砂漠へ向かう
バスは夕方発。今回もTurBusを利用で夜行バスだ。
バス停に到着して数分後、バスも到着した。
バスに荷物を預けると、手荷物と引き換えに券をもらえる。
荷物の取り違いが無いように、盗難が無いようにとこれを必ず配ってくれる。
こんなものでも意外に安心させてもらえるのだ。ありがたい。
バスに乗り込み走り出すと、乾燥した大地の壮大な世界がずっと続き、時折サボテンたちが立っているのが見えた。
チリってこれか、メキシコがこんなイメージだったな・・・。
夕方に出発したバスは二度ほどの休憩を挟んだ後、アタカマ砂漠に次の日の早朝に到着した。
Maps meで登録しておいたホステルまで歩く。
時刻は、まだ8時前だ。
辺りの店はどこも閉まっている。
ホステルのドアを開けてもらうと待っていたのは臨月の妊婦だった。
「チェックインの時間は13時よ。まだ早いから外でも歩いてきたら?」
不思議に思ったがそれしか選択肢がないなら仕方がない、と一旦は外に出てみたもののどの店もまだ開店前。
行く当てもなくさ迷った挙げ句、仕方なくまた宿へと戻った。
H「何もやってなかったんだ。ここにいさせてもらえない?」
妊婦さん「まだ早いものね、10時頃になれば店が開くと思うわよ」
知ってたならもう少し早く教えてくれ!…と残念な気持ちになった。
幸い早朝チェックアウト組がいたらしく、そのあとすぐに部屋を用意してもらえた。
部屋に入ると私たちはバス旅の疲れを癒すべく眠った。
学生の頃は夜行バスで到着後そのまま遊びに出たりしていたが、今やそんな無理をする気も起きず、気づけば昼過ぎだった。
アタカマの町
ホステルを出て町を歩いてみたが、なんとも小さな町である。
コンクリートで舗装されている道もなく、小さな店が並ぶ。
ほとんどがツアリストの店かお土産屋でたまにアートなデザインショップなんかが並んでいた。
アジア人も何人か見るが、ほとんどが西洋人。
ドレッドヘアの子がいたり、道端で楽器を弾いてる子がいたり一体どうしたらそんな風な風貌になれるの?と不思議になる。
私には無い感性で物を選ぶんだろな、と横目で羨みながら流し見た。
アタカマ砂漠に来たらやるべきこと
- 砂漠”月の谷”へ
- 砂漠”死の谷”を見る
- 世界に誇る星空の鑑賞
この三つは全てツアーで行くことももちろん出来る!
だけど、
私たちは安くいきたい!
私たちは自分の足で行きたい!
ということで上二つはサイクリングで回ることにした。
サイクリングもレンタサイクル出来る店を探すところから始まる。
いつも一軒目で決めてしまう私たちはここで損をしがちだ。
「今日は三軒は回ろうね!」
探す前に見て回る店の目標数を確認した。
これをしないと面倒臭さが勝ってその結果馬鹿をみてしまう。
何軒か廻り、レンタサイクルの店と星空ツアーの店を別々でいい店を見つけた。
審査基準は話してくれるスタッフが面白いか?親切か?値段が安いか?
こんなところだが、結構これで差が出る。
店員がつまらなそうなツアーは実際のツアーもつまらないことが多いし、人が悪いツアー会社にはそもそもお金を出す気にはなれない。
今回はどの基準も満たす良い会社と出会った。
自転車も比較的物が良さそうな店を選んだ。
砂漠サイクリング
時刻は14時を過ぎていたが月の谷を見に行こうと自転車をこぎ始める。
温度は30度を悠に越えているだろう。
空気の乾燥もひどい。
自転車はマウンテインバイクで 漕ぐとスイスイと進んだが、強い日の光に肌と喉が焼かれていくのをかんじた。
しばらく走るとVAlley De Lunaと書かれたビルに到着。
入場料を支払い国立公園内へと入っていく。
いやはや、月の谷と言われるだけある。
植物も生き物も何も見当たらない。
一つ目のチェックポイントに到着。
洞窟になっているらしく奥へ奥へと進む。
細い道を進むとゴリゴリとした変わったテクスチュアの壁が現れる。
奥側がしろっぽい。
ちょっと削って舐めてみた。
しょっぱい!!
この場所が海だったことを感じられる貴重な情報だ。
これはナスカプレートが南米プレートの下に沈み込むことによって形成された初期造山運動によるアンデス山脈と、その後に生じた造山運動による海岸線の隆起によって挟まれた地形のためであると推定されている。
また、世界でもっとも乾燥している砂漠地帯との異名をも持ち合わせるこの場所。
見れば見るほど奇妙で過酷な場所だとわかる。
さらにマウンテインバイクを漕ぎ、次のポイントへと向かう。
気付けば時刻は16時。
このポイントへはみんなサンセットを見に来るのだ。
自転車を駐輪スペースにおき、私たちも砂と岩の山をよじ登った。
岩山の上にはたくさんの観光客が集まり、皆美しい夕陽を期待して腰をかけていた。
そして。
少しずつ日は落ちていき、淡いピンクとブルーが世界を覆い、
甘い優しい光に包まれて私たちは心を空っぽにして刻一刻と変わり行く光と色の世界に飲み込まれた。
夜道のサイクリング
サンセットを楽しんだので帰る頃には辺りは真っ暗だった。
私たちが借りた自転車にはライトが無くなんとなく道と思しき通りの上を走った。
「真っ暗だね、何も見えないね。」
と、こわごわ車輪を漕いで進んでいたけれど、あるときふと、空を見上げた。
なんとまあ。
満天の星が広がってるじゃないか!
しばらく眺めながら走った。
どうしてこんなに美しいのだろう・・・。
それもそのはず。
このアタカマ砂漠は世界中の天体観測所が集まる、地球で一番星が綺麗に見える場所なのだ。
美しい星空はやはり私たちを包むように輝く。
キラキラと瞬く光は延々と続くように私たちを包み込んだ。
私は思った。
地球にはこんなに美しい場所があるんだね。
日本から出なければこの景色を知ることが出来なかったな。
やっぱり。人間は自然を味わって幸せを感じて、共に生きるために生まれてきたんだね。
これまで生きて来れて、このチャンスに巡りあえて私は本当にラッキーだ。
H氏に感謝。一緒に行こうと言ってくれて連れて来てくれてありがとう。
快く送り出してくれた家族。ありがとう。
応援してくれる全ての人たちに、ありがとう。
ああ、みんなにも見てほしいな。この美しい世界を。
写真なんかよりも何倍も何十倍も何百倍も美しいこの景色を。
きっと私に出来ることはこのブログを最後まで書くことと、旅行に行くことをおすすめしたり、素敵な場所をシェアすること。
くらいしかできないけれど、誰かがどこかに行く時は何かサポートできたら、嬉しい。
死の谷
翌日も私たちは、サイクリングに出かけた。
この日はちょっと気が進まなかった。
強い日の光に乾燥で体力の消耗、肌への影響が尋常じゃなかった。
まさかここまで過酷だとは思っていなかったし、この乾燥に対応できるケア化粧品など持ち合わせてもいなかったから肌は見る見るうちにボロボロになる。
ただただ、強い日に晒された。
仕方がないので、持っているもので日の光を防御する。
ネパールで購入したThe North Fakeのジャケットとストール。顔も包み込んで自転車で道路を進んだ。
景色は地球とは思えない景色が続き、極度に乾燥した空気の中、汗を感じることはほとんどないが喉の渇きは尋常じゃない。
数分に一度、水分補給をする。
そこではた、と気づいた。
C「どこにも売店ないね。」
H「無いね。」
そう、この公園には売店は0。一つもない。次いでに言うとトイレも無い。
持ってきていた水、1.5Lは見る見るうちに無くなっていったが補給できる場所も無いので昼食まで、一度に飲む量を唇を濡らす程度に制限した。
と、、後ろから白人の女の子が二人。二人ともタオル以外に何も持っていないらしい。
そして、目指しているのはValley de Lunaだと言う。
全く方向ちがうよ?と話したが、彼らは、水無しで来た道を戻ると言う。
脱水症状を起こして倒れるんじゃ無いかと心配になったが、力強く去って行った。
私たちは彼らを見送ると長くてきつい坂を登りきり、今日の目的地へと到着した。
C「なんかいいね!壮大な感じ!私月の谷よりもこっちが好きかも!」
H「昨日のとこもよかったけどね。」
素晴らしい景色を二人占めで持参のサンドイッチを食べた。
チリは物価が高い。その上砂漠にきているからさらに物価が高い。
だからお弁当に自炊が、必須だった。
毎日のように昼はサンドイッチ。夜はピラフで日々を乗り越えた。
サイクリングを終えて、自転車を戻すと私たちは久々に酒場でビールが飲みたい!とBARに入る。
何だか、アメリカンというかヨーロッパ!って感じ。
観光地の観光地にいることを実感する、今までのチリには無い雰囲気。
そして、私たちのチリの旅はこれで終わりを迎える。
明日からはボリビアだ。
日本人がウユニウユニウユニウユニ!と連呼するあのウユニへと続く道へ4日間のツアーだ。
正直、日本人だらけのウユニ塩湖なんて興味はなかったのだが、このルートで南米を行くなら結局通ることになるらしい。と、そんな感覚だった。
最後になるが、チリという国を交錯する国と称した理由。
これは、たくさんの民族が住みまたたくさんの国の人たちがここへ移り住んでること、それから新旧が入り混じるバルパライソの面白さ、そしてボリビアからチリへ入ってくる人、チリからボリビアへ行く人の交差地点のアタカマ砂漠など。
入り混じる対比的な様々なものが印象的に思えたためだ。
前情報を得にくい南米は目で見るもの、感じるもの、耳に入ってくる音全てが新鮮だった。
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