25歳になった私が、もう一度インドに行ってみた【Vol.6】

それから6年後の2015年、私に再びインドを訪れる日が来た。
それは年末年始をインドで過ごしてみたいという話で私と彼とで計画した旅。

インドでは夜の行動が制限される(日本ほど安全ではない)ことや詐欺師が多いことを考えて、インドデリーに到着後一気にバラナシという土地まで飛ぶ。

そこからタクシーやバスを駆使し最終的にデリーに戻るプランで、旅行前に飛行機とホテルを手配していた。

中国東方航空は信用できない

デリーからバラナシへのフライトチケットも用意し、満を辞して空港に到着した。

成田空港 6時 AM。

そこで見たのは、

8時40分発予定のフライトの遅延予定だった。

しかも、18時までの10時間。

またかよ。インド。またか!(前回のインド旅行の帰路、飛行機が6時間以上遅延した)

カウンターへ行き話を聞くと要因は中国東方航空にあり・・・。

点検中に不足部品があることを発見し中国から部品を輸送し、その後修理に入りそれが終わって出国できるのが大体18時とのこと。

黙ってるわけにもいかず、中国東方航空のカウンターに立つJAL職員に噛み付く!!!
が、JAL職員も困り果てた顔で「私たちにはわかり兼ねます」の一点張り。
これには痺れた。が、交渉の末それよりも少し2~3時間ほど早くでるフライトを席を抑え、待機。

※こういう時は押しの強さが肝心だ。

予定外、想定外、何もかもが想定外

それから中国へ飛びトランジット。

が、ここでも問題が発生した。

トランジット予定だった飛行機はすでに離陸済み。

ということは?我々予定していたバラナシへのチケットは海へと沈んだも同然となりました。

今度は中国のどこかのホテルに連れていかれ、そこで一晩過ごすように伝えられた。

年末の冬休み旅行の大切な1日がこんな風に終わっていくとは・・・。

黙ってビールを飲んで、静かに夜が更けていった。

ようやくのインド

到着は予定の1日半後の夜。
20時を回っていた。既に暗くなっていたこともあり私たちはすごく焦っていた。暗い・危ない・でも移動したい。
その気持ちでいっぱいになりイライラしながらあっちこっちへ歩き回った。

電車の向こう側に行きたいと話して色々な方向からトライをするも向こう側には如何にもこうにも行けず。。人に頼った。そこにいる人に声を掛けると、それなら旅行会社を知っているからとタクシーに一言伝えて我々のみ乗せられた。

胡散臭さ100%の旅行会社

そして、連れていかれたのが半地下にあるインド人の旅行会社と言われる事務所だった。
もう、その事務所に入ったからには出れないかもしれない。。。とまで私は気を張りながら中へ入って行った。
インド人は我々が行きたい場所を伝えると、まずバラナシに行くならば今すぐにチケットを取らないと売り切れ間近だと言われた。
そしてそのページを見せられたのだが、どうにもこうにもヒンドゥー語で表示されていて且つ見たこともないページのためそれが本当に公式のページなのかも判断がつかなかった。

そして、各々10万以上が必要だと言いだした。

インド人の平均月収=15万程度
と考えると、我々二人でこの事務所の誰か2分の給料を賄う値段ということになる。
私からすると6年前にインドを訪れた際、食事・ガイド・運転手・車・ホテルそれにフライトチケット全てついて15万だったはずだからフライトチケット除いてこの値段はありえない金額設定。

私は断るべきだと突っぱねた。しかし、ここはどうしても予定の場所に行きたい彼はこれでなんとか行こう!と言う。
どう動くべきかと考えたところで、他の案が浮かばなかったためこのボッタクリに乗ることにした。

こうしてドエラく高いインドの旅が始まった。

中国での出来事に疲れ切っていた私たちはお金の心配もあったがとりあえず取引をしたこの人たちに任せるしかない。と思い、信頼度は全くなかったが車に乗り込んだ。

旅の教訓

・急ぎの旅では安い航空会社ではなく、サービス(時間に忠実である)の良い航空会社を選ぼう。
・時間への制約があることを楽しもう。イライラしては旅は楽しめない!お金と時間の制約はつきもの。
楽しむことが出来たもの勝ちだ。
・自己主張を惜しまないこと。自分の気持ちや都合もガンガン伝えるべき。伝えずに後回しにしていると不快な気持ちになり、旅への不満が溜まる。

25歳女、もう一度インドに行ってみた【Vol.7】

2017年11月23日

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