ラオスという国は東側の海岸側を全てベトナムに囲われ、南をカンボジア、西側をタイ・ミャンマー・そして北側を中国に囲われた内陸の国らしい。
海が全く無いことはその他の国との関係を作ることを難しくさせるそうで、だからこそ物の往来、人の運送までも担うメコン川が愛されているそうだ。
ラオスの歴史
カンボジアと同様にフランス植民地時代を経ているラオスの歴史を見てみると。
第二次世界大戦中に日本がラオスを占領し、日本軍の明号作戦によってフランス領インドシナが解体された。
1945年4月8日には独立を宣言したもののフランスがフランス領インドシナ連邦を復活させようと目論み、これが原因で第一次インドシナ戦争が勃発。
1949年(4年も経ってる)にラオスはフランス連合内のラオス王国として独立。
1953年10月22日のフランス・ラオス条約により完全独立を達成。と、こんな歴史があった様子。
そんなラオスでは成人のうちの70%までしか識字率が定着していないんだとか。
もともと山岳地帯と高原にまんべんなく人が居住していることや人口の80%が農業に従事していることから、教育の重要さがあまり意識されていない地域もあるそう。
そうなると当然、英語が伝わらない。ということもあって、私なんか大して英語は喋れないんだけど簡単な英語でも理解できない、お互いに通じ合わない。ということがラオスでもカンボジアと同じく多くあった。
そんなラオスのドンデットだが、滝と同じくらい私が心を奪われたものがラオ人が愛するメコン川。
ドンデットで寝泊りをしていたホテルからはサンライズもサンセットも見えなかったのだが、散歩をした際に他の店よりも半額以上も安く船を出してくれる店を見つけた。
サンセットクルーズ
店といってもただの小屋というか元々あった場所に看板などを取り付けただけという感じではあるが。
そこで船を予約し約束の16時に船に乗った。
船は曲がりくねった竹と花で装飾されていて、プラスチックの椅子、そして竹で出来たテーブルもあった。
他の店では乗合のサンセットクルーズだがここでは英語がうまく通じないせいかプライベート。
前日に雨が降ったせいか空気も住んでいて見晴らしがよかった。
1時間ほどゆっくり時間を掛けて進んで行くと、沈み始めた太陽が見えた。
そこで旋回しながら夕日を眺める。
30分ほどだろうか、刻々と変わる空の色と水面(みなも)にうっとりとゆっくり時間が過ぎた。
それは今までに見た世界の中で最も美しい景色の一つと言っても過言ではないと思えるほど美しく、息を飲むことすら出来なくなるほどの美しさ。
これまでに生きて来た「我らの故郷、コンクリート&キラキラギラギラパーティージャングル☆東京」という価値を一気に吹っ飛ばしてくれるくらいの威力があった。
大げさかもしれないが、人間はこういうものを見て喜びを分かち合うために生まれて来たんだ。と思うような景色だった。
船を出してくれたオジサンも「至福のとき」を楽しむようにタバコを蒸して目を細めていた。
ドンデット、そしてチャムパサックへ
美しく、そしてヒッピーたちが集まる素晴らしい島ドンデットを3,4日で発つことを決めて、バスと船の予約をした。
ホテルの受付で頼めば船がホテルのレストラン下から出港するという。出港といっても小さな小舟だが。
次に目指したのはチャムパサックという町。
メコン川の少し上流だ。
船から車、そしてまた船を乗り継ぐ方法でチャムパサックへ向かう。
車から船に乗った時、おとぎ話の絵の中にでも入ったかと思うシーンがあった。
遠く遠く、ずっとはるか遠くまで空が続いている。
このまま船で降り続けても実は地と川と空がコンベア状になっていて私たちがそのうえをただ走っているだけなのではないかと思われるほど、永遠と美しい世界が続いた。
そしてまた、階段ともならない傾斜を登っていくと、やはり今度もどこかのホテルについていた。
熱心に客引きされたが冷たくお断りして、ホテルへと歩き到着。
ホテルまでの道にあったものは家、ホテル2軒、ゲストハウス1軒、外国人向けのレストラン軒、屋台1軒。
少なすぎやしないか。
かなり小さな村だがきっとどこかに賑わった場所があるはずだと予想しいつも通り散歩へ出る。
1時間ほど歩いて、橋に当たったが相変わらず賑わいはなく見当たるのは住居とブラついている犬くらいだった。
仕方なく路肩の屋台で缶ビールを飲む。70円/330ml缶。
小学生中学年くらいの子どもが店番をしている様子の時もあったがしっかりと値段は覚えているようで、同じ金額を請求された。
ビールを飲むともう一度ぐるっと回って周りの環境を見て回ったが、思っていたような賑やかな場所は見つからず結局何もないことが分かった。
どこにもない年末感
2017年12月30日、何があろうと年末年始にジタバタとここから動こうとはしない。
そう決めていたのでこの何もない場所で大晦日、元旦を過ごすこととなった。
まあ、仕方ない。と夜ご飯を食べに出ると、なんだかセンスの良いレストランを発見。
そこを素通りするとさらにセンスの良いワインバーを発見。
「ワイン カラフェ $9」「セレクトチーズ3種 $8」とあった。
この値段なら飲んでも良い!というH氏の言葉に甘えて、大晦日はここでワインを飲んで過ごすことに決定。
ワインとチーズが好き(だけど知識はない)で堪らない私にとっては久々のご馳走にかなり期待が高まった。
そして一歩戻って先ほどのレストランへと入る。
どうやらラオス人が営むラオス料理店なのだが見た目がどうにも欧米ナイズドされていて、この人1人で作り上げたのかと気になってしまうレベルの完成度。
ここの食事は少し値段は張るものの、野菜や肉の具がしっかりと入っているほか、味付けもよかった。
それに笹のカゴで出てくるもち米の「カオニャオ」が甘くてもちもちして食べ応えがあってとっても美味しい。
ここへはその後毎晩連続で通うことになりそうだ。
大晦日の夜
乾季のラオスでは雨も降らず暑い日が続いた。
そして中国の旧暦を重んじるこの国では西暦の大晦日は特に何もしないようで、静かな夜だった。
今日は予定通りに昨日と同じレストランでご飯を食べて、ワインを飲む日。
ワインを飲みに行くと、メニューを渡された。
カラフェは白ワインしかない。とのことで結局赤ワインのボトルを頼んだ。
値段は一気に倍以上になったが、せっかくの大晦日。他にやることも無いしお祝いだ。ということで気分良くワインを飲んだ。
グラスも美しく、付け合せとして運ばれてきたフランスパンは温かくモチモチとしていてこだわりを持って作られていることがわかるものだった。
そしてホテルに戻って、PCを開く。
いつものように調べ物をしたり、記録用の文章を書いたり。
すると、なんだか外がかなりうるさい。マイクとスピーカーを使ってカラオケしているのだ。
何をやってるのかと覗きに行くと、ホテルのオーナーとその友人たちが集まって酒盛りをしていた。
ラオスの宴会
何かと聞くと、「大晦日だからパーティーをしているんだ!とりあえず座りなよ!」と招待してくれてそのまま我々もこの宴に参加することに。
人数は5、6人ほどで、小さな屋根付きの屋外の広場のような場所に氷とビール、プラスチッックカップにこれまた大量のおつまみ。
5、6人のうち、英語を話せるのはオーナーとその奥様のみでそれ以外は英語理解が難しいためちょっとした会話も会話にならず基本的にジェスチャーでコミュニケーションをとる。
みんなでニコニコ、ヘラヘラ、ニヤニヤ、アッハッハ。
お酒も次から次へと注ぐので良い感じにそれぞれ酔っ払い誰が何を言ってるのか最初から分かっていなかったがさらに分からなくなってどうでも良くなりながら飲んだ。
そしてラオの宴で忘れてはならないのがカラオケ。
この場所でももちろんカラオケで歌っている男性がおり、ラオ語のポップスを歌っているようだ。
どうにも演歌に似ている・・・。
私はこれに合わせて手拍子をしていたが、やはり不思議と演歌に似ているせいか楽しく聞いていた。
元旦
翌日、昼前に私たちは目を覚ますと近くの食堂でラーオ風フォーに出会いそれをランチに食べた。
すると、なんだかもちもちとした麺で、スープはいつものチキンスープだろうか。
このもっちもちの食感はパクセーで食べた生春巻きでも同様だったのでラオ人が愛する食感なのだろう。
そして昼食後にホテルに戻ると、ホテルのオーナーが「今夜はニューイヤーズデーのお祭りが朝までやっているからよかったらそれに行ったらどうでしょう?」との提案。
まさか、大晦日ではなく明けの元旦にお祭りをやるとは、日本とは違った感覚で考えもしなかったが、せっかくなのでこれにも参加することに。
夜は昨日と同じあのレストランへ。
毎晩毎晩ここへ通うのか、と少しへこたれたが他の店がどの店もフォーらしき物の割に高いのでここが最善の選択肢だった。
食事を終えるとホテルへ戻り少し飲んでから教えてくれていた通りに歩き続けていると大きな音と明るい照明が。
人だかりの前の方に見にいくと民族音楽が流れ、衣装をまとったラオス人が何人も舞台で踊っていた。
そして数人の男たちも一緒に舞台の前で踊っているのである。
その踊り方と言ったらなんともウナギのように腕をくねらせてその間足は8ビートを刻む。
これもまた演歌のリズムと似た雰囲気。
そして一曲が踊り終わったのか、踊り子たちがソロソロと舞台袖へはけていく。
すると、残った派手な衣装を着た主人公の2人が舞台に腰をかけて話し始める。
一体何をしているのかとじっと眺めていると、また音楽が鳴り始める。
ちなみにこの音楽は生演奏で舞台上部に楽器隊のステージがあり、こちらからも見ることができる。
音楽が始まったとわかると、踊り子たちと同じように一度は自分の席に戻っていた男たちがまたゆらゆらノロノロと前に出てきて踊り始める。
なるほどね、こんな感じなのか。でもこれ朝までやるの?不思議に思ったが、よく見ると若い人も年寄りも男女問わずここに来て演目を見ている様子でひと昔前の日本の紅白歌合戦的な立ち位置らしいことが分かる。
と、まあとりあえず、ビールとつまみでも買いに行くかと歩いてきた道を戻ると、大声でラオ語で何やら話しかけてきて手招きする人たちが・・・
よく見ると昨日一緒に飲んでいたおばさんやお兄さんがいた。
おやおや、と挨拶するとそこへ座れと椅子がズイズイと出てきて、たちまち目の前に氷の入ったラオビールが。
今日初めてのみなさんもいるもののとりあえずは乾杯!乾杯!と何度か乾杯していると、スプライトのボトルに入れた謎の液体を男が注いでくる。
まずはH氏へ。渋い顔で親指を立てている。
もしやアレか。と、私のところにもプラカップが・・・。
少し飲んで見ると、、出た出た出た!ライスワイン!!!!
カンボジアからお付き合い中の米焼酎である。
飲むと喉が熱くなるほどのアルコール度数でありながら匂いは芋焼酎のように臭く、日本酒を多少なりとも嗜むものとしては米からなぜこのような臭みが生まれるのかと言いたくなるほどの強めの匂い。
かといって味に癖はなく、慣れてしまえばグイグイっとそれこそ日本酒のように進む酒でこれがかなり危ないお酒なのだ。
私はこの酒を女だからと言う理由で、断りビールだけを飲み続け、H氏の方はちょっと油断するとすぐにこの酒を注いだカップが左から伸びてくると言うような状態で、何杯も何杯も注がれていた。
そんなことをやっているとなんか面白いのがいると思ったのか、全く知らない人たちが少しずつ集まってきたりして一緒に飲んでいるうちに遂に。
「舞台の前へ行くぞ~っ!!おい!行くぞ~うっ!!」
と酔っ払いオヤジに連れられて言われるままにH氏は連れていかれてしまった。
私は帰ってくるのを待ってれば良いかと、ニコニコして眺めていると
「お前もだ!さあ!行くぞっ!ほら!嬢ちゃん!さあ!」と急き立てられるように連れ出され見る見るうちに酔っ払いおじさんの輪へ。
ラオ人の女性はあまり酒を飲まないのか酔っ払って踊っているのはほぼほぼおじさんのみ。
仕方がないので踊る。もちろん恥ずかしくなんかない。だって明日にはもう知らない人かもしれないし、変わった観光客程度の話である。
楽しく踊って、ニコニコ!みんなに合わせてニコニコ♪ちょっと一緒に踊ろうとしてくるオジサンがいれば私に合わせさせてニコニコ。
やってたら、後ろからオッサンがニヤニヤ、そして私に何かを差し出している。
「Tip! Tip!!」おお~マジでと見てみると!ラオス人からチップをもらった。2000キープだった。
これはなかなか嬉しくてガッツポーズして見ると周りの女性たちもニコニコして拍手してくれた。
その後も誘われるままに行ったり来たりしているうちにH氏がどうも酔っ払ってきているらしい動きを見せ始めたのでこの辺でお暇しようとみんなに挨拶をして歩いて帰る。
1.5kmそこそこの道のりなので2人でブラブラと歩きながら帰っていると後ろからバイクが追っかけてきた。
さっきいた酔っ払いオヤジの息子である。
なんと送りに来てくれたと言うのだ。その彼はお金を払おうとするH氏の言葉を断りサラッと挨拶すると戻っていった。
なんだラオスってめちゃめちゃあったかい国じゃん!!騙されてばかりの我々としては感動レベルの親切だった。
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