人の女性が部屋を扉を開け、中へと通されました。
初対面なので最初にお互いの自己紹介をして、上に書いた質問を手にセラピーの方と私の今の状況や悩みについて1時間ほど話しました。
セラピストの名前は明(仮)さん。
明さんは時間をかけて私の状況を聞いてくれました。否定もせず、ただ状況を理解する。でも心に寄り添いながら。
穏やかな会話の後、ベッドに横になるように言われ、波の音が聞こえ、心地のいい海風の入る窓際のソファベッドに横になりました。
最初に
「目を閉じて、私が言ったものを想像してイメージしてください。」
催眠についての質問は特に私からはなかったのでそれについての細かな説明はないまま、セラピーの中核に入りました。
「次の言葉をイメージしてください。」
「黄色い花」
「青いバッグ」
「赤い果物」
次々と発せられる言葉のままにイメージが脳の中に浮かんできた。
そして「これから10秒数えるとちかさんは雲の上にいます。では数えます。」
「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10」
雲に乗っているはずでしたが、数秒の間私には何も見えず、黙っていると、女性が1人タクシーの後部座席に乗ってどこかへ向かっている映像が見えた。
それがどうやら私の過去世の1人の人生で学校生活の中のようだったが、見せられている状況を深堀しても何も出てこなかったため、次の場面へ行きましょう。
と明さんに導かれた。
パンという手の平の乾いた叩く音の拍子に情景が変わった。
そこには白髪のお婆さんがいて、その人は嬉しそうに私にたくさんのことを教えた。
音声は無かったが、いろんなことを教えてくれた。
彼女は山の上に住んでいた。
花と綺麗な色のボーダーのTshirts。
何度もお花が出てくる。彼女は花が好きだったらしく嬉しそうにする。
それから青、ピンクと黄色の絵が何度も出てきた。
好きだったの。この色が。この色の絵をたくさん描いたわ。
自分の好きなことを一通り話すと、これまでの人生についてお話してくれた。
私の周りには体の弱い子が多くてね。この時代、具合が悪くなるとなかなか回復するのが難しかった。だから私はよく周りの人たちのお世話をしていたわ。
ラッキーなことに私健康だったからその類の悩みはなかった。
若い頃は家のことをしたり、体の弱い人たちのことを助けたりしていたから時間がなかったの。
でもね、年を取ってからやりたかった絵を描くようになったわ。
完成したその絵と花を見せてくれた。
明さんが問いかける。
「この女性の人生はどのような人生でしたか?」
女性の言葉が私に降りてくる。
「私はたくさんのものを持っていなかったわ。でも好きな絵を描いてた。
何不自由ない健康な体だったけれど、病気は私のとこへもきて長くは生きれなかった。
だから元気でいること、健康ででいられることは素晴らしいのよ。
でも元気だった時間が長いのは食べなかったせいね。私は食べすぎるってことはほとんどしなかった。それが健康の秘訣ね。
あまり多くのことは望まなかったけれど、人といる方が楽しかったわ。」
明「何故、この人生を見せることを選びましたか?」
「彼女に自覚してほしい。彼女が持っている、健康、才能、センスを。
色についての才能も。自覚すること。不安はいらないの。もう持っているものを。みてほしい。」
私は彼女のいう言葉をそのまま口にしているようで、彼女の言っている言葉を要約しているようでもあった。
私はどの面に対しても不安しかなかった。だから、この言葉を自分の口から出ているのを聞きながらなんだか、力が湧いてくるのを感じた。
その後ももう2つほどの過去世を覗き見たがこの人の人生が特に印象に残っていた。
最初は過去世を旅して今の今世の悩みを紐解いてもらったというところだろうか。
将来への漠然とした悩み(お金・居住場所)
最初に居住場所について明さんがきいた。
すると、こどものいる場所がいいと言われた。
日本?イビザ?という質問には
日本でもいいけれど、日本は子供が少ない。と。
イビザで子供のいる場所を探す。丸い円形の広場がある。と風景まで指定された。
次に仕事。
今ある案件のリトリート施設でシェフをすることについては試すべし。
でも、マーケットの中で割腹のいいハゲた頭に後ろ髪を伸ばして長い三つ編みをしたイビザでしか見ないような髪型の男の手伝いをするようにことも目の中に入ってきた。
その時キラキラした手の中に収まる何かも目に入った。
それを一緒に作り、売る手伝いをするようだ。
私はこの不思議な髪型の男といつか会うことを理解した。
私のミッションは繋げること。
子供たちとつながり、自然とつながりについて彼らに教える。
使命について
食べ物、植物の薬、エネルギー。お茶。イビザと日本からその方法を学び彼らに教える。
化学の実験のように教える。
この言葉は映像なく、ただ口から情報が流れた。
でも、実際私は子供たちが好きだし、遊ぶことが好きだし、幼少期は化学の授業が大好きだった。いつも化学や図工は高評価を得ていたからなるほどな。と思った。
好きだったことを集めることが今必要な作業なのか。と理解ができた。
質問は先祖とのつながりについて。
先祖の思い
この質問をしているとき、丘が見えて草が日に照らし出され、その丘を越えると私がいた。
野原で踊り、舞っていた。
前にもこれに似た映像を見たことがあって、その時は稲穂の上を歩いている映像だった。
この映像を見ている時私は、とても高揚して、幸せで喜びに満ち溢れている。
そしてメッセージはこうだった。
「自分に対してそうだと思ったことをやってみて。
欲しいと思ったコトを与え、やってみようと思ったことは1つずつ全部試していい。
焦らなくても大丈夫。
しばらくはこの流れが続くけれどなんとかなる。春からまた変わる。
先祖とのつながりは思い出して話をすること。」と言われた。
言われたのだが私が言った。
そのままの流れで母に会いに行った。
母とのつながり
母との質問になると突然視界は海の中。
私は母を連れて一緒に泳いでいた。
母は
「あなたが連れていきたかったところに連れて行って。
そこに私がいられればそれでいいよ。
そしてあなたが話しかけたい時に話しかければ私たちのつながりは徐々に戻ってくる。諦めずに話しかけて。
私はずっとそばにいる。」
と言った。
その時私が海の中で母を手を感じ、見守る温かい眼差しを感じ安心感に包まれたことをセラピーが終わった今でも覚えている。
10以上の質問があったので、ヒアリングから合計するとすでに4時間をすぎていた。
前日の寝不足もあって、数十分は寝ていたらしい。
目が覚めた後は、サラッと話をして、良いセッションでしたね!と質疑応答の時間を頂いたが
初めての体験だったので特に質問もなく、その瞬間の感覚に状態を任せるのが精一杯で帰宅し、娘を迎えに行った。
その道中はなんだか、地面から数センチ浮いたまま歩いているような気持ちだった。
セラピーの後とまとめ
セラピーの後は、頂いたメールや記録用に残されていた音声を聞いたりして追憶しながら過ごした。
そして2日後さらに効果を感じた。
朝から言葉にならない守られている感覚を感じるのだ。
あれもあこれも足りないと持っていないと感じていたいろんなことよりも持っているものに目がいく感覚。
今持っているものや環境に、満足し感謝するという考え。
それに併せて、私は守られ、私は見守られ、全てはうまくいくように、なっていると言う疑いのない安心感。
疑いの必要はなく、ただ、今必要なことを1つずつしていくのみ。
と、視線が前に、上に向く。
無いものへの渇望感ではなく、あるものへの感謝と安心感に包まれた。
在るものは変わっていないのに、視点が変わった。
言葉で言えば簡単に感じるけれどこれってすごい変化だった。
安心感が与える前に進めようとする感覚
これがQHHTってことか〜なんてとその時さらに体感した。
正直、催眠って信じられるようで信じられなかった。
本当にこれは私自身が見ている映像の過去世なのか?
この見ている内容は本当に明さんに導かれているものではないのか?
そもそも私は何を見て本当に信じていいのか?
一体どうなんだ?と疑っていたけれど、二日後のこの安心感と幸福感を得た時、私は更なるエネルギーとパワーを感じていた。
オマケ
4ヶ月後の今。
私は昔からやってみたかったアート系の仕事をしている。
イベントの装飾制作のアーティストのアシスタントだ。
12月末からこの仕事を得て、最初は2,3週間の短期だと雇用主もこちらも考えていたのだが、なんだかんだで一緒に仕事する流れで手伝わせてもらっている。
やってみたかった仕事を得られて、得たものはお金だけではない。
人の役に立っているという実感が得られたのもこの仕事が初めてだ。
今まで営業職、レストラン業やIT業、デザイン業など携わってきたけれど、不安や劣等感を常に抱え続けてきた。
もちろん更なる学びの必要性は深く感じているけれどそれはそんなに大きな問題ではない。
また手を動かす仕事は、手先の器用さだけでなく、物の扱いに対しての在る程度のロジック思考が必要だ。
初めて似たようなロジック思考を持つ人と仕事をして、その思考の感覚に心地よさを得たことは人生に新しいギフトを戴いたことへの感謝の念に包まれた。
それから住居についても探し続けていたら、ついに住んでいい。いつでもきていい。と言ってくれるご家族に出会った。
引っ越しをするかはまた別の話だが、実家が無い私にこうして寄り添ってくれる人がいるのは 物理的面以上に精神面で大きな支えだ。
そうして異文化交流をしつつ、食べ物と掃除、家の作業などを手伝うことなどでエクスチェンジを成立させてもらっている。
1kの部屋が欲しかったのではない。1LDKでも2LDKでもない。
欲しいのは部屋じゃないのだ。私が欲しいのは、穏やかに前向きに日々を送るための仲間が欲しかったのだ。
それは努力と感謝と幸運と。いろんなもので作られている。
移民として、移住者として生きていくのはどんな場所であれ、一筋縄ではいかないけれど・・・
そこが面白かったりする。
–選んだ自分の決意こそが現実を作ること–
を現実のワークを通して理解できた。
QHHTから得た新たな学びは「追憶と応用」の記事にて改めて振り返っていきたいと思います。
おしまい。
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