レティシアとタバティンガ
W杯サッカー「コロンビアvs日本戦」の観戦を終えると、微熱で気怠い体に鞭を打って私たちは外へとでた。
レティシアのあの川上のイミグレーションで判子をもらわなくては。
明日の船に乗るためだ。
ここで必ずコロンビアの出国スタンプをもらって、ブラジルの入国スタンプが無いと出られない。
すると、イミグレーションの上に立っている男が水の中から口をへの字に曲げて首を左右に振る。
なんだっていうんだ。。。
H「スタンプもらえる?」
聞くと「No! No.noaurhgijpksp paorkgiuhgujgrl」
(この作業が終わらないと開けられない。<スペイン語>)
え?そんなことある?1週間に一回くらいこの作業なんてやってそうじゃん。
しかも渡れるよ、こんなの!と、渡ろうとしてみせるも、男は首を横に振った。
H「んだよ、二度手間になっちゃうじゃんか・・・」
C「仕方ないね、船にチケット買いに行こうか。」
H「なんで、やってないってなんだよな、この程度のことで。国の大事な機関じゃねえのかよ・・・」
体調不良の2人をギラン、ギランと太陽が照りつけた。
暑さで、数kmの距離が何倍にも感じられた。
その後、無事にチケットを購入できたが、この後ブラジルのイミグレーションが休憩中のため、コロンビアへ。
未だ開かないコロンビアイミグレーションを待てずにもう一度、ブラジルへ。
コロンビアスタンプが無いまま、ブラジルスタンプは押せない!と追い返され、一日に3回もコロンビアとブラジルのイミグレーションを訪ねやっとの事で、任務が完了した。
時刻は16時をまわっていた。ほぼ1日が終わった。
コロンビアイミグレーションの橋修復により、3度も往復し計6時間も行ったり来たりを繰り返した・・・。
いざ、明日からはアマゾン下り3泊4日の旅へ。
アマゾン クルージング
6月20日7時、トゥクトゥクに乗り込むとタバティンガの港へと向かった。
9時と言われたのに7時に出たのはレティシアとタバティンガに1時間の時差があるとか無いとか言われたせいだ。
結局着いて見ると、船に乗れるのは10時からで、この街は時差はない事がわかった。
Hの体調はだいぶ回復。私は絶不調。
川の上のハンモックに揺られて3泊も過ごすのか、風邪なんて良くなるわけがない。。。と憂鬱な気持ちを募らせてベンチに横になった。
体の調子がすこぶる悪い。だるい、おもい、喉が痛い、鼻水が垂れる。こんなに体調を崩したのはこの旅で初めての事だった。
ここ最近4時起き、3時起きが普通と思われるほど頻繁に続いたせいだろうか。体の免疫力が落ちていた。
船に乗り込むと警察に囲まれた。
みんなが囲まれていて、荷物をライン上におくように言われる。
コカインやその他のドラッグを保持していないか検査するためだ。
30分ほど待機すると荷物がたくさん集まり、そのラインの上を二匹の警察犬が行ったり来たりした。
私は急いで800円で購入したヨボヨボのハンモックを二つ抱えて3階へ駆け上る。
そしてここにしよう!このトイレからも遠くない、岸の反対側、階段からは遠いこの真ん中!私!ここにする!
そう決めたのが伝わったのだろうか、近くにいたおじさんが声をかけてくる。
おじさん「姉ちゃんよお、ここにすんのかい?ロープ、持ってんだろ、貸しな。」
C「あ、いいの?やってくれんの?」
お「ホ~ラヨッと。む。うむ。こうして、こうしてな、こんな長さでどうだ、あ、それここ持っておくんだぞ!ああ、絡まってんじゃないか。」
C「あ、本当だ!こうでしょ?」
H「こんなサービスもあるんだね!」(違います、ただの善意だったよ)
お「おい、姉ちゃん、ここでいいのか?こんなもんか?」
C「ありがとう!」
おじさんは作業が終わると別の人たちのハンモック取り付け作業を手伝っていた。
ハンモックの取り付けが終わると私たちは恐る恐る破れはしないものかとおもいながらも腰を落として見た。
安もんだから、時折「ビリ、ビビビッ」糸の切れる音がする。
落ちちゃわないだろうか・・・その心配は無用だった。
寝転がってみるとハンモックがなかなか心地いい!
ああ、今日からここが私の寝床か。
絶対に体調が良くなるわけない。
風邪の最中に川の風に吹かれるなんてさ。馬鹿しかいないよ。そんなの・・・。
気付いたら眠りに落ちていて、数時間後に目を開けるとそこには壮大で輝かしい景色が広がっていた。
キラキラと虹色に輝く波間からピンク色の背びれがのぞく。
あ!待って!
ピンク色の背びれがもう一度、覗いたが次はもう見えない。
きっと、川イルカを見たようだった。
H「おはよ~随分寝たね。全く本当によくそんなに眠れるよな~羨ましいよ。」
C「え。。。」
H「お昼だよ、ご飯食べる?」
C「いいや、お腹空いてない。」
ぼーっと川を眺める。薄い茶色い色のみずが方向を定めずに流れていた。
あまりに大きな川なのでどちらに向かって流れているのかわからない。
濁ってるな。あ~アマゾンって確かにこんなイメージ。
いや~それにしても大きいな~。
時間潰し
wifiのない、川の上で何をしてたか。
考え事と、読書。
このアマゾンの旅のために私は4本も新しい本をKindle fireに入れてきたし
考えごともしていた。
・なぜ学生の頃に比べて、感じる能力が下がったのか。
大人になるとみんなが不思議に思うことだけど、私はなんでそうなっちゃったんだろう?
・人としてどんなことをして生きていくべきか?
自分が正しい、良いと思ったことを積み重ねていくしかないかな。
何になる?とかわからないや。今は。
・結婚式がしたい
日本に帰ったらきっと小さなパーティーを開きたい。
移住してしまったらもう、結婚パーティーは無理だ・・・そんなの寂しすぎる・・・。
なぜ学生の頃に比べて、感じる能力が下がったのか?
学生時代、絵を描いていた私は自分の心に強く耳を傾け、町の雰囲気、人の雰囲気、風の様子を捉えて、頭の中で別のイメージを作って作品を作ったり。
アニメーションを頭の中で作ったり。
風や光の中に色を見つけてそれを実際に描いてみたりした。
でも今はなんだろう。
目に見えるものが、目に見えてるもの以上に見えることが無い。
このことは1ヶ月くらい前から考えていたように思う。
ITの会社に入り忙しい毎日に身を置いて、結果へのコミットを強く求められる会社で自分の想像力が落ちて行くのを感じた。
要は楽しめてなかったんだ。
それに次いで、大学生の頃はそうでもなかったSNSに25,6歳の時にはまってしまって、携帯の画面ばかり見るようになった。
そういえばHからも依存症だ。となんども言われていた。
このアマゾンのクルージングに来て見てわかった。
感じたことを受け取って考える、時間を私は手放していたらしい。
もっと感じて、その感じたことを頭の中で反芻してイメージをもっと大きく変化させることがあの時はできていたんだ。
だったら、またできるはずなのに・・・。
深く自分の奥底を見つめ反省した。
だからこの旅で私のiphone 5sは二度も私から離れたんだ、きっと。
私の5sはタイを出てすぐに壊れた。スイッチが入らなくなっていた。
それがなぜか3、4ヶ月ぶりにスイッチを入れたら復活していた。
ブログと同じ名前でやってるインスタの更新を一生懸命やり始めた。
暇があれば反応をチェックしていた。
が、ペルーのクスコでいとも簡単にすられた。
これで私の手元にはインスタを手軽に確認できるツールは無くなった。
そうか。。。それでだったのか。なぜか納得し、考える時間をもっともっと大切にしよう。と心に決めた。
風吹く夜
日が落ちてくるとだんだん、気温も下がった。
昼間はTシャツにハーフパンツで十分、川の上ということもあって陸よりは快適に過ごせた。
けれど、夜になると一転する。ハーフパンツでは、寒い。
長いパンツに履き替えて、Tシャツの上にはフリースを着込み、更にお腹にダウンを掛けて、足元には速乾タオルを布団がわりに巻きつけた。
ハンモックでの寝心地はあまり良くなかった。
が、今日から3泊はここしかない。静かに月夜はすぎていった。
昼寝には最高だけれど、体をくの字に屈折させたまま寝るのはやはり、体に良くない!言うまでもない!
毎日が同じ
アマゾンクルージングと聞くと、きっとものすごい色の鳥とか、大きな虫とかがいるんじゃない?
野生動物も見れるのかも!
いや、そんなことはどこにもなかった。
毎日、毎日、美しいアマゾンの川の流れを淡々と眺めるだけだった。
自分の足と共に。
これが4日間続き、2〜3日目ごろには後何日この船の上にいなければいけないのか?と数えた。
綺麗にならないシャワー
船の上で生活するけれど、シャワーはある!と聞いていた。
水シャワーらしい。
船に乗った初日、私は体調を崩していたのでシャワーは浴びられなかったが、2日目からシャワーを利用するようになった。
噂通りの水シャワーで、浴びるなら日が出ている時間がよかった。
トイレと一緒になっている個室の中、小さなゴキブリが2、3びき這い回っていた。
暑いから、仕方ない。とは思っていたけれど、衛生的にはどうみても綺麗に見えないその個室の中で、なんとか、頭と体を洗った。
でも、どうみても清潔に思えないその中でのシャワー。
最低限、体の汚れを軽く落とせたようなそうでもないような気分。
絶対に床にものを落としたくない、、と最初は涙目だった。
ブラジルで初めてのご飯
食事は朝・昼・晩の3回。きちんと配給された。
なんとなく、時間になると小さな食堂に人が集まりだして、私たちもそれに続く。
内容を選べることはなくて、皿を差し出すとおばさんが盛ってくれた。
この船の食事は、ほぼ毎日変わることがなくて、盛ってくれた量全てを食べ切れることはほぼなかった。
実際の量の問題よりも味付けが合わない。
それにファロファという粉をかけて食べると聞いていたんだけれど、この粉が全く美味しくなかった。
こんな食事が毎日続くの?ブラジル・・・。怖い。
夕方になると、おじさんがアイスを売りに回ってくれた。
ここでブラジルで初のアサイーが出てきた!
これは!!
C「あづきの味がする~♡」
ほんのり甘くて豆を潰したような味だった。
船上のW杯
船の上には小さなテレビが何台か設置してあった。
そして、サッカーの時間になると、誰もがその周りに集まり熱心に応援していた。
真剣そのものだ。
この国のスター、PELEと国民たちが築き上げたサッカー文化。
きっとこの後もW杯をみんなで見て楽しめる!
この試合は勝利を収め、みんなニッコニコで過ごしていた。
毎日毎日、ハンモックの上でユラユラ。腰が痛かった。
そしてサッカー観戦に不味いご飯、汚いシャワー。
嬉しいのは景色だけ。
こんなに辛い旅、もうしない!絶対こんな船なんか乗らない!と心に決めた。
のんびりとゆったりとした4日間はついに終わった。
あれ?ついた?ついた?と言っているうちに、現地の人は一目散に陸へと降りて行った。