■目次
極寒バスでアレキパへ
居心地のいいクスコを出て、アレキパ へ。
出発は夜の7時で翌朝の5時に着く。10時間のバス移動だ。
二階建てバスのの一階席だった。
夜行バスの車内はどんどん寒くなって、私もHも凍えるような思いをした。
外の冷気が窓の隙間からそのまま入って来ていた。
ペルーではペルーホップというツアーバスを利用していたが、期待していた暖房はほぼついていなかった。
それで昼間は良いものの、夜が寒くて寒くて眠れなくて、だんだん気持ちが落ちていき、気づけば涙を流していた。
洋服も、髪型も、好きな様にはできないのに、たくさん写真を取らなきゃいけなくてそれが本当に苦痛だった。
明日はずっとホテルで眠っていたい。
日曜日みたいに静かに何もしないで何にも追われないで過ごしたい。と、何故か泣いていた。
夜は泣きながら過ごすのかと思っていたが、気が付いたら、アレキパ に到着していた。
いつの間にか眠っていたらしい。
ペルーホップのスタッフと思しき女性が車内に入って来た。
女性「バスの人が心配しなくていいから、ちゃんと送りますからね!」
と何度か伝えて来た。
ちょっと子供に戻った気分。
誰もいない街を歩いて、私たちを届けてくれた。
贅沢な憂鬱
次の朝、私はまだ鬱々としていて11時まで起きなかった。
「外出したくない」と言ったが、H氏に叩き起こされ、嫌々ながら外に出た。
浮かない顔の私を気にして、最初はH氏も優しく接してくれていたが、2時間後には怒られた。
H「つまらない顔ばっかすんなよ!」と。
当然だ。世界一周にタダで連れてきてもらって置いて、一日中笑いもしない妻なんか最低だ・・・。
何度か方向修正に務めたけれど、どうにもこうにも上手くいかないのでその後、H氏に話してみた。
C「今、何故かとても落ち込んでいて、疲れていて、何もできる気がしない。自分でも困ってる。」(本当はとにかく一人になりたい。でもそれは言えなかった。)
H「そうなんだ、俺は、、そういう気持ちになった事がないからわからないけど・・・。
いいよ、明日、もし何もしたくないなら何もしない日にして。」
それを聞いたとき、私は涙が出るほど嬉しくて、今日は話して見てよかった。と心から安堵した。
次の朝、H氏に選択肢をもらえた私は心が穏やかになっていた。
C「今日は外に出れる!もう大丈夫!」
H「もう大丈夫なの?」
と笑ってくれているHを見て、話してよかったんだ。と前向きになれた。
世界に旅行に出れて、仕事も家事もしなくていいこんな環境にいるのに
「落ち込んでる。」なんてで言うのは本当に贅沢だ、と思っていたし実際、贅沢な話だ。
けれど「気分が落ち込んでどうしようもない」時は、そのことをそのまま伝えて話し合ったり、わかってもらう時間を持つことも大切なことだと教えてもらった。
ただ、不機嫌な顔をしていてもテレパシーはできないし、解決にも向かわない。
宇宙の道
アレキパからバスが出発。
今日はナスカを目指して行く。
ボリビアから一緒のサニーも一緒だ。
サニーはナスカの町には止まらず、そのままリマへと向かう。
バスは町を抜けるゴツゴツと硬い石や大きめの砂の景色に変わった。
眠っては起き、眠っては起きを繰り返していた私だったが、目の前に広がるその不思議な景色に息を飲んだ。
日本をドライブしても絶対に見れない景色。
私には宇宙のように見えた。
これが同じ地球か!?
そして、このイガイガと固そうで水資源の存在など
想像し得なかったが、この先には海があった。
バスは海岸の辺りに駐車し、ランチタイムになった。
味覚と盛り付け
添乗員「ランチタイム~!肉か魚を頼んで!」
私は魚をオーダーした。
魚料理はチリでもお馴染みのセビーチェだった。
味はかなり酸っぱくて塩っ辛い!
ライム・グリーンレモンが効いていて、一口目には顎の下あたりがキュッとすぼまる感覚だ。
もちろん、ペッパーもついているので、こちらはお好みで食べれる。
添えてある白いコーン。
これはほぼ味がない。あるといえば炭水化物らしい素朴なほんのりうっすらとした甘み。
これを交互に食べる。
味が強い!味が無い。味が強い!味が無い・・・。を繰り返して行く感じ・・・。
だから、味に飽きる。
そうなの。セビーチェ自体は美味しい。本当に美味しい。
が、量が半端じゃ無い。日本での3人前くらいが1人前として出てくる感じ。
ここぞとばかりに山盛り盛ってくる。しかも底は深い。
だから、南米でのセビーチェの食べ方はこんな感じが最高なんじゃ無いかと思う!
一人前のセビーチェと他料理を注文。
2~3人でセビーチェが無くなるまでピスコサワーをエンドレスで飲む。
ピスコサワー(原酒アルコール度42%)を3杯も飲んだら、きっと気持ち良くなってること間違いない!
し、この組み合わせはで不味い!ってなることは先ず無い!だろう。
なぜなら、
少々生臭くて、塩っぱ辛くて、スパイシーなセビーチェと、
甘酸っぱくて、香り高いピスコサワー。
この二つが口の中で混ざり合うと魚の生臭さが消え、塩辛さと甘さが複雑に絡み合い、最高の味わいになるから!
ナスカの町
通常ナスカの街自体には何も無いらしく、宿泊する人は少ないらしい。
けれど、「どんな街なのか見てみたい!あの”ナスカ”の町だよ!」とのH氏の言葉によって私たちはここに訪れた。
ホテルに到着すると、なんとどこからともなく音楽が!外には少年少女たちが!
何かのパーティーだかお祭りらしい。
町の中心にある広場にナスカの地上絵を見つけて記念撮影。
う~ん、この写真もなかなかいいかも!
その後、町を一周して歩いて見たものの、ナスカの恩恵を受けているようには見えない、素朴な町だった。
ナスカの地上絵
ナスカの地上絵はどうやっていくか?
実はこれもPERU HOPが連れて行ってくれる。
ただ、乗っているだけで着いちゃう!
そして、ナスカの町からであればもちろんヘリを利用して空から見ることも可能!
だけど、とっても高いそうなので、私たちはココから見た!
スゴイ!
これは小学生レベルの算数知識と人数がいれば空から見ることができなくても描くことができるのだそう。
そして、この絵の理由は夏至(乾季)と冬至(雨季)に太陽が日没する方向に一致しているのだとか。
ほら、ペルーの人々は太陽とともに生きているから、宇宙と交信していることが分かるでしょう。
草木や、花は太陽や星と日々交信することで、成長するべき方向や、芽を出す時期、蕾をつける時期を正確に把握しているんだって。
それじゃあ、人間にできることって何?って考えたときに、種を蒔く時期、苗を植える時期を間違えずに行うこと。
だったのかも。
農耕民族にとって重要な太陽や雨との関係を芸術と科学を合わせて持っていたんだと思うとなんともロマンチックな国だ。ペルーとは。
教科書に載ってるあの景色がみれた!と二人で喜び合った瞬間だった。
ワカチナ
砂漠に来た!
ナスカの地上絵を見たらそのまま向かうのが、ココ。砂漠のオアシス、ワカチナだ。
ココでは砂漠の4WDツアーに出かけた。
このツアーはおそらく、、
ドライバーがかなり盛り上げてくれた。
町から離れていないことがわかっている分、本物のオアシス!って雰囲気はあまりなかったけれど、砂漠の砂感を楽しめた。
ワカチナを楽しむと今度はすぐに港町、パラカスへ向かうためバスに乗った。
アザラシとペンギンに会える場所 パラカス
これもまた何もない、田舎の町。
ただし、船に乗っていくと、なんと野生のペンギンとアザラシが見えるのだとか。
寒い中、ダウンを着込んで船に乗り込んだ。
ペルーはまさに冬だった。
まもなくして、鳥や動物たちが見えて来た。
こんなに美しいのか。
海の色、動物たちの穏やかな目が美しかった。
こんな話をしていたのだが、動物たちの中で傷つけ合うのは人間だけだという話。
動物たちは生きるために食べる分だけの獲物を捕獲し、消費していく。
けれど、人間は違う。
満足できるまで食べるし、お金が沢山儲かるように山ほど売らなきゃいけないし、売り残しも出す。
廃棄も出す。
そういうやり方は違うかもしれないのに、変わらないのって、おかしいのかも。
首都 リマ Lima
長かったペルーの旅も終盤。
リマに到着した。
これまでプーノから見て来た街並みが嘘のように欧米的なビルとアメリカンな道があった。
リマの町はスペイン植民地時代の面影がくっきりと残っており、コロニアル式の建物が立ち並ぶ。
マクドナルドも、スターバックスもあったし、ファストファッション系の洋服屋もあった。
ペルーって何?これまでのプーノやパラカスと同じ国?と混乱するほどだった。
PCコードの修理
ペルーに来てから、むき出しになってしまった私のPCの電源コード。
やっと直してもらえる!と、電気店で修理に出した(新規購入すると日本より高い)。
夜には修理完了しているとのことで、その間に
バランコというペルーで随一のストリートアートシーンへ。
心を燃やすアートの町 バランコ
本当なら、バスやタクシーに乗ればいいものを、「歩こう!」とのH氏の意見に乗り、バランコ という地域まで歩いていくことになった。
が、これが思いの外遠かった。
湿気る海を横目に見ながら、西へ西へと歩く。
C「ずっと先だけど、この道を行くって言ってたと思う・・・。」
バランコに行こう!と言い出したのはHだったものの、行き方を調べたのは私。
今回は私のリサーチがマズかったら、たどり着けない・・・。
実際、地域の人に聞くのが一番早いよね、だってストリートアートってマップにマークがついてるわけじゃないんだし!
という私の予想とホテルのスタッフから言われた言葉。
「そんなに難しくないよ、ココを曲がって、ひたすらまっすぐよ!」
の言葉を信じた。
だからたぶん、大丈夫。
タカをくくっていた。が、実際行って見たところ、遠くて遠くて、道中3回は道行く人に訪ねた。
「ココをずっとまっすぐだ!」
みんながそういうジェスチャーとスペイン語で教えてくれた。
その度、間違っていないんだ。と安堵し、2時間歩き続けた。
そして・・・。
黄色い協会のような建物が見えた後!
来た!コレダ!
アートの嵐だった。
ペルーにこんなアートを描く人たちがいるなんて。と驚いた。
夢のような町、バランコ から戻ると、私たちはリマの電気屋に再訪した。
理不尽な電気屋
担当の店員が、ヘラヘラしながら、これだよね?と見せてくれたので状態を確認した。綺麗になってる!大丈夫そう!
H「これ、もう少し安くならないの?」
店員「70soresだね。90のところを70にしてるんだからこれ以上安くできないよ!」
部屋に戻るとHが試してみろ!と言うのですぐに自分のMacBook Proで試したが、
どんな方法を試そうとも充電されることはなかった。
こんなことならペルーで直さなきゃよかった・・・でも後悔してももう遅い。
時刻は20時前。もう一度15分先の店に歩いて行った。
そして繋がらないことを説明すると、ヘラヘラしながらそんなわけないよ~ちょっとトライさせて~と私のパソコンで確認。
もちろん、誰がやってもスイッチは入らず、修理工に直接会いに行くことに。
着いてみると、店というよりは作業場で、散らかり様はひどく、全体的に乱雑だった。
このコードをつけた男からは
「充電できないのか。残念だったな!」と。そのような一言。
H「どうしてくれるんだよ、お前が直したんだろ?直せないのか?これじゃ悪くなっているじゃないか。」
修理工「確認したけど、元のこの部分安定していないからだ。」
H「なに言ってるんだよ、朝まで通常に動いてたんだ。お前それも試してないのか?プロフェッションなんだろ?」
修理工「・・・。」
無言で彼はコードを見つめ、箱をもう一度雑に開けて、その中のコードをハンダゴテでつけたり、外したりした。
修理工「これは15インチだろ?だから無理だ。このコードは13インチのだから。」
H「そんなこと俺だって知ってんだよ、なんでそれを最初に調べなかったんだよ、直してくれよ。もしくはお金と時間を返してくれ。できないのか?お前プロなんだろ?」
修理工「俺はこの修理ができるだけで、コードの種類とかどれがどれが適応するとかそういうことは知らない。だから俺にキレるんじゃねえ。」
どいつもこいつも自分の責任じゃないと、責任逃れの方法ばっかり考えてる。
H「そうか、わかった。直せないんだな?直せないなら、時間とお金を返せ。できないなら新しいのをくれ!できないんだったら最初から出来るなんていうんじゃね~んだよ。」
(こういう時、夫H氏は本当に頼りになる。英語が流暢じゃ無い私に変わってちゃんと交渉してくれる。でもいつかは私だって自分の思いを英語でぶつけられるようになるんだ!)
修理工「それはできない、新しいものは渡せない。」
H「なんでだ。お前の仕事が悪いせいでこちらは迷惑被ってんだよ。」
修理工「修理代よりも新品が高いからだ。」
H「当たり前だ、そんなこと知ってる、そうじゃなかったら修理なんて出さねーよ。」
この間に通訳をしている彼が言った。
通訳「僕らも時間が掛かってしまって疲れてるし、この件は全額を返すってことで、一件落着じゃ無いかな?
そしたらみんなこれで終われるし、帰れるからハッピーだ!」
C「フ!ザ!ケ!ル!ナ!!!
壊れたまま返されたって私はハッピーじゃ無い!どうしてくれるの!?」
カオスもいいところだ。そして突然、修理工は怒って帰って行った。
すると、気の毒に思ったのか別の修理工がやってきて、またつけたり外したりし始めた。
白いコードはどんどん黒くなっていく(涙目)。
何度か繰り返したとこで、遂にコードが繋がりPCが充電し始めた。
そして最後の金額交渉。
男「50sores(1660円)でどうかな。」
H・C「40(1310円)だね。譲るか!」
怒り心頭で値切り、ここは40soresで決着が着いた。
明日は3時起き。もうほとんど寝れない(涙)とベッドに入った。
明日は国境の町、イキトス へのフライトが待っている。