さて、タイから始まった旅も1ヶ月の間にカンボジア、ラオスと来て2018年をチャムパサックプロビンスで過ごして来た私たち。
2週間の滞在可能期間に北側にある古都、ルアンバパーンに行こうかという話もあったのだが16時間程度かかるバス旅とのことでこれにはさあ!行こう!という気にはなれなかった。
16時間はさすがに苦行が過ぎるという意見で一致し、この何もないチャムパサックの町であと2泊連泊することを。
何もないチャムパサックとはわかっていたものの、何もしないのもやはり文章的にも滞在意義的にももったいないということで、二つの場所に行くことにした。
1つ目の見所:一番近くの大きな町=パクセー
ホテルでオーナーが可愛がっているバイクを拝借し、二人乗りで舗装された道路をいく。
H氏は今回借りたバイクがこの旅で乗ったバイクのどれよりも乗り心地いい♪と上機嫌。時速50kmで飛ばす。
1時間もすると大きな橋が現れ、これを超えるとパクセに到着。
そしてなんとこの橋が日本が作った橋なんだとか。相当便利になったそう。
そういえば新中川(JR小岩駅近く)にかかってた橋に似てる。
当たり前ではあるけどどこに行っても日本人が作るものは日本人のものなのだと感じた。
H氏「なんか、市場があるよ~行ってみようか?」
Dao Heuang Market
入るとこれまで何日も離れていた町らしい活気が。
そこではなんでも売っていた。
目に入ったのはフランスパン、肉屋(相変わらず生々しい)、魚屋(カンボジアより若干清潔感上がったかな?カエルも売ってた)、果物屋、野菜屋、そう言う生物を取り扱う店のすぐ隣に食堂。
そして衣服、金物、工具、仏壇用品、となんでも揃っていた。
雰囲気は上野のアメ横をガサツにした感じ。
あまりカンボジアと大差ないように感じられるけど、H氏曰く肉がきちんと血抜きされているところが違う。という。
大して変わらなくない?とは思ったがそういう違いがあったような無いような。
久々の賑わいに私たちも湧く。
H氏「こう言うのたまには必要だね!何もない場所にずっといたから忘れてたよ!」
C「たまには町も挟んだ方がやっぱり楽しいね~」
本当にラタナキリからドンデット、チャムパサックと連続して活気のある場所ではなかったため忘れていたし、ちょっとした興奮を覚えた。
そして、他の見どころを探ろう、と別の道を行くも、何もない。何もない。何もない。
また、土埃の道。舗装された道が終わってしまった。行けども行けども何もない。
仕方ないので来た道を引き返していると、魚の看板を見つけた。
何も起きないのは脇道に逸れないからだと言う私の言葉にH氏、ここへ行くと右折。
入ると、なんと魚の養殖所兼、レストランが。
ずっと食べたいと思っていたメコン川の淡水魚があると言う。
が、かなり辺鄙な場所にあるので当たり前のように英語のメニューはなく、店主も英語は話せない。
身振り手振りで伝えてやっとの事で注文が完了した。
30~40分ほど待って魚が出てくる丸々塩焼きにした豪快な品であった。
魚の口の中にはこれでもかと言わんばかりの謎の葉っぱが入っており、おそらくこれは臭み消しかと考えたが、臭みがあるのは胃、や消化器部分なので、この部分を調理するか、もしくは取り除かなくては意味がない。
よって生きている魚にこの草を咥えさせて塩を塗りたくり、そのまま炭火で焼いたのではないかと推測する。
ともあれ、食べてみると普通の淡水魚で、味は強くないが食感はあゆなんかに似て柔らかく美味しかった。
パクセという街はこれ以外に見るものは本当になかったため帰宅。
よかったのはバイクの調子がかなりよかったこと、それに後から調べて見たらパクセの市場はなんとラオスで一番大きいものだったらしい。
2つ目の見所:ワットポー
自転車のレンタルがあるとのことで、ホテルで1.5$/台を支払って2人でサイクリングスタート!
私は調子よく、ぐいぐい進む。いけいけドンドン!進む進む。
昼が来てしまったら日差しが強すぎて肌にも体にもダメージが強すぎるとグイグイ進み、パッと振り向いてみるとH氏がはるか遠くに見える。
どうしたかと思って待っていると、タイヤがパンクしているとのこと。
鉄の枠についてぐにゃぐにゃのゴムをゴリゴリのアスファルトに擦り付けているだけなので本当に進まない。
ただでさえ暑いのに更に金を払ってまでして重労働を強いられH氏は汗だく。
そうして走っているうちにバイク修理屋を見つけ、パンクの修理を頼む。
青年が出て来て、これまた昔ながらのやり方で昔ながらのアイロンを使って修理してくれた。
が。自転車パンクの修理ってのは確か最初に穴部分の確認と最後に完璧に穴が塞がったか見るために水のなんかにチューブを入れて空気が出るか出ないかを確認するのではなかったか?
と疑いの目を向けずには居られなかったのだが、彼は手で撫でるだけで作業が完了したと報告して来た。
H氏もそれに乗ると「ああ、やっぱり全然乗り心地違うね!」と気分が良さそう。
そうか、それならよいか、と先を急ごうと遺跡へ向かう。
も、やはり修理はうまく行ってなかったらしい。
かわいそうだな~とは思ったが、こちらも必死である。なにせ、平坦な道のりとはいえ片道5km。
ここは申し訳ないが私も譲れないのでこちらの自転車をお貸しすることは提案できなかった。
ワットポーへ到着
カンボジア・シェムリアップにあった遺跡と同様のスタイルで作られた遺跡。
正直タイのアユタヤからカンボジアのシェムリアップで散々遺跡を見たので”遺跡”には飽きていた。
こういうことを言うのは本当に罰当たりだとは思うけれど、たくさんの遺跡を連続で見ているとだんだんどれも同じに見えて来たりしないでもない。
贅沢病もいいとこである。
とは言うものの、ここまで来たからには!とH氏はぐいぐい前へと進むも私は「また階段~?遺跡階段多くない?もういいよ~」と文句たらたら。
するとH氏「ここまで来たんだ(こっちは不可抗力で無駄な重労働してまでしてる!)登らないわけには行かないだろ!!」
仕方なく登りました。暑くて、カサカサして乾燥するし喉乾くし、また同じようなもの見るんでしょ?と思いつつ、登ると、岩肌から水が伝っていた。
すると、H氏自分の手を洗い、顔を洗った後、私に一言。
「これで頭でも清めとけ!!」
仕方がないので言われた通りに頭に軽く水を掛けて清めておきました。
きっとこれでもう少し性格が良くなることでしょう。
ワットポー自体は噂に聞いていた通り、シェムリアップにあったものが小さくなった感じの遺跡でしたが、嫌々登った遺跡の上はなかなかの眺望で意外にも登った甲斐はありました。
その帰り道、もう一度修理屋へ。
そして青年へ一言、「直ってなかったぞ、完璧に直ってなかったんだから金は払えないが直してくれ!」とH氏。
青年はこの地域では珍しく英語が理解できた様子で無言で同じルーティンに入る。
お金も要求されずに無言で自転車を返され、改めて帰路につく。
も、数kmと保たずにまた沈没。
H氏「なんなんだよ~も~~~~~~う!!!(怒)元はと言えばあのオーナーバイクばっかり弄ってねーでちゃんとメンテナンスしろよ!!!(激おこ)」
C「バイク好きなだけだったんだね、あいつ。」
H氏「も~う騙されたよ~。。。(撃沈)」
バイク好きなチャムパサックのホテルオーナーは日がなバイクを弄っている無類のバイク好きだったようで、様々な部品を弄くり回してはエンジン音を蒸してニヤついているバイクオタクだった。
気づけなかったこちらが悪いと諦めるH氏の人の良さには脱帽である。
この後シャワーが出なくなり、洗面所の蛇口、足洗いの蛇口、水洗トイレの水の全てから写真もあげられないほどのおどろおどろしい、かなりの量の藻入りの水が出た。
シャワーはおそらく藻が溜まりすぎて出なくなったのだろう。
そしてこれについてホテルオーナーに直してくれ、と言うも点検には来たものの、「いまは治せない。このまま使って欲しい。」
H氏・C「Ok~I see.(怒)」治せないんじゃ仕方ないと言うことで了承したがその後尚もバイクをこねくり回している姿には流石にイラっと来る。
このバイクオタクの能天気め。
次の街へ
そしてここのオーナー、バスの行き先×所要時間の表の看板をホテル内に置いてくれていた。
当然これまでのホテルと同様にここに迎えが来てそのまま直行するものと思って連泊していたのだが、改めて聞くとここからバスは出ないという。
「何と!?」と聞き直すと。
オーナー「ここはチャムパサックで、そこに書いてあるのはパクセから各所への情報、だから出発はパクセからだよ。」
H氏・C「は!?」
オーナー「出発はパクセからで朝5時発だから、パクセに一泊するのがいいと思うよ!」
H氏・C「は!?」
もう本当にこんなことなら連泊する前に聞いとけばよかった話なのだが、これまでの流れを疑わないのが悪かったのでしょう。
これも人生・旅のレッスンとして甘んじて受け止めよう・・・。ということでここで何もなかったパクセに一泊が決定。
仕方がないのでオーナーにはパクセへのバスを予約してもらった。
その先はパクセで予約しなければならないらしい。本当にややこしくて迷惑な看板だ。
次の朝、チェックアウトを済ますとバスがきた。トラックバス?
これがまた、積められるだけ積んで、乗れるだけ乗せる!というような乗り合いバスで、後から後からこれでもかってくらいの人と荷物が乗ってくる。
今回はまだ良い方だったのかもしれないが、とにかく朝は寒いし、人は多いしでなかなかの圧迫感だった。
とはいえ、1時間で着くことはわかっていたので我慢我慢。
我慢して到着すると、市場の近くに到着。
あらかじめ予約しておいたホテルまでトゥクトゥクを探そうかと思う前にドライバーたちが声をかけてくる。
50!!40!!50!!40!!そんなノリで金額を言ってくるんだけど、そもそもほとんどのドライバーがどこに行けばいいのかなどわかっていない。
こっちも相場がわからないので、ここは強気のCが値切りに入る。
C「50?40?そりゃ高すぎだね!じゃ、25いや、20でどうなの?」
ドライバー「No no no no no 安すぎるよ、勘弁してくれ。」
C「あ、そう、じゃあ乗らない!」
ドライバー「あ~もうわかったわかった!20でいいよ!」
C「いいの?」
ドライバー「いいよ!」
C「2人でね?」
ドライバー「2人で20だ」
C「まじ?ありがと~!乗った!」
言い値の半額まで落としたらこっちも勝ったと思う。
実はC、この競り合いが結構好きだ。
H氏は優しいので競り合いの途中で自分から折れたりするので見ていてこちらが煮え切らなかったりするので、気持ちが乗っているときはイケイケどんどん!でCが出て行くのである。
ちょっとした遊びのようなものである。
結局そのドライバーによると思ってた場所よりも全然離れてたらしく、「遠いじゃねえか。」的な顔をしてたが一度決まった金額に文句を言わなかった。
ラオスオヤジたちの粋な部分を見たような気がする。
今度はホテルにチェックイン!
私たちはBooking.com、もしくはAgodaを利用して「口コミレートが高い&安い+wifi環境点数が高い」を基準にホテルを予約しているのだが、ここに来て英語が通じないと来た。
どのスタッフも英語が使えない上に、予約すら無いと言い張る。
そんなわけないと、最初は話していたのだがとりあえずここはwifiが使えるはずだからこのホテルをやめよう!とH氏に提案。
H氏もそうすっか?となるも、このホテルのオーナーおばちゃんが出て来て英語も話せないのにゴリゴリで「あんたたち!泊まっていきな!部屋はある!160kだよ!」
と多分言い張っている。
「いやね、ただ泊まるだけならいいんですけどね、我々はパクセから出ているバスを予約したいんですよ。」
英語でも伝えるも「はて?」状態のおばちゃん。
いや、もういいよ。と思うのだが引っかかった獲物は放さないとばかりにおばちゃんの粘着質な説得と会話は続き仕方なくそのままチェックイン。
バスではベトナムを目指す予定で、フエもしくはダナンを予定していた。
いくらか理解ができたようで、バス会社に連絡したようだがいまいち内容が噛み合わずまた後で英語がわかる人と電話するからと3時間後にフロントに来るように言われた。
ホテルの部屋自体はビジネスホテルのような感じ。
かなり綺麗で久々に安全でクリーンなホテルに泊まっているという安心感があった。
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